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2011年5月23日 (月)

イタリアの社会保障制度(1)               神聖ローマ帝国の「sacrum」が今も残る国

保健医療経営大学学長
 橋爪 章
2011 年 5 月 23 日 イタリアの社会保障制度(1)

ドイツとイタリアと日本とは第二次世界大戦では同盟関係にありましたが、わが国の社会保障制度はドイツの影響を大きく受け、イタリアの影響は小さかったようです。

イタリアの歴史的特徴は、イエズス会など、慈善活動を行う組織や団体が古くから発達していたことにあります。

また、中世以降は、職業団体を中心に相互扶助制度も展開されています。

第二次世界大戦では敗戦国となってしまいましたが、わが国と同様、高度成長期を経て、戦後に現在の諸制度の原型が形成されています。

イタリアは、高齢化や少子化の進行の早さも、先進国の中ではわが国と肩を並べるほどの突出した存在です。

従って、やはりわが国と同様、近年は、めまぐるしく社会保障制度改革を行っています。

しかし、イタリアの社会保障制度は、わが国とは大きく異っています。

イタリアでは、カトリック教会の理念が社会保障の理念に大きな影響を与えています。

カトリック社会には「補完性原理」という基本原理があります。

これは、小さな組織を包括する団体は小さな組織で処理できないことのみを補完的に担当する、という原理です。

下位組織が履行できることには上位組織は介入しない、という当事者の主権を尊重する考え方ですが、このため、民間の慈善活動や非営利活動、ボランティア活動、家族なども社会保障の担い手に位置づけられています。

特に家族の役割は福祉において中心的な存在であるとイタリアの福祉白書で謳われています。

イタリアでは、年金、労災、失業などの「社会保険」制度を除いては、福祉も医療も地方分権が進んでいます。

わが国では全国的な平等の実現を求めて中央集権的に社会保障制度が発展してきましたが、イタリアでは州(人口100万人規模)ごとの社会保障です。

結果として地域格差(特に北部と南部の差)が生じています。

(保健医療経営大学「学長のひとりごと」)

イタリアといえば、離婚率が低い国ということしか知りません。
それにこれを読み、やはり神聖ローマ帝国のボス国なんだと感じた。

イタリアの離婚と結婚に関するあれこれ

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1126368246

▽かささぎの独り言

きのう、神津呂伊利さんから介護中であられた御父上が突然亡くなられたことを報じる長文のコメントをいただきました。

それをここにアップしたものかどうか思案しております。
世に偶然は一つもないのであれば、これまで通り、呂伊利文書として公開いたしたい。
一読後、どういうわけか、わたしはすぐ学長が書かれていた死亡数の急増についての文章を連想しました。数字というのはそれ自体に感情はありませんが、どう読むのかで深い意味をもちます。統計と政策や制度、そして世情をそれに絡めなければ正確には読めないという事だろうと思います。

死亡数の急増。
その理由をおもうともなくおもっています。
今現在のかささぎ父の入院生活や介護や看護や、、、も背景にあり、いつもいろんなことを感じながら想いながら暮らしているからでありましょう。
ヒントがそこにはぎっしりと詰まっています。
そして、きょうの学長ブログのイタリアの特徴としてあげられたことのなかにも、連句仲間の山下整子の現況http://tanka-souko.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-5c4a.htmlのなかにも、その答えがひそんでいるように感じるのは、わたしだけでしょうか。

▽神津呂伊利氏のコメント

コメント

5/2に、「もうこのへんで、この病院関係のことは打ち止めにしたいが」と書いたが、それでは許されぬ事態が続出した。みなさん、魔狸蛙様への信仰深い方には、しょせん異教徒の戯言と思われるかもしれぬが。

父は4/4に「緊急入院」させられ、しかし手術は4/12、それには医療上の様々な事情があるのでしょう。そして内視鏡による手術も成功した、と明るい表情で家族に宣った若い医者。手術後だから無理させない方がいいかと思いお見舞いも差し控えていたら、いや実は腸閉塞起こしているので、むしろ毎日来てもらって少しでも歩かせた方が、って、早よ言わんかい…そして家族の側から見たら、その腸閉塞がだいぶ悪いにも関わらず、食事制限の継続などで数日間「様子見」してたのかどうかしらんが、4/21に、いきなり緊急開腹手術の一報入る。
手術後、ICUに勝手に家族以外の人間を入れていた(そしてお見舞い金行方不明事件があり、弟が父の認知症を疑った)のは先述のとおり~姉が怒りの抗議をして、その後は身元を確かめてからしか入れてないらしい。

