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2011年5月27日 (金)

コイデ助教核語りき&元官僚かく語りき&呂伊利さんはこげんいわっしゃったげな。


コメント
メルトダウンが2か月間もわからなかったなんて、見え透いた嘘。
政府発表がなにひとつ信じられない。
4号機は燃料棒を全部プールに引き上げて定期点検のため停止中だった、という当初発表は信じていいのだろうか?もし嘘だとしたら、日常的な杜撰管理が問われ、原発維持には致命的となります。また、停止中だったということで、冷却水対策もなされていません。
4号機で謎なのは、建屋が今にも壊れんばかりの大爆発が起きているというのに、使用済み核燃料プールの中の燃料棒が原因ではなさそう、という調査結果。
じゃ、どこに原因が?
宮崎学氏が4号機を追っています。
ブログコメントに、防衛省が上空から観察した温度計測データがありました。(↓)
この画像で問題のプールが熱を帯びていることがわかるのですが、休止しているはずの原子炉の上あたりも熱を帯びているように見えます。燃料棒の取り残しでもあったのでしょうか?
4号機には、もうひとつ謎があります。
震災直後に行方不明となっていた2人の東京電力社員(運転管理部に勤務する20代前半の男性)が全身外傷失血で死亡されているのが発見されたのが4号機でした。報道によると、2人は、震災当日、中央制御室から4号機タービン建屋地下1階の調査に行ったまま行方不明になっていたということですが、なぜ運転休止中のタービンを2人がかりでまっさきに調査に行かなければならなかったのでしょうか。震災直後の一刻を争う危機管理でしょうから、稼働中の1~3号機を優先し、他は1人ずつ手分けして点検に走ればいいような気がします。
この二人は、数週間前までイスラエルのMagna BSP社で研修訓練を受けていたといくつかのブログにありました。被災地に早々と駆け付け、外国人医師団として唯一診療許可を得たのもイスラエルの医師団でした。普段、日本とはあまり接点のない国が唐突に出てくるのも変な感覚です。
ブログに、4号機の定検工事中に震災に遭遇された方の証言があり、4号機ではその時、漏水があったそうです。作業現場は、死角なく常にカメラで録画監視されているが、録画されたVTRデータが公開されないのはおかしい、とも書かれています。

投稿: 茹で日本 | 2011年5月25日 (水) 19時17分

ん。イスラエル。
うーん。最近イスラエルって国、何かでとりあげました。なんだっけ?
そうだ!ぞろ。くすりの後発品で世界一のシェアをもつ会社はイスラエルの会社、手羽社だったと。この会社、世界一の製薬会社ファイザー社の高血圧薬の後発品を売ろうとしてファイザー社に差し止められたというニュースもあります。んが、日本はのみこまれちゃったのです。アメリカさんの懸命なきもち、わかります。すきあらば、のっとられちゃう。ゆだやに。
ほかにもまだなにかあった。
ちょいまった。
香川宜子先生のエッセイ。
旧約聖書のお話。
「イサクにはエソウとヤコブという息子が生まれ、ヤコブには12人の息子が生まれました。あるときヤコブは天使と相撲をとり、みごと打ち負かしました。天使は「これからは、神と戦う者という意味で”イスラエル”と名乗りなさいと言いました。
この天使と相撲をとったのが相撲の起源で、相手が神の使いなので神事となるわけです。日本の相撲で行司が「ハッケヨイ、ノコッタノコッタ」というでしょ。日本では単なる掛け声だと思われていますが、ヘブライ語で、「ハッケ」は撃ってしまえ、「ヨイ」はやっつけろ、ノコッタは、あなたは敵を打ち破った、という意味だそうです。なぜ日本の神事として相撲が定着したのでしょうか。不思議ですね・・・・。
「イスラエル」と改名したヤコブの家系は「イスラエル12支族」と呼ばれるようになり、それぞれ独自の気質がありました。
中略、防衛的で正義感に富むカド族、日本はこのカド族が中心になっているといわれ、御カド族だから「ミカド」、カド族の最初に生まれた長男の名前は「ニェッポン」というのです。

かささぎの旗はまったく関係ないことばかりかきますが。
どこか以前竹橋乙四郎ってひとがかいていたこととつながりませんか。

投稿: かささぎ | 2011年5月25日 (水) 20時32分

関係あることもかきます。
今すぐにも管直人を退陣させよという参院議長にしおか氏の発言録から。


「記者:改めて総理に不満が募られた発端は

西岡氏:不満じゃないですよ。冗談じゃないですよ。怒りですよ。

記者:その発端は?

