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2011年8月28日 (日)

平成24年診療報酬・介護報酬改定(49)   認知症への対応のばらつき

保健医療経営大学学長

 橋爪 章

2011 年 8 月 28 日 平成24年診療報酬・介護報酬改定(49)

認知症の発症率は65~69歳では1%以下ですが、75歳を超えると高くなり、80~84歳では8%、85歳以上になると10人に1人以上が発症します。
わが国では人口構成の高齢化が急速に進行していますので、認知症高齢者も急増することになります。
現在は、認知症は要介護となる原因の約1割ですが、認知症高齢者の急増により要介護者数も増加します。
介護保険による認知症対応サービスは、これまでの介護報酬改定で、認知症対応型共同生活介護(グループホーム)を始めとして様々なサービスの提供体制が整えられています。
認知症への対応について、介護給付費分科会での論点は次の2点で、医療との連携がクローズアップされています。
~~~~~~~~~~
・認知症への対応にあたり、医療と介護と地域それぞれの役割とその間の連携についてどう考えるか。
・認知症対応型共同生活介護(グループホーム)における医療提供の在り方についてどう考えるか。

~~~~~~~~~~
他の要介護者と異なり認知症高齢者の場合、自分でサービスを選ぶことが難しいという特殊性があります。
そのため、サービスの提供環境が不本意なストレスとなって認知症がかえって進行してしまう場合もあります。
身体疾患を合併していない認知症高齢者は精神科病院で入院加療、身体疾患を合併している認知症高齢者は療養病床で入院加療している場合も多いようです。
同じような態様の認知症高齢者が介護保険の対象であったり医療保険の対象であったりと、認知症へのサービスには医療と介護が相互に乗り入れています。
今後、認知症への対応を介護保険にシフトしてゆこうとするのであれば、介護保険サービスにおける医療提供の在り方、医療との役割分担、医療との連携を明確にしなければなりません。
また、認知症は特に超高齢者に発症しやすい病態であるという特殊性もあります。
超高齢者の場合、配偶者も子も高齢者であり、「老々介護」の問題に直面します。

(保健医療経営大学学長ブログ転載)

▽A級戦犯の意味と介護に関するぐちその他コメント集

コメント

今日は終戦記念日です。
TVが戦争映画や関連番組を放送します。嫌だなと思いながらもきちんと眼を向けて見なければなりませんね。
今さらながらに、戦争はむごいですね。クラスター爆弾を開発した人たちは、心が痛まないのでしょうか。原爆にしてもそうですね。日本にも兵器に使える部品を作っている人たちがいます。もしかしたら知らないで作っているのかもしれません。生活がかかってますから。
地雷のことも心が痛みます。取り除くためにはまだまだ時間がかかるようです。埋めた人たちが取り除けばいいのに。そんな簡単なことではないですね。
世界中に平和が訪れますように。今日1日だけでも、強く念じていましょう。

首相候補である野田佳彦財務大臣が、平成17年には「『戦犯』に対する政府認識」を、平成18年には「サンフランシスコ平和条約第十一条の解釈」(↓)http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a164308.htmを質問主意書として提出しています。
このように、第二次世界対戦の戦後処理について真剣に向き合う政治姿勢は評価します。
首相候補とされる所以でしょう。
サンフランシスコ平和条約(1952年発効)の11条というのは、極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者の赦免手続きについての取り決めです。極東国際軍事裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定で赦免ができるようになっています。そして、この手続きに基づき、過半数(11か国)の同意を得て1956年にすべての戦犯が赦免されています。
1956年以降、「日本には戦犯自体が存在しない。靖国神社参拝論争は、A級戦犯と呼ばれる人々に対する人権侵害であり、人権と国家の名誉に関する問題」(野田氏)であるというのが次期首相候補の歴史認識です。
ここで解釈上問題となるのは、刑の執行が既に済んでしまった者にまで「赦免」が及ぶかどうかという点ですが、野田氏は「刑罰が終了した時点で受刑者の罪は消滅するというのが近代法の理念である。「A級戦犯」を現在においても、あたかも犯罪人のごとくに扱うことは、国際的合意に反すると同時に「A級戦犯」として刑に服した人々の人権侵害となる」と書いています。
このような野田財務大臣ですが、菅内閣の申し合わせにより、終戦記念日の靖国参拝を行えていません。菅内閣の閣僚は、昨年に引き続き、一人も参拝していません。
「A級戦犯が合祀されている問題などから、首相や閣僚の公式参拝には問題がある」(菅首相)との理由ですが、野田財務大臣の言によれば「戦犯と呼ばれる人々に対する人権侵害であり、人権と国家の名誉に関する問題」です。
閣内で議論することもなく、それでいて全閣僚の行動を縛るのはいかがなものか。
「あいつら日本人じゃないんだ」(石原都知事)

