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2011年5月 7日 (土)

放射線、放射能と健康被害(9)                 200ミリシーベルト以下の被曝の真実

保健医療経営大学学長

 橋爪 章

2011 年 5 月 7 日 放射線、放射能と健康被害(9)

小佐古敏荘教授が政府の放射線管理方針が看過できないとして内閣官房参与職を辞任されました。

国民の立場からは、政府の方針が誤っているのではないかと不安になる出来事です。

小佐古教授の抗議事項のひとつは、福島県の小学校等の校庭利用について、年間20ミリシーベルトの被曝を基礎として導出された線量をもって線量基準が決定されたことに対し、放射線管理上、受け入れられないということでした。

「年間20ミリシーベルト近い被ばくをする人は、約8万4千人の原子力発電所の放射線業務従事者でも、極めて少ないのです。この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは、学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたいものです」(小佐古教授)

これに対し、政府側は、年間20ミリシーベルトの被曝を基礎としても問題はないという姿勢を崩していません。

政府と小佐古教授の立ち位置の違いが浮き彫りになっています。

この争点に関し、学問的に、あるいは科学的に明らかになっていることは、このブログでも再三述べてきた通り、

「200ミリシーベルト以下の被曝については、健康影響があるという実証も、健康影響がないという実証も、いずれもない」

ということです。

200ミリシーベルト以下の被曝について実証研究がなされていないということではなく、むしろ、原爆や原発事故の被曝者、放射線従事業務者について数万人、数十万人が調査されているのですが、健康影響が実証されるような研究成果は出ていない、ということです。

それならば20ミリシーベルト程度では健康影響はないと言えるのでないか、というのが現実問題として利害調整の妥協点を見出すことに日々腐心している人々の立ち位置であるとしてもおかしくはありません。

しかし、ICRP(国際放射線防護委員会)の放射線管理の考え方は違います。

実証が難しい極めて低い線量であったとしても被曝線量と健康影響の出現頻度は確率的に比例すると考え、被曝線量については、合理的に達成可能な限り低く(ALARA:as low as reasonably achievable)管理するべきであるというのがICRPの立ち位置です。

低線量被曝の場合に確率的影響があるというのは「仮説」に過ぎないのですが、そもそも安全管理は、起こりうるリスクを最小化するということが立脚点ですので、科学的にあるいは論理的に「仮説」が棄却されない限りは、起こりうることとして想定しなければならないのです。

この最も慎重な考え方は、ICRP勧告第26号で採用されて以来30年以上を経過し、現在は、人間の健康を守るために最も合理的な放射線管理指針として、各国の法的規制に取り入れられ、定着しています。

私もかつて、小佐古教授はじめ専門家の御指導を仰ぎながらICRP勧告第26号を厚生省(当時)の関係法令に取り入れる作業を担っていたことがあるのですが、このような慎重な放射線管理が行われてきたからこそ、私たちは、今日、放射線の医学利用の発達の恩恵を享受することができています。

以前は、病院内での治療用放射線源の紛失事件がしばしば起きていましたが、最近は希有です。

放射線管理習慣の定着の賜でしょう。

ICRP勧告がないがしろにされていれば、医療不信が爆発していたかもしれません。

ICRPは、低線量被曝健康影響「仮説」の適用について、

この仮説は放射線管理の目的のためにのみ用いるべきであり、すでに起こったわずかな線量の被曝についてのリスクを評価するために用いるのは適切ではない

としています。

なお、この「仮説」については原爆症認定訴訟の争点ともなっており、裁判所の判例では、「仮説」が棄却されていない以上、健康影響(原爆放射能に起因する健康障害)は低線量でも起こりうることとされています。

これはICRPの仮説採用の論拠とは異なり、日本の裁判所の独自の判断です。

このほか原子力利用を推進する人、反対する人、それぞれの立場で「仮説」が一人歩きして「定説」化していたりします。

この際、私たちは真実を知り、確かな知識として普及すべきです。

「200ミリシーベルト以下の被曝については、健康影響があるという実証も、健康影響がないという実証も、いずれもない」

これが真実です。

いずれ研究が進み、私たちはより深い真実に近づけると思いますが、誤った理解によって必要以上に恐怖感、不安感を助長し、結果として風評被害を拡大してしまうような愚は避けなければなりません

