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2011年7月 1日 (金)

医療の国際化(4)   コールセンターを軸にした医療

保健医療経営大学学長
 橋爪 章
2011 年 7 月 1 日 医療の国際化(4)

英語を駆使できるフィリピンの失業看護師に着目し、アメリカの保険会社が大量に看護師を採用する動きがあります。

フィリピン国内にコールセンターを構え、雇用した看護師が医療知識を活用して、保険給付請求の承認やアメリカに住む在宅患者を対象にした医療情報提供サービスなどの業務を請け負うのだそうです。

このほか、医療記録の文書化などの医療業務を委託する海外企業も増えているのだそうです。

看護師としての技能は生かせませんが、「医療知識」の需要に応じることができる人材として失業看護師に白羽の矢が立てられたというわけです。

コールセンターの活用という点では、アメリカのビジネス界では、インドを活用しています。

アメリカの会社の終業時にデータ処理や資料作成をインドに依頼すれば、アメリカの夜中にインドで作業が行われ、翌朝の始業時には資料ができているからです。

人件費もインドは格安なので、インドにいる医療従事者に夜間の医療相談サービスなどを委托することがビジネスとして成り立ちます。

インドでは国内の医療事情はそっちのけで、遠隔医療サービスが急成長しています。

遠隔治療サービスサイトはウェブカメラを活用して国際的に医療相談を行うものですが、何万人ものインド人医師が登録して収入を得ています。

ヘルスケア・マジック( http://www.healthcaremagic.com/ )、トップドクター・オンライン( http://www.healthyky.org/doctors.html )などの遠隔医療サービスサイトがあります。

(保健医療経営大学学長ブログ転載)

∇かささぎの独り言

ふうん。おもしろいものですね。
じぶんちの医療そっちのけで、よそんちの医療のお世話をやっている国がある。医が商いであるため、やるせないが仕方のないことでもある。
きのうのコメント欄にnogaさんも冒頭で紹介されていましたが、私も外国人への看護師試験のハードルがどれだけ高いかというニュースをみたことがあります。それは日本語でおこなうものだからである、と。みな口々にその困難さを言われていました。では試験を英語でやればいいのかといえば、現場では英語を使うわけではないのでこれもどうなんでしょう。

検索したら、47ニュースで拾えました。

http://www.47news.jp/47topics/e/159071.php

 ∇nogaさんコメントはこの続報みたいなかんじですね。

コメント

厚生労働省は2011年1月26日、経済連携協定(EPA)のもとでインドネシアとフィリピンから受け入れた外国人看護師のうち3人が、日本の看護士国家試験に合格したと発表した。
合格したのはインドネシア人2人とフィリピン人1人で、受け入れ事業が始まってから初の合格者となった。しかし残りの251人は不合格となった。全員が母国ですでに看護師の資格を持っているので、日本語が壁になったとみられる。同じ試験を受けた日本人受験者の合格率は約90%だった。

我々日本人は、英語を通して世界中の人々に理解されている。
かな・漢字を通して理解を得ているわけではない。
我が国の開国は、英語を通して日本人が世界の人々から理解してもらえるかの努力に他ならない。
我が国民のメンタリティを変えることなく、ただ、法律だけを変えて交流したのでは、実質的な開国の効果は得られない。
鎖国日本に開かれた唯一の窓ともいうべき英語を無視すると、我が国の開国も国際交流もはかばかしくは進展しない。
この基本方針にしたがって、我々は耐えがたきを耐え忍びがたきを忍んで、万世のために太平を開く必要がある。

英米人は、「我々は、どこから来たか」「我々は、何者であるか」「我々は、どこに行くか」といった考え方をする。
我々日本人にしてみれば、奇妙な考え方であるが、彼らにしてみれば当然の考え方になる。
それは、英語には時制というものがあって、構文は、過去時制、現在時制、未来時制に分かれているからである。
3時制の構文は考えの枠組みのようなものとなっていて、その内容は白紙の状態にある。
その穴埋め作業に相当するものが、思索の過程である。

ところが、日本語には時制というものがない。
時制のない脳裏には、刹那は永遠のように見えている。
だから、構文の内容は、「今、ここ」オンリーになる。新天地に移住する意思はない。
思索の過程がなく能天気であるので、未来には筋道がなく不安ばかりが存在する。
TPPの内容に、行き着く先の理想と希望が見出せないので改革の力が出ない。

必要なものは自分で手に入れるのが大人の態度である。
だのに日本人には意思がない。それで、意思決定はできない。無為無策でいる。
常に子供じみた他力本願・神頼みとなる。
意思がなければ、意思疎通もはかどらない。それで、察しを遣う。
だから、日本人の独りよがり・勝手な解釈は避けられない。

問題を解決する能力はないが、事態を台無しにする力を持っている。
だから、我々日本人は、自重に自重を重ねて、常に事態を静観する必要に迫られていた。
我々は、変わらなくてはならない。

http://koshin.blog.ocn.ne.jp/koshinblog/2011/02/nago_7890.html

∇かささぎの独り言、追伸。

47ニュース
アクセス二位
「風の谷のナウシカ」封切り日が3・11だったことは偶然か。
これもつい、。
フクシマが今最先端、エッヂの意識なんだな。
以下、全文引用。ありがとうございました。
福島民友新聞【編集日記】(6月17日付)

 平安時代の869年に起きた貞観地震による津波と東日本大震災での大津波との関連性が注目されている▼古文書に残されていた記述に注目した研究者たちは大津波が東京電力福島第1原発も襲う危険性を指摘していた。だが、研究成果が同原発の安全対策に生かされることはなかったという▼謙虚に歴史に向かい合いながら、過去からの警告を聞こうとするのも専門家の務めだろう。一方で、文学者や芸術家の研ぎ澄まされた感性と想像力が、まだその姿を現さない未来の危機を鋭く嗅ぎ取ることもある▼巨大文明が滅びた後の世界を描くアニメ「風の谷のナウシカ」もその一例だ。技術が生んだ放射能という汚染物質におびえる今と酷似する。封切りは1984(昭和59)年3月11日。震災の日と重なるのは偶然か▼原作のマンガは思索的な内容だ。アニメでは「人間が汚し、その結果、人間の生存さえ困難なものとなり果てた世界」(「ナウシカ解読・ユートピアの臨界」稲葉振一郎・窓社)を舞台に、再生と救済が描かれる▼作者の宮崎駿氏は家族や人間の成長に温かいまなざしを注ぐ一方「文明と人間との思想的難問と格闘する思想家」でもある。数々の作品の制作過程を展示したスタジオジブリ・レイアウト展が福島市の県立美術館で開催中だ。文明や戦争、地球の未来についても考えたい。

http://www.minyu-net.com/shasetsu/nikki/0617n.html

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