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2011年7月 4日 (月)

唱導文学としての「黒木物語」5-3       『筑後地鑑』と『北肥戦誌』 

五 諸書の中の小侍従伝説

③ 『筑後地鑑』 天和三(1683)年

 「黒木邑外なる河流の中、至りて深き處号して剣潭と曰ふ。常に談ず、黒木城主姓は調諱は助能、文治二年京師に覲す。時に禁裏に管弦有り。黒木氏庭中より之を聞き以(おも)へらく笛律諧(ととの)はず楽調はずと。黒木氏は世に笛に巧なる者と為す。之を聞くに忍びず庭上より之を吹くに横笛一聲を以てせしかば忽ちにして宮中の楽調ふことを得たり。帝叡感の余り調姓並に宮女待宵小侍従を賜ふ。助能乃ち之と帰る。其妻妬忌に勝へず身を此潭に投じ、死して祟りを為す。助能剣を水に沈めて以て叱せしかば祟り遂に止みぬ。」(本文は片仮名と漢字表記ですが、時間の都合上ひらかなで申し訳ありません。姫野註記)

④ 『北肥戦誌』享保五(1720)年

 「抑筑後国の住人黒木川崎星野といふは、元来一姓にて世には稀なる調姓なり。其由緒を尋ね聞くに、中頃上妻郡川崎の庄黒木山の城に、蔵人源助善といふ者おり。其先は薩摩のねちめに住せし故ねちめの蔵人とも申しけり。歌よみにて笛の上手なり。然るに此の蔵人、頃は人皇八十代高倉院の御宇嘉応年中、大番勤に上洛して内裏に候す。時に或日、管弦の御遊び坐しけるに、俄に笛の役闕けたりしかば、公卿殿上人の中を選ばれしかども、折節笛を吹く人なかりけり。其時徳大寺左大臣實定卿、彼助能が笛の器量を兼ねて善く知り給ひて斯くと奏聞ありける間、さらば助能殿上を免さるべしと勅諚あって、縁に祇候し笛を吹きけるに、堂上の笛の音よりも尚すずやかに、其調子妙にして御遊既に終りぬ。時に主上甚だ叡感あって則ち助能に調子の調の字を姓に下され、其上従五位下に叙せられて蔵人太夫調助能とぞ召されける。蔵人が時に取りての面目なり。然るに此助善在京の間徳大寺殿殊に情を加へられ、雨の夜雪の朝月花の遊宴にも常に昵近しけり。ある夜いたく更けて徳大寺殿、助善を具せられ相知り給ひける女の許へ立入り給ひしに、女は待侘びて、

 待つ宵に更け行く鐘のこゑ聞けば
  あかぬ別れの鳥はものかは

と打詠じて、希に逢ふ夜のかごとも尽きなくて、其朝實定帰り給ひしに、余りに別を惜み給ひ、助能を女の許に返して尽きぬ名残をかこたれしに、蔵人女に向ひ一首の歌をぞ詠み侍りける。

 物かはと君がいひけむ鳥の音の
   今朝しも如何に恋しかるらむ

 是よりして助能を異名に物かはの蔵人と称し女をば待宵の小侍従とぞ申しける。斯くて蔵人、大番過ぎて帰国せしに徳大寺殿、此年月の事を思はれてかの待宵の侍従をぞ給はりける。」

 『平家物語』『十訓抄』の換骨奪胎である。以下『剣ヶ渕伝説』へと続くが紙面の都合上割愛。ただ講坊の記述のみ取りあげる。

 「待宵小侍従下向の時所願ありて高野山に一寺を建立し、講坊と号す。是調姓の菩提所なり。」

[筆者・国武久義]

 (つづく)

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