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2011年7月24日 (日)

唱導文学としての「黒木物語」 八 結論

 (「九州大谷国文」第二十六号
 平成九年七月一日発行の小冊子より引用しております。)

 文章:国武久義

八 結論

 「待宵の小侍従」説話は、講坊再建の為に訪れた高野聖によって戦国時代の末ごろ黒木星野地方にもたらされ、はじめのうちは琵琶などを伴って語られていたのであろう。しかし徳川幕藩体制が強化されていくにつれて、各藩境には関所が設置され自由な往来が厳しく制限されるようになると、高野聖の往来もしだいに消滅していった。
 けれども高野聖の来訪は途絶えても、彼らの語った話の口調や内容だけはその土地にのこり、それを聞いた人々の記憶の中に生きつづけた。そしてそれらの話が長い歳月にわたって人々の間に語りつがれていくうちに、さまざまに枝葉を増し一人あるきしていったものと思われる。
 黒木氏滅亡から約八十年後に書かれた『星野家伝記』、約百年後に書かれた『筑後地鑑』や『黒木物語』などは、人々の記憶に残るかっての「語りもの」が古老からの聞き書きという形をとって文字に定着化したものにちがいない。

 平成九年四月三日執筆了

[付記] 本稿は平成八年十一月二十七日、九州大谷短期大学国語国文学会において研究発表したものに一部加筆したものである。

∇かささぎの旗姫野によるコメント

この国武久義先生の論考一本を通してお読みいただくには、右のカテゴリー「奥八女 ー 黒木と星野の物語」をクリックしてご覧ください。
第一回目はhttp://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-10.html
6月11日から転載を始めました。
短歌結社『やまなみ』同人・山下整子さんによってもたらされた国武久義先生のこの詳細な論考によって、「黒木物語」の文献資料をほぼ知ることができました。
振り返れば、意外なことに、かささぎの旗にとっては、もともとそういう文学的な興味から入った世界では全くなくて、ただ、じぶんの運命に突如として立ち現れた星野村の入りくち付近にある、黒木谷の行空のお墓から呼びかけられたもので、それに応じているうちにこのようなことになっております。
説明するのも難儀なので、。
でも、これは言っておかねばと思うのは、調うたまるさんとおっしゃる調一族のお方(横浜在住)がここに関連しておられるのは、わたしが行空の墓と出会う以前のことですから。つまり、行空とは無関係にまず調一族との出会いがあって、黒木物語ともそこで出会っていた、その延長線上で、別個に行空と出会ってしまった、ということになります。
こういう縁の重なりは、石橋秀野を調べていたときにも幾度となく有りました。
不思議であります。まるであちら側から呼びかけられている、手招きされている。
これは連句を巻くこととどこか似ているようです。
時間が前後しても出会うべきものとは必ず出会う。
それがいいことでもわるいことでも。
国武久義先生、ありがとうございました。
わたしは、この御縁、仏教がらみであることを亡き弟の助けだと思いました。
九州大谷短大へは過去一度いったことがあります。
それは弟を亡くした年の翌年ころ、昭和54年ころに、高史明というお方が講演にみえて、そのお話を聴きに、父と母との三人でお寺の住職さんといっしょに参りました。当時、高史明氏は一人息子を12歳で自死というかたちでなくされたばかりで、無明のさなか、。その語りはわたしたちの胸をえぐりました。ずうっとお話のあいだじゅう、なみだがぼろぼろとこぼれました。
その記憶とまっすぐつながります。

∇きのういただいた調一族の調さんからのコメント紹介

コメント

こんにちは。大変ご無沙汰しています。

先日かささぎさんから久しぶりに連絡がありました。

貴重な文献ありがとうございます。こうして様々な事が表に出る事にはとても有難いものを感じます。

唱導文学としてはそこに意味があり、史実は別に細い糸でつながっていると思います。
真実があり、そこに物語(脚色)が生まれます。

先の鎌倉八幡宮の大銀杏の御神木が倒木した後、今は数々の方のご尽力により見事に再生の道を歩んでいますが、倒木によりその樹齢が約500〜600年前くらいのものであると樹木医等専門家は密かに指摘しています。
そうなると源実朝暗殺と大銀杏の御神木の物語はくずれてしまいますね。
ただ、実朝が暗殺された事は史実として記録されていますので、ひょっとして先に倒木した大銀杏の御神木は二代目かもしません。

伝説と史実の関係をどう汲み取り表現するかは読み手次第で良いのだと思います。
作り手には必ず時代背景が存在しておりそこには大きな狙いがあるのでしょう。
史実を含めてその物語を追い求めるのが大きなロマンとして楽しいのだと思います。

投稿: うたまる | 2011年7月23日 (土) 12時57分

 調うたまる(しらべ・うたまる)さんについて:
 ちなみに、これは俳号です。
 調うたまるさんも参加しての連句作品『ときにヘレナは』は、ここです。
 なんど読み返しても、熱気のある名作です。

 http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-2d0c.html

 また今年、前田圭衛子先生、おいでいただけないでしょうか。
 電話してみましょうね。
 (夏号への投稿をさぼってしまったので合わせる顔がない・・・


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コメント

初めまして。

数年前にこのブログをたまたま見つけて、時々覗いては勉強させて頂いております。

大阪勤務で今年は福岡へ帰省もできず、お寺にも仏様のお参りにも行けないことを残念に思います。

久しぶりに覗いてみたら記事が増えているので、ゆっくり読ませて頂きます。

お調べになったことを惜しみなく公開されており、本当に感謝しています。ありがとうございます。

星野様。
コメントありがとうございます。
一族のおかたなのですね。
そんなふうに書いていただけると、役立たずのかささぎでも人様のお役に立つこともあるのかと少しうれしいです。
これまでに星野姓の方にお二人であいましたが、どちらも俳人です。
ひとりは、星野石雀さん、もうひとりは星野椿さん。
かんがえてみれば、ふしぎですね。お元気で。

黒木一族の末裔です。

先祖が猫尾城や犬尾城などの動物名を付けた城を
作っていたせいか、
秋田市でアズ動物病院を開院しています。

これからも、興味深い話を教えてください。

はじめまして。
黒木すけよしをルーツとする一族であれば、しらべ一族とは縁戚関係ということですね。
黒木で連句会をするときにでも、いらっしゃいませんか。お話がもりあがるかもしれません。わたしたちは、横で会話をきいていますね。

ところで、こちらには電器のアズというのがあります。笑。なぜアズなのですか。

黒木一族の末裔です。

病院の名前の由来は、自分が
水族館(Aquarium)と動物園(Zoo)に勤務していたので、その頭文字を付けました。

これからも色々な話を楽しみにしています。

おはようございます。
あずさん、そうでしたか。
個人的な思い入れのある名付けなのですね。
聞いてみるものだわ。
ところで、しらべ一族のうたまるさんは関東在住でいらっしゃるのですが、二月あたまに所属されている邦楽の会で公演会があるらしいです。こちらは遠くて見に行けませんが、もしご興味がございましたら、お近くのかた、ひやかしにいかれてはどうでしょうか。今日は今から仕事でばたばたしているんで、帰宅後、案内をさがしてはりつけます。
黒木一族については私の方こそ知らないことばかり、おしえてください。地元だからしらないというのがあるとおもいます。では。

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