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2011年7月24日 (日)

『大阪万国博覧会見物』               大子おばあちゃんのエッセイから

大阪万国博覧会見物

 八女市山内  木附大子

 昭和四十五年、主人の生徒さんの招待を受けて、大阪の万国博覧会見物に出かけました。お土産にいろいろ考えまして、初孫さんのお祝に、黒田節の博多人形を、奥様にはその頃ブームの久留米絣を用意しました。
 初めての寝台車で大阪駅に着きましたら、М氏がむかえに来ていて下さいました。乗り心地のよい自家用車で会場へ向いましたが、道行く人が車に目を止められるのに気づきましたが、後で聞くところによると、その頃はまだ珍しい「ベンツ」だったそうです。会場へ着いたら、身動きの出来ぬ程の見物人でした。丁度「月の石」が日本で公開されていたので、特に多かったかも知れません。
 М氏はこんなに多いなら、高い所から見ましょうと、カンラン車に乗って会場の上を一週しました。次は会場のまわりを、モノレールに乗せて下さいました。モノレールで若い青年が坐席を争っていたので、М氏が「コラー」とすごい声で叱られて、私もびっくりしました。М氏は元陸軍の将校だったそうです。叱られた青年はしょげたかっこうをしていました。
 どの会場も一杯で近寄れないので、私達は印度館へ入りました。象げ細工の見事な品をながめた末、記念に小さい佛像を買いもとめました。見れば見る程精巧な佛像です、今思うと、もすこし大きい品を買っていたらと、心残りしています。太陽の塔のそば迄やっと行きました。
 夜はМ氏の新築の家で、奥様の心づくしのおごち走でした。
 翌日は万博見物の場所をかえて、奈良に連れて行って下さいました。女学校の修学旅行に行って、二度目でしたが、今思えばどこへ行ったか全然おぼえていません。
 二日目をしきりにすすめて下さいましたが、一泊で帰ることにしました。夕食に家族全員、嫁いだ娘さん一家も集まって、支那料理店に案内して下さいました。初めての支那料理のおいしさをあらためて知りました。家族全員のお見送りをいただいていて、たのしい旅から帰って来ました。到れりつくせりの歓待を受けて、忘れることの出来ない旅でした。

 八女市老連広報2011年正月発行、第43号より

木附大子おばあちゃんは、かささぎの従姉の嫁ぎ先のお姑さんです。
毎年八女市の老人会の広報に随筆を載せておられ、楽しみに読んでおります。
現在93歳か96歳くらいです。(大雑把ですみません)。

大子おばあちゃんのご主人だった人は故人ですが、かささぎが卒業した小学校の教頭先生でした。ここ、徐福の墓のところにお名前をとどめておられる。木附光雄先生といいます。http://www.syamashita.net/history/johuku/densetu_yame.html

かささぎの旗でも記録にとどめている、八女ぼんぼり祭り協賛連句大会において家族全員参加で句を出してくださった、赤崎源さん(赤崎敏男さん)のお名前も拝見できます。
ええっと。かささぎ、あかさきさんのおかげで戦国百首和歌に出会うことができたので、このお方を擁護せねばと思っている。
杉山洋先生のブログではさんざん酷評されておられますが・・・
連歌人としての赤崎源さんは、立派な付句を出される人でした。

存じませんでしたが、杉山洋先生は見事な俳人でもあるようですね。
わたしは平成九年から秀野顕彰運動に間接的に巻き込まれ、それをそうともしらず、記録にとどめてもきました。(石橋秀野ノート、平成15年出版)
当時は、運動の主体がどこなのか、だれなのか、見えませんでした。
八女市だとばかり思っていました。
文化財保護委員会というのは八女市の公的団体ではないのですか?
いまもそこのところがよくわからないままです。
あのう。いつも杉山先生は怒りまくっておられたので。

