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2011年10月27日 (木)

[隠居敗退?]と伊能忠敬展と乙四郎のタイのコンケン地図とその他なんやかや談義

隠居敗退?

今日、市総合体育館(八女市馬場)で明日まで開催の「完全復元伊能図」展を見てきました。体育館に「大日本沿海輿地全図」225枚が敷き詰められ、圧巻でした。
伊能忠敬は矢野一貞の半世紀くらい前の人。
几帳面な測量日誌が残されており、八女測量の記録には、長峯に石人があると記録され、ついでに石櫃の計測までやっています。また、石人については”古事別記”を参照してね、とありました。
矢野一貞より前から、伊能の時代まで、何らかの伝承があったのでしょう。

「古事別記」って何?古事記伝のことだろうか。
本居宣長が『古事記伝』を起稿したのが1764年、脱稿が1798年、全巻刊行が1822年。
伊能忠敬が測量を開始したのは1800年。

体育館で「完全復元伊能図」展ですか?
ああ、敷き詰めるスペースが必要ってことですね。

明日は文芸とはまったく無縁の友人と息抜きに出かける予定です。
出かける前に立ち寄ろうかな?
目的地が真逆なんですけど。

へえ、そういう展覧会をやるような街だったのですね、わが町は。知らなかったなあ。
>几帳面な測量日誌が残されており、八女測量の記録には、長峯に石人があると記録され、ついでに石櫃の計測までやっています。また、石人については”古事別記”を参照してね、とありました。
矢野一貞より前から、伊能の時代まで、何らかの伝承があったのでしょう。

古墳が盗掘にあうのは当然だとしても、一目でなにか偉い人のお墓であるとわかるような伝承があったのは間違いないでしょう。古事別記、いのうさんがかかれた別冊付録?なら面白いんだけどね。測量中に聞いた噂話をまとめた号外集。(ないか)

御隠居。
お元気でしょうか。
予定通り、矢野一貞の筑後将士軍談を借りて、あるいは購入して、読み始められたでしょうか。
どこにお住まいか存じ上げませんが、あの本は貴重な本で、八女市でも禁持ち出し扱いです。
しかし、佐賀市立図書館では貸し出し可能でした。
そういうところをお探しになれば、すきなだけ読めると思います。
かささぎの旗は、恣意的な読み方しかできませんでした。自分のほしいところだけを飛ばし読みした、という意味です。だって、とっても重厚だし、昔の本だから読みにくいし。もっと隅々まで読めば、あるいは。直接関連がなさそうな箇所まで目を通しておれば、意外なことがわかってたのかもしれません。これも、欲というものでしょう。

おはようございます。
伊能図すごすぎ!
全国を巡回してるみたいよ。
入場無料♪本日4時まで。靴下必要。

えめさんいってきたのですか。
みたかったなあ。
全国巡業展覧会、なるほどそうだったんですね!
ご本人がいきておられたら、さぞ本望でありましょう。
あるべき姿ですね!

>入場無料♪本日4時まで

やはり、行ってきます。
行くしかねえでしょ。ここまで、絶賛されれば。
スリッパ持参します。笑

行ってまいりました。

想像以上でした。
原図は世界中のいろんなところに流失していたのを収集してあの「大日本沿海輿地全図」225枚が完成したのですね。
確かに圧巻でした。
なにより、まともな測量器具などなかった時代によくぞあんな地図を書き起こせたものだと思いました。

ところで、体育館の玄関で、スタッフの一員として出迎えてくれたのは、なーんと、つねちゃんのだんなでしたよ。びっくり。

スリッパは使用禁止でした。
ソックスが配られてた。笑

ふうん。その地図の上を歩かねばならんというわけか。だから汚いあしだとだめなのですね。
よかったねえ、せいこさん、乙四郎さん、えめさん。

かささぎは今日も一日怒涛の仕事でした。
おつかれおつかれ。

タイのコンケンという田舎町に赴任した時のこと、当時、そこでは町の地図が入手できませんでした。
タイ語で地図のことをパンティーというのですが、お店を何件も回って「パンティーはありますか?」と訊ねる日々。(イントネーションを間違えると変態に思われます)
どこにもないのでやむを得ずやったことは、毎日、終業後に少しずつ歩いて地図を自分で作成すること。
半年くらいかけて、やっと町の地図ができました。
伊能忠敬になった気分。
完成品をコンケンの人たちに見せたら「これは軍事スパイがやる仕事だ」と言われてしまいました。
そういえばシーボルトは伊能図の写しを持ち出そうとしてスパイの疑義がかけられたのでした。