西岡氏:尖閣以来ですね。ずっと。今度の東日本大震災については初めっから私、怒っているんですよ。3月13日に定例の記者会見があったんですよね。そこで私は福島の、東電福島の原発が、言葉はそういう言葉を使わなかったが、メルトダウン起こしているんじゃないかという趣旨のことを13日に述べているんです。で、皆さん方には書いていただけなかったけれども、結局、そうだったわけでしょ。何日か前にわかったわけですね。そういうこともぜひ思い起こしていただきたい。」

投稿: かささぎ | 2011年5月25日 (水) 20時40分

小出さんの職名「助教」って何だろうと気になっていた。助教授という名称はなくなり、今は准教授というはずだが…と思いつつ、今日初めて調べたら、「大学の場合、現行の学校教育法では、教授、准教授の次の職階に位置する」ということ。つまり昔でいう助教授より下っ端で、でも助手よりましってことか。しかし年齢といい、実績といい、どう考えてももっとランクが上だと思う。しょせん、御上に逆らうとこうなるということか?
そういや水俣病を初めとする公害問題の第一人者だった宇井純も、東大の万年助手だったしな。
昨日、同い年の同僚で京大工学部出身の数学の教員に聞いた話、それでもまだそういう叛骨的人物の居場所があるだけ、東大より京大がまし、と、それは私もそう思う。だからノーベル賞も、科学的分野では、東大関係者より京大関係者が多いのかな。

投稿: 呂伊利 | 2011年5月25日 (水) 21時50分

うん。
コイデさんたち反原発派御一行は、たしかにすばらしいのですけども、実証派ともいえる、ナガサキ被爆者二世の山下長崎大教授の姿勢も、なかなか立派だと思う。われらが竹橋乙四郎先生も、この先生の観点とほぼおなじであるように見受けられます。いま、まだまったく出口がみえないこのような非常事態のときに、あえてこのような意見をもって現場へ出ていくことのしんどさは、はかりしれない。
これ。ユーチューブでみれます。↓

投稿: かささぎ | 2011年5月25日 (水) 22時41分

山下先生はセミパラチンスクでの国際協力の同志です。誰よりもたくさん、放射線で健康被害を被った患者を診ておられます。頭の中で健康被害を作り出す人たちと同じ土俵の人ではありません。
同姓の柔道選手のご親族です。笑顔がよく似ておられます。

