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2011年6月21日 (火)

唱導文学としての「黒木物語」4              行空上人の話

唱導文学としての「黒木物語」
 -待宵小侍従説話についてー

  國武久義・著

 四 行空上人の話

 行空の事は『今昔物語集』にその記述がある。

 
一宿聖人行空誦法花語第二十四

 今昔、世ニ一宿ノ聖人ト云フ僧有ケリ。名ヲバ行空ト云フ。若(わかく)ヨリ法花経ヲ受ケ習テ、昼ル六部、夜ル六部、日夜二十二部ヲ誦スル事ヲ不闕(かか)ズ。出家ノ後、住所ヲ不定(さだめず)シテ一所ニ二宿(にしゅく)スル事ナシ。況ヤ、庵ヲ造ル事無シ。此レニ依テ一宿ノ聖人トハ云フ也ケリ。(後略)

 ほぼ同様の事は、1320年成立の『元亨釈書』にも記されている。

 釈行空、世称一宿上人。所 居不 経 両夜。
 以故 五畿七道 無不行遍
 年九十没鎮西。

 この行空上人が行脚の途中筑後の地に立ち寄ったのは、折しも助能の御台所の悪霊が黒木城下に祟りをなしている最中の事であった。そこで助能小侍従夫妻は行空上人を黒木に呼んで、恨みをのみ死んだ御台所の霊を手厚く回向してもらった。それにより災いは去り、町はもとの静けさに帰ったという。

 話は紀州高野山へと飛ぶ。
 高野山「講坊」の縁起は次のように語る。

 講坊本覚院は、後鳥羽帝建久年中 釈行空待宵小侍従の請に依りて建立(こんりゅう)する所なり。行空の伝『元亨釈書』にあり。待宵の小侍従は竹内宿禰の苗裔清水別当光清の女(むすめ)なり。和歌を善(よく)す。高倉帝に仕ふ。曾て待宵聞鐘の歌を詠じて賞せらる。『源平盛衰記』『新古今集』にあり。文治年間、源満仲の四男大隈蔵人能高五世孫黒木大蔵大輔、嘗て朝に於て笛を殿階に吹き、感の余りに姓を賜ひ、及び侍従を賜ふ。前閨(先妻)嫉妬して身を黒木の剣が淵に投じて死す。小侍従乃ち行空を請じてその冥福を祈る。行空諾して高野山に登り地蔵堂に宿す。行空法華を誦持す。空中に声ありて曰く、汝此処に住せよ。尊像放光の瑞あり。行空感喜して遂に十二坊を建つ。講坊はその一なり。

 (『聖方紀州風土記』) 

 さてその後の行空上人の話にもどる。
 黒木において加持祈祷を終えた後、行空上人は星野へと向かったが、途中星野の縫尾の久保という所で息絶えた。土地の人々は異郷の地に果てた行空を哀れみ、そこに墓を建立しねんごろに供養をした。
 現在星野村黒木谷の西端に高野という地名があり、茶畑の中に一基の墓が建っている。墓の正面中央に「高野山講坊先師行空上人」右に「天文十六年」左に「五月六日」左側面に「時宝暦十天三月日 講坊法印弟子戒浄建立之」と刻してある。今日でも法要のある時は、紀州高野山本覚院(元禄年中に講坊を待宵の小侍従の戒名「本覚院殿湛然如眞善女」にちなんで改称したという)より住職が墓参されるそうである。

