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2011年6月21日 (火)

唱導文学としての「黒木物語」3 黒木助能            國武久義・著  

唱導文学としての「黒木物語」
ー待宵小侍従説話についてー

   國武久義

 またその他にも1254年橘成季編著の説話集『古今著聞集』には小侍従に関する二つのエピソードが書かれている。

 一六二 いろは連歌に小侍従難句を付くる事
 三二二 後白河院の御所にして小侍従が懺悔(ざんげ)物語の事

 すなわち前者は、皆人作り煩(わずら)っていた時、とっさの奇智で歌を詠んだ話であり、後者は後白河院さえも魅惑するぐらいの素敵な美女であった話である。これらによって小侍従が閨秀の誉れ高い歌人だったというイメージが更に付加されたものであろう。

 三 「黒木助能」の話

 ところで、この待宵の小侍従が重要な役どころを演ずる伝説が八女東部の黒木星野地方に伝えられている。
 文治二年のこと、黒木猫尾城の城主黒木助能は大番役として御所警護の為上京することになった。さしも栄華を誇った平氏が壇ノ浦でことごとく入水し滅亡したその翌年で世上は未だ騒然としていた。ある日宮中で管弦のあそびが催され、助能もその座に連なっていたが、笛の役が何かの都合で参内せず、あわや中止かと思われた時、助能(すけよし)が笛の名手である事を知っていた後徳大寺実定(ごとくだいじ・さねさだ)卿は助能を急遽笛の代役として推挙した。助能の吹く妙なる笛の音は一際冴えわたり、聴き入る人々の袖を絞らせるほどすばらしいものであったという。帝は叡感の余り助能に「調(しらべ)」の姓とその座に控えていた美女「小侍従」をお授けになった。一説では助能の方が強く所望したともいう。

 さて、大番役も無事終わり助能は待宵の小侍従を伴い黒木に下向する訳だが、一方こちらは猫尾城で留守をまもっていた御台所、夫が京より絶世の美女を側室として連れて筑後に向かっているとの報に接し、嫉妬はやがて憤怒と化し途中でこれを阻止せんと企んだが殿の帰国とあれば如何ともしがたく、恨みをのんで城の前なる矢部川の淵に侍女十三人を伴って入水して果てるのであった。
 やがて黒木の城下は御台所の恨みや呪いの暗雲が家々の軒を覆い包み、人々は禍事(まがごと)に苦しむことになる。
 そこで助能は徳大寺実定卿よりつかわされし剣一振を淵に投じ、霊の成仏を心より祈った。その効の現れか、城下はまた元のごとく平安な日々が戻ったので土地の人々は誰言うとなくその淵を「剣が淵」と呼ぶようになったという。
 
 以上は黒木地方に残る伝説のあらましであるが、星野村に伝わっている話では、ここに新たな人物が登場する。

 行空上人である。

 (つづく)

参照

後徳大寺実定:徳大寺実定とも
 保延五年~建久二年(53歳没か)

有名な歌に

ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%A4%A7%E5%AF%BA%E5%AE%9F%E5%AE%9A

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コメント

黒木助能
426,000件中4位
1位はここ↓

いろはの連歌 古今著聞集

検索5位です。ありがとうございました。勉強になります。

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