伊能忠敬以前にも日本地図はありましたが、歪(いびつ)です。
八女百首の頃、戦国武将たちはどんな日本地図を思い描いていたのでしょうか。
その頃の日本地図に、イエズス会からの情報に基づいて作成されたと思われる16世紀のポルトガル製のものがあります(ネット上で拾えます)。
イエズス会は、日本の布教管区を、「上」区(本州・四国)、「豊後」区(豊後・豊前・日向)、「下」区(その他の九州)と分類しています。
日本地図にもひときわ大きくBungoと書かれており、あたかも豊後が日本の中心であるかのごとき扱いです。
当時の日本人がそういう意識であったかどうかは別として、大友寄りの情報で日本全体を把握していたイエズス会の意識では、豊後が日本の中心であるわけです。
・・・ということは、大友武将たちに限っては、本気で、大和ではなく豊後が日本の中心であると信じ切っていた可能性があります。八女百首の武将たちも・・・
それにしても、なぜ、イエズス会は16世紀に地の果ての小国の日本に、イエズス会ナンバー2の大物のザビエルを派遣したのでしょうか。
当時の世界のGDPシェアを推計したものがありました。(↓)
1550年の推計ですので、まだ発見されたばかりのアメリカは統計にありません。
その資料によると、
中国  36%
インド 35%
イタリア 7%
フランス 6%
ロシア  5%
ドイツ  5%
日本   4%
イギリス 2%
という、「明」の繁栄期の中国やタージ・マハルのムガル帝国が繁栄していたインドが世界の富の七割を占め、日本も、国際的尺度での自覚はなかったかもしれませんが、世界第7位の経済大国でポルトガルより豊かな国であったようです。

http://joi.ito.com/weblog/2008/04/17/gdp-ratios-the.html

「得てうへし」考
弘智の「松」の歌です。

得てうへし松にならへる君が宿を
猶すみよしの神や守らぬ

「君が宿」を「得てうへし松」に倣えるとはどういうことか。
まずは松の植え方の勉強。
江戸時代の宮崎安貞「農業全書」によると、水さえあれば松はどんな所ででも育つ植物なのだそうです。
「春分の前、秋分の後、土を帯、雨を得てうゆれば、過半ハ活る物なり。松をうゆる事、正月の中より、二月の中までよし。」
「松ハ生立ぬ所もなき物にて、はげ山にても子をまき、土を少おほひ置バ、多年をへて松さかへ、漸々に葉山となる物なり。仮令白けたる岩土、草木生ざる山なりとも、一尺ばかり打くだきよき土を入れ松を種れば、頓て葉山となる。(中略)草がやのある山ならバ、一鍬二鍬うちて、松子を二三粒まき土をかけ置べし。必生る物なり。」
何を「得」たのかがわからない句でしたが、水を得て植えたのかも。
そうすると、水を得て植えた松は必ずや生きていますので、「君の宿」も松のように生きているのだぞ、そして住吉の神が守っているのだよ、という読みになります。
わざわざ(宿が)生きていることを強調される「君」とは誰のことでしょうか。

何の偶然か、昨日、豊饒(ぶにょう)という姓の方とお会いしました。

松といえば、

二      子日        鑑教

さゝれ石の庭に小松を引き植へて
苔のむすまで友とこそ見め

三    霞         鑑實 

朝夕に霞たなびく小松原
きみがちとせの春ぞ久しき

十七    藤       宗右

岩に生ふる松にかゝれる藤なみも
をのれくだけて春ぞ暮けり

三十二  氷室     松寿

春秋をわけぬはかりか松がさき
氷室も夏をほかにこそもれ

八十一  松   弘智

得てうへし松にならへる君が宿を
猶すみよしの神や守らぬ

(これですが、原文では

恵てうへし、です。)

八十二   竹    宗房

きみが代を久しかれとて植へをきし
たけの臺のかげ越しぞ思

八十三   苔    鑑栄

千代をかね松の下蔭苔むして
雨にいづれも色ぞまされる

以上の歌には、松が使われています。

松は高良さんに引き植えられたものでしたね。
どこからかといえば、本山からでした。
小松引きの神事が今も残っています。
その高良社の末社とおぼしきやしろが、ぶねうさんの本陣だったお山近くの山にもあるようです。
こんど友達の家にいったときにでも、かけのぼってみてきます。石段をやりかえたばかりだっていってた。そのこうら社がともだちの家の産土神になるみたいで。

わたしが気になっているのは、このうちの32番松寿のうたと、82番、宗房の竹。竹のうてな、台という字の正字がどうもひっかかります。邪馬台国の台であり、また、横光利一の「台上の蟻」とまっすぐつながる。もちろん、横光は正字ですよ。
そして、さいごは万葉かな表記の柿本人麻呂の
「大君の遠の朝廷と蟻がよふ島門をみれば神代し思ほゆ」の歌につながっていくのであります。
なぜ、蟻がでてくるとおもいますか。
女王蟻がいた国だったからです。
それはそうと。
横光利一は邪馬台国の話をかいていますね。
ちゃんとはよんでないのですが。

かささぎの旗で以前書いていた、高良さんへ松を移したいわれのある、本山天満宮の取材記事です。みてくだされ、ご隠居もまだみておられれば、どうぞ。↓

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-9.html

1 ↓http://lunabura.exblog.jp/

2  ↓http://moriheiku.exblog.jp/10090662/

2のブログ、「放す」。
これはしみます。
笛を教わる話なのですが。

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コメント

編集して、今、はじめてよみました。
乙四郎記事のコンケンパンティーの話。
コメント到着が今朝だったのかも。時間が前後することはよくあります。空中で迷子になるブラックホールがあるようです。もしや空中検閲にひっかかっていた?笑。おもしろいなあ。
それと中世の世界の経済情勢。
どこの言語かしりませんが、研究しておられるサイトがあるのですね。ありがたいです。おつしろうをだいじにしなきゃ。先生ってよばんといかんかい。

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