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2011年7月25日 (月)

「尖閣諸島と古賀辰四郎」   山下功

尖閣諸島と古賀辰四郎

  八女市長野  山下 功

 沖縄県尖閣諸島海域での日本の巡視船と中国漁船との衝突で、日中関係が険悪になっていると報じられている。この尖閣諸島の開発の端緒をなしたのが、八女に生まれた古賀辰四郎である。辰四郎は殖産興業の功績で、沖縄県で二番目に藍綬褒章を受けた知名人であるが、福岡県では無名に等しい。八女市史では下巻の第四章、脱皮する産業の項で「先人の偉業」の中に登場しているが、改めて辰四郎について紹介してみたい。

 古賀辰四郎は1856年(安政3年)上妻郡山内村に生まれ、1879年(明治12年)23歳のとき、那覇に寄留商人として古賀商会を開いた。その三年後には石垣島に八重山支店を設け、尖閣諸島や大東諸島の無人島の探検に熱中した。(近世以前の尖閣諸島は、琉球と大陸とを結ぶ航路の標識島であった。したがって島名にも複数の呼称があり、魚釣島=中国名は釣魚島、久場島=黄尾礁、大正島=赤尾礁等々、その他の小島や岩礁がある)。
 

 辰四郎による尖閣諸島の発見は日清戦争の直前で借地請願を政府に出したが、島の所属が不明であるとして却下された。ついで1896年(明治29年)魚釣島ほか三島を30年間の無償借地の許可を得た。そこで宮島幹之助(のち慶大医学部教授)、黒岩恒(沖縄師範学校教諭で「尖閣」の命名者)に風土病、動植物、飲料水などの調査を依頼し、やがて1909年(明治42年)には魚釣島に99戸、248人の移住が定着している。
 産業は鳥毛採集、鳥の剥製、フカヒレ、べっ甲や貝殻の採集、カツオ節の製造、植林、牧畜、柑橘の栽培、燐鉱石の採掘、養蚕など多様であった。またパリ万博や内外での博覧会に天然真珠を出品し受賞、沖縄では初めての分蜜糖を試作するなど、つねに先駆者としての役割を果してきた。
 のち沖縄に籍を移した辰四郎は1918年(大正7年)に没したが、島々は1932年(昭和7年)に2150円50銭で嗣子の古賀善次に払い下げられた。戦後は大正島と久場島が米軍に借用され、地代は善次に支払われてきた。いま日本政府をして、尖閣諸島が日本固有の領土であると主張できるのも、近現代史の中で、古賀辰四郎の存在があってこそのことではないだろうか。
 特に1970年代から「経済水域200海里」が定着してくると、無人島や岩礁がどの国に帰属するかが、かまびすしくなってくる。尖閣諸島、日本海の竹島(韓国名は独島)、日本の最南端の沖の鳥島(岩礁を中心に半径350㎞が日本の経済水域である。浸食が激しいので岩礁の周囲に円形の鉄ブロックを積みあげ、その内部にコンクリートを注入して、岩に波が当たらないように保全工事をした)が、その代表的な示例であろう。
 尖閣諸島周辺は黒潮が北流する豊かな漁場であるとともに、海底ガス田の開発が、問題に一層の拍車をかけているようである。
 
 補足になるが、辰四郎は製糖業が盛んな大東島(北大東島、南大東島)についても借地の先占権をもっていたが、八丈島出身の玉置半右衛門に譲渡し(大東島の開墾はおもに伊豆諸島からの移民によって行われた)、真珠養殖の権利は、三重県の御木本幸吉に譲ったといわれる。

 以上の参考文献は次の通りである。
・尖閣列島  井上清著 現代評論社
・近代沖縄の人びと 新里金福・大城立裕著  琉球新報社編 太平出版刊
・近代沖縄の寄留商人  西里善行著  ひるぎ社(那覇市)
・沖縄大百科事典  沖縄タイムズ社

 『2011 八女市老連広報』 第43号より引用しています。
  編集発行、八女市老人クラブ連合会

リンク記事:http://senkakusyashintizu.web.fc2.com/page053.html

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コメント

八女市老連広報は興味深い事が書いてありますね。
尖閣諸島問題なんて、聞いてるだけで何も知らないけれど、こうやってきちんと文章に残してくださっているから、勉強になりました。
近所のかたに広報の話をしたら、今度もらってみようって言ってありましたが、はて、だれだっけ。う~ん。

おはよう。私も昨日この文章にきづきました。
なにも知らなかったものですから、まなばせてもらいました。杉山洋先生にもたくさん知らないことをおしえていただいてますが、老連広報にもはっとさせられることを学びます。
ことしの戦記も転載したいとおもってます。
ところで、この文章はここでおわりではありません。つぎの頁がのこっていた。のちほどかきたします。

ぼんの地域も、古代からの由緒ある土地であり、なにかそういう古い記憶が書かれた文章を発見されたときには、転載して、アップされることをおすすめします。

あれまあ、ここで終わりじゃないんだ。
書き足したかな?まだのような気がする。

(ここで2011年度の広報を探し回った。数冊発見するもこの号だけがなぜかない。ほかの号にこの山下氏の書かれた文章をさがす。それも、ない。と、ダンボールの中に入った斧田蔵書の中、その中に紛れ込んでいた2011年号、発見!)
最後まで写していました。了解、コメントを書いた後、書き足したんだね。なるほど。

今、古賀辰四郎で検索したところ、この記事は19位でした。この記事、おすすめです。↓

福岡の政治家ではらだよしあき、というひとのサイトをよんでいましたら、以下の記事を発見。

元谷

 本日はビッグトークにご登場いただき、ありがとうございます。頻繁にお会いしているのに、まだやっていなかったというのが意外でした。原田さんは国会などでの活躍ぶりが素晴らしく、特に最近では一九六九年に中国が発行した地図に、尖閣諸島が中国名ではなく日本名の「尖閣群島」「魚釣島」と記載されていることを指摘、国境線も明示しており、この時まで中国は尖閣諸島が日本の領土だということをはっきりと認めていました。そのことを毛沢東主席が裏書までしている。外務省もこの地図を公式サイトに掲載しました。地図の存在を指摘したのは、国会でしたでしょうか。

原田

 衆議院の予算委員会でとりあげました。最もインパクトがあると考えたからです。

元谷

 よくこんな地図が手に入りましたね。

原田

 私はいろいろなルートを持っています。公表直後には中国から「日本の捏造だ」という声も聞かれましたが、その後中国側の主張は、尖閣諸島が中国領であるという逆の証拠が「百も千もある」という言い方に変わっています。この尖閣諸島の問題をはじめとする日本と中国、そして日本と韓国などの問題は、国際社会にアピールして第三国、国際社会に理解してもらうことが大切です。そのために、私は片山さつき議員らと一緒に外国人特派員協会で記者会見を行い、この地図の存在を大々的にアピールしました。

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