さて問題はこれからです。父は5月初旬に一般病棟に移ったけど、何だか様子がおかしい、ICUに入ってる時はまだまともに受け答えしてたのに、何だかそれこそ認知症状態になり、それでも医者・看護師は、順調に快復していて特に問題はないですと答えていた。いきなり術後の経過説明をしましょうと気安く言う医者に、いやそれは最低子ども2人以上で聞きたいと、あちらの時間の都合に合わせて決めた、その4/11朝、突然病院から危篤状態との連絡が入り、結局1時間後ぐらいには帰らぬ人となってしまった。
医療上、いろいろ不測の事態があることはわかりますよ、年が年だからというのもわかりますよ、しかしいかに言い訳されても、今回の入院後から急逝までの出来事には納得いかん。以前ここに、病院も人次第と書いたし、脳外科にすばらしい先生がいらっしゃるというのも書いたが、肝心の病院としてのシステムがなってない。それはもう、あっちこっちで感じた、病棟や診療科ごとの横の連絡が、放射性物質に汚染されてるわけじゃあるまいが、ちゃんと機能していない(要するに伝わっているべきことが伝わっていない)。弟の友達というので頼りにしていた院長は、三陸地震・津波だか原発関係だかしらないが、長期不在。いや、それは大切な仕事ですよ。でもそれで肝心の、お膝元の、しかも助かると言われた患者を死なしてどうするんですか?

かくしてその後は、認知症で父の死を告げることさえ難しい母に代わり、喪主代理として葬式準備やとりあえずわかる範囲での連絡。日田のお寺は無住職だし、久留米には西本願寺系の寺が1つしかなく、ここは甥の葬式やった時、姉も私もイマイチ良い印象が持てなかったのを覚えてる、西も東もあるか、同じ親鸞上人の教えではないか、と、割と真っ当そうな、いわゆる葬式仏教を超えた活動をしてるお寺に突撃依頼、友引なんて迷信に構っちゃいられねえetc.etc.
そういうわけで、今やっと一段落かというとそうでもないのです、預金の解約の複雑さ、母を今後どうするか、そんな問題山積みの中で、生活費のためにはいつまでも無給の介護休暇取ってはおれないので、とりあえず仕事にカムバックして、月に2回ほどの行ったり来たりとなるでしょう。

あ、近況報告が眼目ではなかった。
ようするに、なぜ手術がうまくいき、ガンを除去して転移もなく、腸閉塞がひどかったはずなのに放置状態にされ、いきなり緊急手術で、素人目には悪くなってるように見えるのに、順調に回復してますのお言葉、その舌の根も乾かないうちに突然の危篤の知らせ→急逝というのが納得いかんのです。
そういや、「手術は成功したけど患者は死にました」というブラック・ギャグを聞いたことあるけど、それに近かったかも。

セカンドオピニオンの希望を無視されたのも気に食わん。食通で、入院直前まで食欲旺盛だった父が、1ヶ月以上も口からものを食べることができず、持病の喘息にもちゃんと対応してくれず、おそらく入院後の体力の衰えが、直接の死因(誤飲性肺炎?)になったらしい。だったら父が最初に希望したとおり、余命数ヶ月、いや数日でもいいから、うまいもん食って、酒飲んで、行きたいところに行って、会いたい人たちと会って死んだほうが、本望だったのではないか。今後の医療のありかたを考える上で、参考にしてください。

蛇足ながら、死後退院して5日目ぐらいだったでしょうか、お見舞い客の持ってきたお金を預かってましたという連絡あり、またかよう!開いた口が塞がらぬとはこのことだ。自分や親族が同様の病気になった時は、少なくとも久留米ではもっと評判のいい病院を紹介しますよ。

追記:父は上広川の梯出身で、旧姓大森、その墓は「願正寺」というところだそうです。分骨しようとかいう気は、父にもなかったけど、せめて1度父方のお墓にお参りしたいと思ってます。どなたか場所を御存知でしょうか?

ああ、ロイリさん。お父様の急なご逝去、謹んでお悔やみ申し上げます。
度重なる病院の不手際、さもありなんといいたし。
家の父も有名な脳外科B病院に入院していたが、食事を数日与えられず、栄養剤みたいな点滴もされぬまま転院。新しい病院では顔を見たとたん栄養剤の点滴が開始された。数日後、帰らぬ人となった。未だにB病院の判断ミスだと思っている。大事にはしなかったけど。

東京との往復、たいへんでしょうが、体を労わりつつ、お勤めください。

呂伊利さんへ

御父上のご逝去を悼み、慎んでお悔やみを申し上げます。
五月十一日にお亡くなりになったのでしょうか。
いろいろあってたようで、ずいぶん心残りでありましょうね。
ですが、それももう、すんでしまったことです。
こころの整理がつくまで、時間がかかられるとおもいますが、ろいりさんたちごきょうだいは、御父上をとてもだいじにおもわれていたのだなあ。とコメントをよみながら、あらためてかんじたことです。

ろいりさん。
わたしの父もこのところ、なんども転院、手術とやっていて、家に帰りたいと口癖のようにいいます。
あさって、またリハビリのほうに転院しますが、その前に一度、わたしは家につれて帰ろうとおもっています。ろいりさんコメントをよんでよかった。ありがとうございました。

上広川のお寺のことは、せいこさんなら知っていると思いますが。だけど彼女も今、お義父上のことでいっぱいいっぱいらしくて、どうにも聞きづらいですよ。

  1. sac・rum-ランダムハウス英和大辞典

    n. (pl. sac・ra[-kr]) 〔解剖〕 仙骨.⇒PELVIS (図)[1753.<後期ラテン語(os) sacrum 聖なる(骨)(ギリシャ語 hieròn ostéon の翻訳)] ...