(保健医療経営大学『学長のひとりごと』転載)

参照記事;http://newtou.info/entry/5063/

▽かささぎの独り言

このところ、毎晩のように、小出裕章助教という話題の反原発学者の話を聴いてきました。
先日は小出助教の若かりしころのフィルムまでが動員されていました。(動画・牛乳が飲みたい)
そして今朝。ヤフーをひらくと、見出しのところに、浜岡原発の停止の話題。
わがブログをひらくと、さっそく元官僚の以下のコメントがありました。

コメント

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/1988-20da.html#comment-83143726

   ↑
冒頭(と最後)の寸劇がいいですね。

ところで首相、稼動中の浜岡原発の停止を要請とか。
関係者は寝耳に水。
世論を窺って、思いつき命令なのでしょうね。
どんなに優れた判断であっても、こんなやり方だと現場は付いてゆけません。

総理の談話は以下のとおり。

http://www.tweetdeck.com/twitter/nhk_kabun/~CrQCs

同じ話題への波紋記事。

「6日夕、突然発表された中部電力浜岡原発の運転停止要請で、これまで環境問題やエネルギー安全保障の面から「化石燃料だけに依存できない」としてきた日本の原子力政策は真っ向から否定され、関係者に衝撃が走った。菅直人首相が自ら原発を捨て去ったことに、監督官庁の経済産業省幹部からも「海外に誤ったメッセージを送りかねない」との声が上がった。」

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コメント

学長。
200ミリシーベルトと20ミリシーベルト。
なぜ福島での数字に小出助教たちがあんなにもおののいているのか、学長のこの文章をよむことでそのわけがわからなくなるおそれがあります。わたしも混乱します。どうかそこのところをなんとかしてください。
いまおきていることの、この不安の正体はなんなのでしょう。

>すでに起こったわずかな線量の被曝についてのリスクを評価するために用いるのは適切ではない

というICRPの主張をよく味わい、理解することが必要でしょう。
すなわち、過去形の被曝であれば、200ミリシーベルト以下であれば杞憂で、未来形の被曝については1ミリシーベルトいえども余計な被曝をしなくてすむよう警戒すべき、という割り切った考え方。
現在の混乱は、過去形の被曝線量と未来形の被曝線量とが(意図的に?)ごっちゃになっていることに起因します。
福島の小学校については、今現在の土壌や大気からの放射線量で将来を推測し、それが1ミリシーベルトを超えるようだったら警戒すべきです。
ところが政府は、原発事故当時からこれまでの過去形の累計線量まで考慮するものだから20ミリシーベルトを線引き基準にせざるを得なかったということ。
小出先生ほか反原発の立場の人は、過去の被曝も含めて問題視されていますので過去形と未来形との区別なく危険性を強調されていますので、情報を受け取る側で過去形と未来形を切り分けて熟考するしかありません。
過去形の被曝にウェイトを置くのであれば、昭和30年代以前に生まれた私たちは、皆、アウトです。
広島・長崎に居住している人々もです。

   ↑
この補足説明は、学長ブログにも必要でしょうか?

とうぜん必要です。
どっちをどう信じていいのか混乱しますし、わけがわかりません。
それに加え頭をよぎるのが、チェルノブイリ事故での先例です。学長の御意見では、今現在ぎりぎりまで被曝してしまった年齢の人は、もうそこでこれ以上の被曝は避けた方が無難なのですから、結局はあちらさんたち御一行様とおなじことを別の言葉で遠回しにおっしゃっているのですよね。

というところで、これをごらんください↓
こんなことになっていたなんてあわわです。
ごぞんじでしたか。やはり目でみるのが一番ですね。
想像以上に被曝している都民、というサイトもありますね。目でみえないことはおそろしいことなのか、それとも見えないからこそありがたいことなのか。
これもわからないことのひとつです。

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