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2011年6月29日 (水)

唱導文学としての「黒木物語」 5-2 文献       『北筑雑藁』

唱導文学としての「黒木物語」

 ー待宵小侍従説話についてー

 九州大谷短期大学 國武久義

五  諸書の中の小侍従伝説

② 『北筑雑藁』 延宝三(1675)年

「黒木ノ邑外河流ノ中、到リテ深キ處(ところ)号シテ剣ケ潭(つるぎがぶち)ト曰フ。村人常ニ談ズ、黒木城主姓ハ調諱ハ助能文治二年京師ニ觀(かん)ス。時ニ禁裏ニ管弦有リ。黒木氏庭中ヨリ之ヲ聞キ以(おも)ヘラク笛律諧(ととの)ハズ楽調ハズト。黒木氏ハ世ニ笛ニ巧ナル者ト為ス。之ヲ聞クニ忍ビズ庭上ヨリ之ヲ吹クニ横笛一聲ヲ以テセシカバ忽チニシテ宮中ノ楽調フコトヲ得タリ。帝叡感ノ余リ調姓並ニ宮女待宵小侍従ヲ賜フ。助能乃チ之ト帰ル。其妻妬忌ニ勝ヘズ身ヲ此潭ニ投ジ、死シテ祟リヲ為ス。助能剣ヲ水ニ沈メテ以テ叱セシカバ祟リ遂ニ止ミタリト。」

 甚だ簡単な「剣ケ渕」伝説の紹介である。次の『筑後地鑑』になるとやや詳しくなる。

 (5-3『筑後地鑑』へつづく)

∇北筑雑藁(ほくちくざっこう)

ほかに検索をかけてでてくるものには徐福伝説があります。
http://www.syamashita.net/history/johuku/densetu_yame.html

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コメント

 2011.7.1 広報やめ、八女寸寸語より引用(↓)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今から一八〇〇年ばかり前に中国で書かれた魏志倭人伝に、邪馬台国や卑弥呼のことが書かれています。中国では日本のことを倭国と呼んでいますが、倭国の中に邪馬台国という国があり卑弥呼という女王がいたことが書いてあります。この邪馬台国が日本のどこにあったのかという所在地については九州説や近畿大和説があり、学者や歴史研究家たちでは論争が続けられ、今なお迷宮入りで解明できておりません。
 ところがここに、「発見!卑弥呼の陵墓」という本が出ました。著者は人吉市(熊本県)の吉岡徹雄先生です。吉岡先生は邪馬台国と卑弥呼の陵墓は、八女市の奥八女にありと述べられ驚いたのです。まさか八女市内にあろうとは信じがたいことでしたので、早速読んでみました。魏志倭人伝の解説と吉岡先生の邪馬台国と卑弥呼の陵墓発見に九州内を探し求められた記録があり、先生は八女市の奥八女に目をつけられたようです。まさか奥八女にと思いながら読み続けてみますと、次のように書かれているのです。
 北に八女山地、東には津江山地、そして南を筑肥山地に囲まれ、これらの山塊から発した矢部川水系流域に広がる低地および台地が主要な地形を構成している福岡県八女市黒木町、その南域を占める「黒木平」に接した三山(雌岳、雄岳、姫御前岳)の一角に卑弥呼の陵墓が存在していたことが明らかになりました。そうすると女王の都した「邪馬台国」中枢部もそこからさほど遠くない、また高さもそれほど違わないような場所にあったはずです。
 吉岡先生はすっかり奥八女を邪馬台国に見られたようです。奥矢部から日向神、黒木から神露淵と調査をされているようです。特に神露淵では、古老たちの話を聞き神露淵の奥にそびえる姫御前岳に目をつけられたようです。姫御前岳といえば南北朝の動乱期に良成親王の妃きさきが山麓で亡くなられたとの伝説があり、以来この山は姫御前岳といわれているようですが、地元では姫御前岳のことを「ヒメコヤマ」と呼んでいるということが
先生の目にとまったようです。先生は「『ヒメコヤマ』とは『卑弥呼山』のことですよ」と申されています。ということになれば、姫御前岳は卑弥呼の陵墓が存在していたということです。
 先生はこんな大事な古い伝承も、南北朝の大事変が新たなる伝説に入れ替わったと申されているようです。ともかく卑弥呼の陵墓が姫御前岳にあるとなれば女王の都した邪馬台国はそこからさほど遠くない、高さもそれほど違わないような場所にあったはずと黒木平を推定されて次のように述べられています。
「黒木平」の一隅に立った時、この地こそ「魏志倭人伝」にいうところのまさに女王卑弥呼の都す邪馬台国であったことを確信するに至りました。そして同時にそのとおりであると再び理性をもって断定いたしますが、これをして「女王国発見」といってもまた何ら憚るところはありません。
 先生が大胆に卑弥呼の陵墓と邪馬台国発見を述べられていることに、私たちは夢のような話でまさか邪馬台国が黒木平にあったとは信じがたいことですが、先生は「十分なる調査をした結果」と申されているようです。しかしこれを確かめる手立ては唯一「発掘調査」以外に残されていませんと述べられました。現状では発掘は認められないので、先生は「例外的に認められるのには何をおいても世論の応援が不可欠なのであります」と、この本の結びに書いておられます。
 邪馬台国や卑弥呼の話題は瀬高町(みやま市)あたりでも伝えられていますが、八女市の奥八女にあったとはこれこそ私たちには夢のような話です。歴史研究科の吉岡先生が発刊された「発見!卑弥呼の陵墓」の本で、また八女市の話題が生まれ面白いことではないでしょうか。
 茶のくに八女の宣伝に、この話題も活用してはいかがでしょうか。(黒木町文化連盟 吉村 誠)

>地元では姫御前岳のことを「ヒメコヤマ」と呼んでいるということが先生の目にとまったようです。先生は「『ヒメコヤマ』とは『卑弥呼山』のことですよ」と申されています。ということになれば、姫御前岳は卑弥呼の陵墓が存在していたということです。

この記述に驚愕しました。
みやま市の巨石古墳群(堤古墳群)と、飛形山と、姫御前岳と、日向神社が、ほとんど誤差なく等間隔に一直線上に並んでいるということを発見したことを、以前、このブログで披露しましたが、その姫御前岳が卑弥呼の陵墓であるというのであれば、単なる偶然ではないのではないかと。
日向神社の立地も、巨石古墳の立地も、必然的にそこにあるのだ、という確信に変わります。

さらに、八女市長野の伊勢神社(徐福の墓の近く)と姫御前岳と飛形山頂とは正三角形です。

徐福、伊勢はユダヤがらみの面白ポイント。
八女戦国百首が奉納されたのは今伊勢。

考古スウィッチが入りそうです。

>これを確かめる手立ては唯一「発掘調査」以外に残されていません

詳細な地図上で、堤古墳群と日向神社を直線で結び、その線を正確に3等分する点の飛形山頂ではない方の点を掘れば、そこから卑弥呼様の遺骨が出てきます。 ・・・ この仮説が当たればすごいですね。

まだよんどらん。これからさがしてよもうっと。

こんばんわ
うふふ・・

今月号の広報やめにはエイテンも写真入りで登場してます。

エイテン
   ↓

うわ、やきそばめしのわがこころのともよ!!

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