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コメント

>食通で、入院直前まで食欲旺盛だった父が、1ヶ月以上も口からものを食べることができず、持病の喘息にもちゃんと対応してくれず、おそらく入院後の体力の衰えが、直接の死因(誤飲性肺炎?)になったらしい。(roiri)

そうでしょうね。
食べることができなくなったら、ぼけたようにもなるし、考える力がなくなりますし、すべての生命力は枯渇します。だから、父が最近した手術後、刻み食でかたちのない食べ物を食べて余計食欲をなくしたとき、もとに戻してください、とたのみました。
歯が丈夫なので、食感はだいじだからです。

こないだ娘が帰ってきたとき、仕事のことを話していたら、むすめのつとめている病院では、きざみ食やミキサー食のひとたちにもかたちのあるたべものを供しているって。なぜか?圧力をかけて調理する機械があるんだそうです。それでしゃちょーさんがそのことでてれびにだったか、ざっしにだったか、しょうかいされたよ。というようなはなしだった。これはとってもすごいことなんじゃないかな。食欲ってだいじだものね、なによりも。
呂伊利さん、すみません。こんながさつな話でしめくくって。
ではいってきます。

ろいりーさん。
お父上のご逝去、こころよりお悔やみ申し上げます。

こんなときに。奇遇ですね、もないものですが、奇遇ですねえ、わたしの実家も、願正寺の檀家です。
上広川校区で保育園を経営なさってる、由緒正しいお寺さんですよ。
行政区は馬場区。
3号線川瀬信号を東へ。役場信号を通り越し、吉常の信号も通り越し、左手にたぶん、お父上の母校であるはずの上広川小学校が見えてきたら、近いです。小学校と同じに広川ダム方面に向って左側にあります。リハビリテーション大学かなんかの大きな看板があがってるところ。地元では有名だから、もしもわからないときは通行人にお尋ねください。通行人が少ない田舎なのが難点ですが・・。

あら、ここにもお悔やみの言葉が…重ね重ねありがとうございます。seikoさん、奇遇ですね。夏あたりに行ってみたいと思ってます。

はあ、あのお寺がそうでしたか。
かささぎは職場の面接をうけるのに、あのお寺から右へまがり山へいきました。○○はどこですかと聞こうと思いましたが、だれも通りませんでした。笑。

ひめ、その山の上にある施設。
父が通所リハビリに通ってるところよ。
以前、ツネコが勤めてたのもそこ。

ろいりーさん。
ここの亡くなられた先代のご住職がわたしは大好きでした。50代半ばでなくなられた。
知的で紳士的なかたでした。博学で。
あの先生は、ろいりーさんと話があったかもしれないなあ。

それはぜひ1度お会いしたかったですね。10年ぐらい前に亡くなった叔父(父の兄)は知り合いだったんでしょうね。いや、その娘(未婚、私の従姉)も知っているかも。今度聞いてみます。
お会いする機会がなかった、それこそ縁(えん)がなかったとあきらめるしかないでしょう。ラッキーパチンコ屋の初代社長も、光華楼の初代店主も、ほんの数年前に父に頼めば、昔の久留米のことが、そしてロイリー映画館のことが聞けたのだが。これも縁がなかった。しかし光華楼初代店主の娘とは縁あって、最近その人の経営する、小頭町公園の近くにある店に時々一人飲みしに行きます。
おっと、父の葬式準備のため写真を整理していたら、昔の私の家と、その隣のロイリー映画館の写ってる写真が出てきましたよ、ぼんさん。

いつかお会いする日がまた来るでしょうから、そのときにでも。彦さんも会いたがってますから。

あのね。まったくかんけいないことでごめんね。
いつものことだから、きにもとめないか。笑。
光華楼、とか○○楼、っていう中国風のなまえをよみますと、なんでかしらんのやけどさ。あたまつるつるで、どうして頭頂部から一本のぶっとい三つ編みができるんや!!て強い物理的疑問をかんじてしまうねん。あの中国風の男性の歴史的髪型なんすけどね。どなたかごぞんじでしゅか。

清王朝が、その出自たる満州族のヘアスタイルを強制したものです。だからそれを嫌った太平天国革命は、「長髪族の乱」と呼ばれました。思えば、1970年前後が青少年期だった私らも、それをもじって長髪にするのが反抗者的気分でした。
日本のチョンマゲだって外国の人々は、「強い物理的疑問をかんじてしまうねん」と思ったでしょう。あとは自分で調べてください。ちなみにザビエルの後頭部の謎についても。

社会保障制度の骨格が作られた時代の特徴'検索90,300件中4位です。
このような抽象的なことばによる検索で上位にくるのは立派と思う。
ちなみに一位はここでした。↓

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