 つづく。

▽かささぎの独り言

此処まで読んで、ひとこと。

ああそうだったのか!と思ったのは、
かささぎの胸の中では、黒木すけよしの話(愛人を連れて帰ったので妻がやきもちをやいて入水してしまった)ともう一つのこの行空伝説とは、どうにも接点がないような気がしていて、まじわらない別々の話に思えていました。ですから、なぜ急にすけよしの愛人の小侍従は脈絡なく行空という天下の悪僧(ええっとおちんこをきりおとされる罰則をうけていますよね)をわざわざ選んで、そのひとに自分たちのあかんぼうがうまれてきても不具者だったこと(「小侍従一子をうむに牛たり」*)、その因業のおもさをなんとか回向して晴らしたいと願ったんだろうか?とふしぎでならなかったのです。
かささぎの目には、急になんで行空なんて通りすがりの僧(いっしゅくもの、ながれもの)に請いすがるのかと不思議で仕様がないのでした。
それが、この文章をよみますと、すけよしとまつよいのこじじゅうが行空をすがった理由として、剣が淵伝説があったから、なんでした。ああそうかそうだったんだね。って目の前がぱあっとひらけた気がしましたよ。
なんでそのことに気づきもしなかったんだろう。
私が読んでいたのは、黒木の教育委員会作成の副読本しおりだったのです。
かささぎの旗にも全文うちこんでいます。
行空のこととは関連づけて書かれてはいませんでした。

▽かささぎの旗、行空の墓関連

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-0a0a.html 

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-75f4.html

この碑に刻されていた稲葉猊下も、今年一月になくなられました。

こうやんどう(高野堂)

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-011f.html

調城哀話

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-df56.html

5

行空の墓

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-b7a9.html

和田重雄・著  『貞享版 黒木物語』

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-1.html

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コメント

これを今読み返していて、あらためて不思議に思ったのは、国武先生はこの文章をかかれたとき、おそらく黒木谷の行空のお墓へも取材に行かれたと思うものです。先生は国文学者であられますので、その墓石の年号と、伝説の年代との歴然たるくいちがいについて、きっとなにか思われたはずです。
が、それについての記載が全くないので、気になります。
もう一点。
行空は「法華経」を誦しています。
わたしはそのことを気にもとめていませんでした。

改めてかささぎさんのご尽力に感謝致します。

ところで、「小侍従一子をうむに牛たり」は恐らくは「丑」。少々解釈が異なります。妙見に関連する事と思います。

ふうん。そうなんだ。
うたまるさんは独特ですね。
教えられることが多いです。

さっきまで娘夫婦がいました。
新郎はとってもかわいくおとなしかった。

羽犬塚駅まで送り届け母と二人ほっとしてます。

帰路、娘が行きたいといった、筑後けやき通りのシャトレーゼへ立ち寄りました。自然素材のお菓子やさんで、和菓子洋菓子どちらもあります。アイスも。さすがに娘は若いので情報が早い。博多にはないけど、筑後にあったなんてなまいき、ってひとりごと言ってた。ここ、ホームページ↓。食事制限などがある人や自然志向のひとたちのためのお菓子やさんみたい。都会にはたくさんあるんでしょかね。
御客さん多かった!!ひっきりなしってかんじ。

待宵の小侍従と高野山講坊

検索でここへおいでくださった方に感謝。
そうか、いまごろはっときづいたんですが。
女人高野っていう歌仙を以前まいたことがあります。前田圭衛子先生の発句でした。かささぎがさばいた文音歌仙。にょにんこうや、これと高野山講坊はおなじなんだろうか。
いちども行ったことがないのでわかりません。
なにか浄瑠璃にあるみたいですが。

んで。女人高野という題の歌の歌詞をかいた人がいて、それは五木寛之だったんだよね。たしか・・・

女人高野とは室生寺の別名です。
私は23年ぐらい前の冬、飛鳥地方で行われた「ひな祭りマラソン」(ということは3月だから冬と言えるかどうか?)の後、ここを訪ねました。おりしも小雪舞い散る中をただ一人、長い階段の下から五重塔を見上げた時、雪化粧をしたその美しさが、今でも眼に焼きついています。
確か数年前の台風で、その上層部分が壊れたけど、その後ちゃんと建て直されたようですね。交通の便の悪いところにあるので、なかなか行く人は少ないけど、一見の価値ありです。

むろおじ。
雪舞う中をただひとり。
そう、そんなイメージで、女人が裸足で駆け上がっていくんです。やはり和服でしょうね。
いえ、すみませんが、連句の発句でした。
前田師の。かすかに覚えています。
○○や裸足で雪の高野へと

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