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2011年6月28日 (火)

唱導文学としての「黒木物語」5           文献のなかの小侍従伝説

唱導文学としての「黒木物語
 -待宵小侍従説話についてー

   國武久義・著

五 諸書の中の小侍従伝説

 江戸時代、黒木・星野地方の小侍従伝説は地誌・紀行文・諸家系図・軍記物語などさまざまな文献に多く取り上げられている。以下年代順にそれを列記する。

①『樋口宗保覚書』寛文九(1669)年

「星野氏の元祖中務太輔源助能次男にて後堀川院の御宇嘉禄二戊戌年星野を拝領し下向あり。(中略)胤實事、実ハ大職冠鎌足公の後胤徳大寺左大臣實定卿の息男なり。黒木助能の次男となりし訳は、後鳥羽院の御宇文治二丙午春、助能勤番にて在京のところに大内に音楽あり、聞に楽調(ととのは)ず、助能これをきくに忍ず、横笛を以、是にしらべけるに宮中の楽たちまちに調、帝ゑひかんのあまり調の姓且官女待宵の小侍従下賜ル。小侍従ハ徳大寺實定卿の妾にて、其比懐胎にて遠国へ下向叶ず。暫ク京に留被置(とめおかる)。爰(ここ)二樋口小路の住樋口次郎太郎藤原實安と云仁、元来小侍従と由緒有故、小侍従を實安へ被預置、無程(ほどなく)平産あり。童名八郎丸ト号ス。伝ニ曰八郎丸ハ実ハ後鳥羽院ノ王子なり。しかれ共故あって實定卿の御子となし給ふ。小侍従ハ黒木猫尾へ下向あり。八郎丸ハ實安養育シ、元服あって樋口八郎胤實と名乗ル。其後、後堀川帝ヨリ星野谷を拝領あって行、小侍従母子対面あり。助能の猶子と成、星野へ居住ス。小侍従黒木にて一男一女ヲ産、黒木四郎定善と号。」

 星野氏の先祖には藤原実定の血が、いや後鳥羽院の御胤が流れているというのである。

( つづく。)

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