しかし私は慎太郎ごときに、日本人か否かを判定してほしくない。前回のオリンピック誘致で巨額な税金の無駄遣いをしておきながら、性懲りもなく、だし。オリンピック誘致に反対するのも「あいつら日本人じゃないだ」だろうな。
かつて姜尚中氏が、福岡市のオリンピック誘致を支持した時、「外国人が…」のような発言したのもひどいが、もうあれだけ暴言・差別発言のし放題で、それでも都知事として選ばれる。日本がダメになる前に東京都がダメになりそう。

言葉選びに敏感な人のブログなので、豆知識。
A級戦犯の「A」とは、極東国際軍事裁判所条例の第5条での戦犯の分類です。

A:平和に対する罪
(国際法、条約、協定又は誓約に違反せる戦争の計画、準備、開始、又は遂行、若は右諸行為の何れかを達成する為めの共通の計画又は共同謀議への参加。)
B:通例の戦争犯罪
(戦争の法規又は慣例の違反。)
C:人道に対する罪
(政治的又は人種的理由に基く迫害行為。共通の計画又は共同謀議の立案又は実行に参加せる指導者、組織者、教唆者及び共犯者。)

ABCの間に罪状の軽重や上下関係を示す意味はありません。
たとえば日本が原爆や焼夷弾を使用していたならば、それに関わった人たちは「C級戦犯」ということになるでしょう。
「A号戦犯」と訳しておけば、こうまで曲解されることはなかったのでしょうが、人道に対する罪をクローズアップさせたくない米国の後ろめたさが、あえて「級」と誤訳させたのかもしれません。

慎太郎の発言、あらためて10日ほど前の新聞で読みました。そのうち「非国民」なんて言葉も使われそうだな。慎太郎そのものよりも、その言動を見逃している都民・国民のほうが絶望的だね。
どういう人が「日本人じゃない」のか、「日本人」であるのか、それを決めるのは、現代の「日本人」自身しかない(何をもって日本人と定義するか、実はそこからが問題なんですけどね)。手前みそ的な日本論・日本人論・日本文化論を語る(騙る)人々には、まず坂口安吾の『日本文化私観』を再読してほしい。これが戦時中に書かれたというところに、意味を見出してほしい。
『太陽の季節』の精神はいま何処。石原慎太郎にしろ、菅直人にしろ、年は取りたくないもんだ。

朝刊に目を通しながら、今朝の娘のことば。
「いつか、この時代のことを現代史として学ぶ子供たちに、どんな時代として映るのかなあ。歴代首相を覚えるのも、よういかんわ」

歴代首相はともかく、福島がフクシマになった年。
これは、忘れちゃいかんと思う。

いつかこの時代のことを過去の歴史の一こまとして学ぶこどもたち。

コスト無視の時代、無責任の時代・・かも。

それぞれの保険組合から、父と母にとどく医療費明細とかささぎに届くかささぎ一家の医療費明細をみて、絶句。
支払っている保険料のじつに十倍ものお金をかささぎの場合、支払ってもらっている。どこのとなたかもわからぬあなたがたに。次男にたくさんの医療費がかかるのですが。。。でも、次男は自分で働き始めたので、保険組合を移動しました。それでもやはりその組合からたくさん加勢してもらっていることにはかわりない。

ましてや、後期高齢者の父・母は。

ほら、きょねん、脳外科のがん摘出の手術をしたとき医療費の話をしたでしょう。あれは150万円ほどの入院総費用のうち、じっさいにしはらったのは四万四千円ほど。それはなぜかといいますに、限度がもうけられていたから、低額所得者のために。
その差額の巨大さにおののきます。
これではたして機能していくのかと。
ありがたし、でも、おそれおおし。
こんな高齢者ばかりなのではないかと。
もうしわけない、けど、ありがたい、という妙な心苦しさ。

ひめ。同感です。
医療保険もさることながら、介護保険に大きな恩恵を受けています。介護保険法が施行されたとき、わたしは小さな町の末端の行政側の人間でした。いち行政マンとして、介護保険には批判的だった。ああ、これでますます町の財政が逼迫するなあと。
いま、介護する側にたってみて、なんてありがたい制度なんだと痛感しています。自己負担額の少なさにも、ほんと、申し訳なくて、頭がさがるばかりです。

げんじつにもどります。
わが父、もう帰りたくない、と言い張ります。
ほんとは今日施設に連れて戻る予定でした。
でもしばらく家にいる、帰らない、と駄々こね。
おとなしくて体がある程度動くなら賛成です。
けれども、文句はいう、五分おきくらいに人をよびつける、世話してるとすぐ痛いという、いつもなにかたべたがる、からだがおもうように動かないので不機嫌。すっかりいやなじいさんになってます。
まともにつきあっていたら、共倒れになりそうです。
老いぼれてすなおにぽっくりとしぬためには、もっともっとおとさねばなりません。
わたしは父にいいたいよ。このわがままじじい!
ああ。としはとりたくないものだ。

