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2011年9月25日 (日)

竹橋乙四郎

乙四郎

八女の祭り あかりとちゃっぽんぽんで催された利き酒会でのスナップ

コメント編集:

最近の乙四郎古代史探求の進み具合は新たな局面に入り込んだ模様です。
くわしくは、山下整子の31文字倉庫への投稿をごらんください。

http://tanka-souko.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-b9fb.html#comment-85552002

今上天皇が日韓関係について言及されたことあります(平成13年)。
「私自身としては、桓武天皇の生母が百済武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。」
武寧王は人質で日本に来ていた王族の子で462年佐賀県生まれ。
磐井とは同じ時代を同じ地域で過ごしています。
武寧王の母親は倭人で、磐井の濃厚な親族であったとも。
・・・ということは、天皇家は磐井の血筋(母系)だとも言えます。
武寧王の頃の天皇家の父系は、血縁が断絶しかけたところでようやく見つけ出した遠戚の継体天皇。
武寧王の崩御は523年5月。
磐井が消息を絶ったのは、この5年後。
その3年後に継体天皇崩御し、3年間天皇空位。
武寧王の後継は聖明王で日本へ仏教を伝えた人物。
十数年後、聖明王の王子の余昌が敵に包囲された時、筑紫国造と言う者が進み出て弓を引き、囲んだ敵軍を弓で敗退させたという記録があります。
聖明王の没後、余昌の弟の王子、恵(けい)が日本に派遣され、その帰国時(556年)に護衛のため、筑紫火君(つくしのひのきみ:筑紫君の子)に勇士一千を率いさせて海路の拠点を守らせたという百済本記の引用も日本書紀にあります。
磐井の乱の後も、少なくとも四半世紀は、磐井一族は武寧王のもとで勢力を保っていたようです。
陵墓で発掘された誌石には「六十二歳癸卯年五月崩御」とあります。
癸卯年五月!!
千代(1020年)後の癸卯年に武寧王の追悼歌会が企画されましたが、実現がのびのびになって12年遅れてしまいました。
磐井の君の血を引く武寧王よ、
君が代のためしにすめる千年川
かはらぬたねに春や立つらむ

  ↑
乙四郎です。
天文廿四年癸卯の謎解き仮説。

武寧王の崩御は癸卯(523)年5月7日とのこと。
この頃の5月7日がユリウス暦の何月何日なのかはわかりませんが、天文年間の4月はユリウス暦の5月よりなので、天文廿四年の卯月廿五日が武寧王の崩御祈念日にあたる可能性はあります。ごく近いのは間違いない。
「癸卯卯月廿五日」と記載することに意味があり、それに実際の奉納年である天文24年を冠したのでは。

>「癸卯卯月廿五日」と記載することに意味があり、それに実際の奉納年である天文24年を冠したのでは。

賛成。
これだけは私もそう思います。
きぼうねん、うつきにじふごにち。
この日付に深い意味があった。
だってさ、みたらわかるけど、一文字の書き損じもない完璧な書の和歌なんです。まちがうはずない。

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コメント

おはようございます。
ふとしたことから,この不思議で魅力あるブログに行き当たりました。

ここ数日色々と読ませていただき,やはり姫野さんが女性であるという確信を得ました。(笑)

俳句をなさる方には「〜子」と名乗る男性もいらっしゃいますので,記事を拝見しながら,文末表現から時に男性のような気もしていたのです。

小生は以前県南に勤めたことがあり,様々な懐かしい場所や事柄が登場するのに惹かれ,カテゴリー別に大半を読ませて頂きました。

記事中にしばしば登場する竹橋乙四郎氏が橋爪章氏であるという事もやっと同窓会の文章の所に至り,了解しました。

八女や黒木を含む筑後一帯は間違いなく何やら大きな魅力を秘めたエリアのようで,日本の古代史の重要な場所の一つです。

橋爪氏には是非とも古田武彦氏の初期の著作『盗まれた神話』と『失われた九州王朝』をお読み下さるようお伝え下さい。
(いくつか版がありますが,角川文庫のがハンデイでお薦めです。しかし,これは既に絶版ですので,古書店の店頭か「日本の古本屋」のサイトで探すしかありません。後者が簡単に早く見つけられるかもしれません。)

古田氏の著作の全ては薦められませんが,初期のものは大いに参考になります。

これからも,しばしばお邪魔させて頂きます。どうか,宜しくお願い致します。
時節柄,ご自愛下さいますよう。不一。

ごいんきょ。
すけさんかくさんはいませんが、どうかくつろいでいっておくんなさいまし。
お茶ひとつさしあげることはできませんが、不出来なかささぎめに、どうかいろいろとご教示ください。
おかげの一句。

「不一」とは虔(つつま)しき鵲(かち)の羽の蒼

はじめてであったのです、不一↓

ハハ~ン、ここですね、原因は。
きょうね、うちのブログにいつもの倍のお客さんが来んしゃったとです。アクセス数を見て驚いた。

なんでだろう?なにもめぼしい記事はないのに・・・と思ったら、ここで、ご紹介してもろうたとですね。なんでこんなに急に人気ブログになったんだろ?とびっくりしましたが、はい、一過性の現象だとわかり、ちょっと安心しました。

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