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2011年9月16日 (金)

『円錐』誌のにぎはひぶりをみよ。

かささぎへ毎号同人誌を送ってくださるご好意に感謝しております。

現代川柳『点鐘』のイキオイも見事ですけど、俳句誌『円錐』の充実振りは目を瞠るものがあります。

読者が確実に増えているのが見えます。

どの記事も、おもしろい。
どのお方も、全力です。
それでもって、俳句作品がまたすばらしい。

その中から今日は、なぜかしらぬがひかれてしまう、かささぎイチオシの江川一枝の句をどーんとまるごと引用させていただく。なお、作者については何も知らない。現代仮名表記。
おそらく、論は書かない人だとおもう。

 不断

   江川一枝

ぶす顔に猫歩み居り庭若葉
春風や縦一列に小児行く
うぐいすに残りし器なつかしき
人ごみの空を流れて白き蝶
皿墜ちる音より春の気色かな
三月や殊に人形いとけなし
大空を出でて花か揚羽蝶
山吹や暫し残生捨てかねつ
ゆく人の足音ゆかし春のくれ
猫のもの雑りていたり土用干
昼顔や人を遠くに置いて見る
夏痩せて五七五の覚書
四方より暑さを惜しむ蝉の声
朝顔の咲きて人々眠るなり
老猫の尾の繕いぬ女郎花
甘(うま)し無花果重なり按がれ枯れたり
秋近き動物園の雀哉
寒風を下駄と我が身の骨の音
寒鴉かわかわかわと鐘の音
我と連れ立つ冬草の戻り道

(かささぎの感想)

ぶす顔に・・の一句。そのままイメージがわく。
猫ってどうしてあんなに不機嫌に歩くんだろう。
ぶす顔が
起きぬけ顔なのかもしれないね。
東妙寺らんの実家のねこたち、元気だろうか。

縦一列に、のあと、ショウニユク。小児という言い方。
いや、あまりにそのまんまで即物的、鳥か何かのよう。
ふつう俳人は、おさな、とか、子らが、とかいうよ。

うぐいすに、・・・

これ、「佳句」というやつでしょう。
うしろのほうで、橋本七尾子さんもとりあげておられました。
うぐいすの鳥籠だけ残っており、中には陶の器が少し汚れたままで乾いている。
なつかしいのは飼っていたうぐいすではなく、そのころのあれこれ。

人ごみの空を・・・

人ごみを行くとき、蝶がさまよいでてきた。流れるように飛んでいく。
じぐざぐの飛び方はスピードがあって、気流に逆らうように乗っている。
その身のかわし方のふしぎが見えるような一句。
なかぞらをみている作者の目線よ。

皿墜ちる・・・蝶墜ちて大音響の結氷期
皿墜ちて大音響の鬼婆期。

三月の人形。ひなしか思いつかぬ。どうってことないが。

大空をいでて花か揚羽蝶・・・こんなとこに俳祖荒木田守武の有名な一句の本歌取り。
いまさらのイマジズム、エズラパウンドがどうのこうのもちんぷ哉。

昼顔や人を遠くに置いて見る
近くの人を遠くから、という意味が言外にある。
昼顔の花は白くて、どこか裏切りを期待するような気息がある。
いい句だ。白さがきわだつ。

朝顔の句。これがよくわかりません。
まだ人々は就寝中という意味でしょうね。
では作者はどこに?外から朝顔の「なか」をうかがっている。

 甘し無花果重なり按がれ枯れたり

さあ、問題の一句ですぞ。
かさなりかつがれかれたり、と読もうとしたかささぎ。
んが、かつぐであれば、「担がれ」、が正解でしょうよ。
藤枝梅按の按の字に、ほかにどういうよみがある?
按分・・・割合に応じて振り分けること。
按・・・按摩の按。手でおさえること。
按配・・・よくかんがえて、ものごとをおさえること。
かささぎ、按がれがわかりません。
しかし、一句をよもうとすると、イチジクに託して俳句を書く自分を客観視、揶揄しているよな風にも読める。かささぎはそうよみたいんだ。そしてこんな自分を、俳句箴言派とよんでわらいたい。(ごくろうさん)



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コメント

おはようございます。
今朝、松芳さんから俳句を預かったのでここに書きますね

新涼や我からだにはビタミンC
新涼で我五感にも秋かんじ
青北風や我ほほかすめ畑の朝

二句目は下五句をやりなおすそうですがどうしましょう・・との事。
先日季語を伝えていましたので^^

えめさん、しょうほうさまからのお句、ありがとうございました。
去年は大学祭にて一句使わせてもらいましたよね。裏のたて句を。ことしもどうぞ。


新涼や我からだにはビタミンC  松芳
新涼で我五感にも秋かんじ
青北風や我ほほかすめ畑の朝

わたしは、この三つのお句のどれにも「我」という字が入っていることに注目します。
わが、英語でmy。所有格。
ところが、俳句は、所有格はめったにつかいません。たった17音のなかに「我」を入れ込む理由はありません。なくても、通じるし、その方がいい場合のほうが多いようにおもいます。

意味をかえずに、我を消し去ってみますね。
例)

新涼やからだに入れるビタミンC
新涼の五感夫々たしかむる
青北風や頬かすめゆく朝の畑→頬をかすめてゆくのは、畠ではなくて北風なので、これは少々へん。
青北風や畑の朝の頬かすめ
どうもすみません。あまりにもそのまま。
芸がない。そこで、必死でなんとかする。
朝という字を、曟にしてみますか。重くなる。

青北風や曟の畠の葉といふ葉

という句ができた。でもさ、朝、わざわざ曟でなくてもいいよね、畠も畑でね。ということで、もとに戻すと、

青北風や朝の畑の葉といふ葉

(どのはっぱもほっぺたをこすられている図がうかびませんか。)
というふうに、なるべく省略を利かせて、イメージに訴えるような句をめざすのがいいと思われます。

えめさん、松芳さんに、つぎのことをお伝えください。
震災の津波でなにもなくなってしまった浜に、せいたかのっぽの松がいっぽん。あれがそのまま一枚の絵。松はいいですね。風格と気韻があって。その上に仲秋の名月がうかんでいたのをテレビでみました。

ありがとうございます。伝えます☆

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