(でおわるコメントが最近ありましたね。じぶんもおなじようになるのかなあ)

はい。わたしも厳しい現実と向き合う日々なので、共感します。
病人はわがままになるものなのさ。
ただね、ひめ、父上の駄々捏ねはね、実の娘だから甘えが出てるのだろうと思うよ。
どっちがいいのかなあ。
うちの父は、すぐに悲劇の主人公になって「きつい。きつい。あんやつ(ハハのこと)につきまとわれて死にたいくらいにきつい」と嫁のわたしに訴えてきます。それも泣きながら。ハハのほうはいたって気ままですが、父はなにかあるとすぐに泣く。最初はチチの涙にこころが揺れ動いていましたが、こうも涙の大安売りをされますと、そんくらいのことで大の男が泣くなよ、と言いたくなるんだよね。やさしさが長持ちしない、最近のわたしです。

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コメント

じぶんのほうに気をひかせたいのですね。

眉間にしわ寄せとらんで、にかっと笑ってたら、まわりも明るくなるとに、と父にいったら、おおお、そんときだけ、にかっと満面の笑みでした。
やればできる。くらいよりぜったいあかるいほうがいいけん。

年齢的なものもあるのかも知れませんが、65歳で亡くなったわたしの父は底抜けに明るいひとで、父のがん告知を受けてショックを受けたのはむしろ母の方で、落ち込む母に父が、
「誰でも一度は死なんといかん。それが早いか遅いかの違い」と慰めたそうです。
入院中、仲良くなった患者さんと病院を抜け出してタクシーでラーメンを食べに行くようなひとでした。母がいまなお、
「お父さんは明るくて本当に手のかからない病人だった」と思い返します。患者が明るいと介護するほうも明るくゲンキでいられる。体験から、つくづくそう思います。
わたしが病気になっても、そうやって明るさを保っていられるのか、そう願ってはいますが自信はありませんね。

せいこさん、こころ温まる思い出をありがとう。
父は今日三時ころ長男に連れられてもどっていきました。わたしはしごとでした。
ここはおれのうちだから、ぜったい動かん。といったそうです。とてもかわいそうだったとは母のことば。
今回もっとも印象に残った父のことばは、長い廊下のトイレへ二人かかりで背負うようにしてつれていったとき、あまりにいたいのきついのいうので、おとうさん、だれでも一度は死ぬんだから、すこしはがまんせんね。とついいってしまった。、むしろ苦からのがれられるのでありがたい気がするのですが、それを聞くと父は「よくもそんなことを言ってくれたね。絶対に死ぬとかどうのは言うたらいかんよ。」と叱りつけました。
ふだんならあははと笑い飛ばすところ、笑えませんでした。
ちちのいったことばのほうが常識であります。
そんなことを病人にむかっていうなんて、おかしい。
かささぎ、反省しました。
おとうさんはおとうさんだった。
おーい、こめをすりはがんといかんよ。
おーい、しんぶんはまとめて括らんといかんよ。
おーい、気がけて風呂やの灯油を注文せんといかんよ。
とこの三点をくどくどしくいって帰ったそうです。

長男がさいごにいわく。
じいちゃんはおもかねえ。

おーい、こめをすりはがんといかんよ。
おーい、しんぶんはまとめて括らんといかんよ。
おーい、気がけて風呂やの灯油を注文せんといかんよ。


ああ、これだけで、お父上の家庭での位置がよくわかります。
家族を率いるとは、大げさなことではなく、このように日常に気を、目を配ることなのだと。

そして、ひめのむすこどの。
あんたはほんと、やさしい。えらい。

ああ、また泣けたわ。

「誰でも一度は死なんといかん。それが早いか遅いかの違い」と慰めたそうです。

この言葉を自ら言うなんてすごいですね。
seikoさんあなたはこの父の娘さんなんですね。

またかささぎさんのおとうさんの言われることやっぱり一番に「家族の暮らし」を思っていらっしゃる感動です。妻や子供孫はこんなにも思ってもらってる。
言葉に出して言うのは大事ですね。

うちは義父(私の育ての父)、母と叔父と叔母、最後は寡黙に死んで行きました。
心の中ではいろいろ思っていたかも知れませんが。
その母に私も最後にこれだけは言うとかんといかん
と思ったことを言ってしまいました。
言ったらいかんことを。
まったく手のかからん病人だったのにです。
今ちくちくと胸を刺します。

さくらさん
最後にこれだけは言うとかんといかんと思ったことをいってしまった、と書かれていますが、もしそれをいわなかったらいわなかったで、思いがのこったとおもいます。たとえそれがマイナスのことであったとしても、つたえてよかったんではないでしょうか。
肉親には伝わるものだとおもいたいです。
あまりことばはかんけいないようなきがする。
とはいえ、わたしもおとうとがしんだとき、その慙愧のかたまりでした。結婚したころもまだひきずっていた。
人の死が人にあたえるものは。

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