石橋秀野『櫻濃く』資料館の平井朋吉館長さんには何かにつけお世話になりました。本ができあがったとき、このお方はたいそう喜んでくださって、お金を払って買いあげてくださった。お礼に差し上げますというのに、。
そのような、ゆかしいかたでございました。
どこかに当時のなつかしい写真があるのですが。
貞永まことさんや、前田先生や、晴野みなとさん、鍬塚聰子さん、天真実くん、小梅わこちゃん、沢都、天野おとめ、など、当時の亜の会メンバーもいっしょに資料館で写っている写真です。
むすめさんにもお世話になりました。わたしが句集をよみたがっていたので、資料館の本のコピーをとらせてくださったのは、平井ともきちさんのむすめさんでした。

それから、あとひとつだけ。
人柱伝説のあるじの家の中島道夫先生は、特定の人を指して、あのひとは信用できない。なんてことは言われない人のような気がします。
あまり個人攻撃がすぎると心配でたまりません。
にこにこと。こころ大きく。それがいちばんです。

秀野にかかわった全員が、にこにことこころ大きくありたいものです。

蝉時雨、ことしは少し変ですね。
最初にきいたのは、蜩の声でした。
いまは、アブラゼミがないてます。
くまぜみのあのうるさい蝉しぐれ、まだ聞けていません。

かささぎは、この文章を、八女夜話のhttp://ameblo.jp/yameyobanashi/entry-10949031722.html
を読んで、書き起こしました。

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コメント

杉山せんせいの八女夜話ブログ、だいすきなんですが、それでも、ときどき過激すぎて腰を抜かします。
是は老婆心で申し上げますが、
かささぎの目にみえたところでは、当時八女デザイン会議長をなさっていた西日本短大造園科教授の大石道義先生は、ぜったいに目立ちたがり屋などではありませんでしたよ。よくしらないけどわかる。
これはなんといいますか、ふんいきでわかります。
それに、かささぎも目立ちたがりではありません。
自己顕示欲ありそうですが、その逆です。めだつのはさけたい。ろくなかこはないからです。有名になれば暴かれる。けいさつにしょっぴかれたことはござんせんが、そういうのはまっぴらですものね。

秀野ノートをだしたとき、杉山先生はすぐ電話をかけてこられて、がんがんと怒鳴りまくられました。そのときも、あなたは目立ちたがり屋だとおっしゃった。じぶんの大きな写真をのせて。だそう。
もし目立ちたがりであれば、盛装の写真をのせたとおもいます。あれは瀧春樹先生が写真をのせたほうがいいとおっしゃったからのせたまで。いちご出荷帰りの普段着の写真のどこが目立ちたがり。くそじじい!ああいかん、だんだんはらがたってきた。

これが八女人の血ですかねえ。もう、金輪際、秀野の事は書かないでおこう。

おはようございます。
今年の蝉はほんとに変です★
私も蝉の第一声は蜩でした☆しかも早朝!
何でもがおかしくなっていますね・・。

>>人を怒らせるタイプってありますよね。逆に幸福感を抱かせる方もあります。さまざまな人によって鍛えられますね(^_-)-

そうですそうです。きたえられる・・・
普通は面と向かって悪口や批判をきくことはない。
ところが私はふしぎな縁のおかげで、杉山洋先生という極左で極右の超過激文化人おんじいの身に余る洗礼をあびることができました。
おかげで、職場で相当のことをいわれても耐性菌ができていて、心の中で比べてしまう。おひよ~!でもおんじいにくらべたら、迫力敗けだよなあ。ってかんじでね。
人を叱り説教するほど難しいものは、ありません。

万博>>父を説得してやっといけると思ったのに、台風襲来でいけなかった万博。未だに悔し涙です。(しつこい)

説教>>年下の上司だと、対応に困りますよね。同年代は平気でタメ口たたいているけど、教養ある?私たち世代は、「上司には敬語」これが離れません。でも、こちらの方が正しいのです。キッチリ敬語を使って、有無を言わさない。こわいおばちゃんです。

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