投稿: 乙四郎 | 2011年5月26日 (木) 00時33分

国会はきちんと議事録を残しますので隠蔽はできません。
次の議事録は社民党の福島党首が浜岡原発停止の判断を迫った時のものですが、それに続く次のくだりが、今回の「水かけ論」以前の政府の認識を知るのに役立ちます。
この頃は、海水注入は12日の18時に総理命令ということで口裏が合っていた形跡があります。(誤った前提のもとで質問しないよう、国会質問に先立ち、質問者は政府当局に事実関係を確認する習慣があります)
3月28日(月)参議院予算委員会議事録
<福島みずほ君>
(前略)
次に、なぜ初動が遅れたのか。ベントや海水注入が遅れた理由についてお聞きをします。
十一日、地震が起こってしまった十時に、政府の報告書によれば、二時間五十分後、燃料溶融、二号機が炉心溶融すること、三時二十分にベントの実施をすることが予測をされています。一、二号機とも炉内圧力を下げるためベントの必要性が出てきた、これが二時半です。四時に保安院に実施を相談しています。しかし、実際、ベントが行われたのは十時間半後です。
私は九時半に保安院に連絡をして、事情を聞きました。燃料棒が損傷している可能性がありますねと聞いたら、そうですと言って、これからベントをやります、ベントの一つは開けましたという答えでした。なぜベントがこのように遅れたんですか。
<大臣政務官(中山義活君)>
前回の御質問でもありましたけれども、海水注入が遅れたというようなことも言いましたよね。私たちはちゅうちょなく、早く炉心を冷やすということが一番大事だということで、ベントも圧力が高いうちは水が入らないということで、順次安全をよく監視しながら、私はできる限り早くやったつもりでございます
<福島みずほ君>
答えになっていません。四時にはもうベントをするということを、朝の四時に言っているわけです。私が九時半に電話したときも、今からベントをするという答えでした。
私は国民が聞いたら怒ると思うのは、十一日の夜十時に、二時間五十分後に炉心溶融するというふうにもう予測を立てているんですよ。一刻を争うときに、一刻も早くベントをして、一刻も早く海水注入すべきじゃないですか
<大臣政務官(中山義活君)>
初動に関しましてはいろんなやっぱり見解があるとは思いますが、とにかく止める、冷やす、閉じ込める、これについて全力を尽くしているわけですから、その冷やすということにおいて、ベントをして圧力を下げて水を注入すると、これについては時間をちょっと、いろんな意味で慎重になり過ぎた部分もありますが、早く冷やすということに関しては一刻のちゅうちょもしたことはありません
<福島みずほ君>
いや、理解できないのは、もう夜、前の日の、地震が起きた十時に、二時間五十分後に炉心溶融と予測しているんですよ。四時には保安院に実施を相談しています、朝の。もうこれはやるという状態じゃないですか。なぜそれが十時間半後になったのかということです。
<大臣政務官(中山義活君)>
繰り返しになりますが、少しでも早く冷やそうという気持ちは我々は一番、みんなが思っていることです。できる限り早くやろうと思っていたことを皆さんに申し上げたいというふうに思います。
<福島みずほ君>
答えてください。九時半にこれからベントをすると聞いて、二時半なんですよ、ベント開始が。なぜそんなに遅れるんですか。しかも、もっと早くできるでしょう。
<政府参考人(深野弘行君)>
ベントでございますけれども、一番優先してベントをしようとしたのは福島第一の一号機でございました。これにつきましては、ベントをしなければならないということで、ちょっと詳細な時間、あれでございますけど、夜中のたしか一時半ぐらいだったんではないかと思いますが、もうベントはこれやるべきだということを大臣等々で判断をいたしまして、東京電力にはその旨を伝えたところでございます。その後、東京電力でどういう手配が行われたか、これはよくまた検証する必要があろうかと思っておりますけれども、ベントを実際に操作をしてもなかなか弁が動かなかったというようなこともあったやに聞いておりまして、その辺は改めて検証することが必要ではないかと思っております。
<福島みずほ君>
二つあるうち一方は開いたんですよ。なぜそれでできないんですか。
<政府参考人(深野弘行君)>
二つあったうち一つは電動弁であったかと思います。電動弁は電気が電源喪失になっておりました。もう一つは、いわゆる圧縮空気で動かすようなタイプでございまして、こちらの方もなかなかうまく動かなかったということのようでございます。これについては、いずれにしても、まだ詳細な検証が必要かと思います。
<福島みずほ君>
前の日の十時に、あと二時間五十分後に炉心溶融と出ているわけですよね、予測。だったら一刻も早くやるべきであって、ベントをしてとにかく注水しなくちゃいけない。なぜ、ですから九時半でも遅いと思いますが、なぜ朝方とか四時とかできないんですか。
<政府参考人(深野弘行君)>
ちょっと今の段階で私ども承知しておりますのは、当省で夜中の一時過ぎにそういう判断を官邸も入れて行いまして、それを東京電力に伝えたということでございます。
<福島みずほ君>
班目さん、東電幹部と二時半に協議をし、一、二号機の炉内圧力を下げるため、ベントの必要性を確認していますね。
<政府参考人(班目春樹君)>
そのとおりでございます。
<福島みずほ君>
じゃ、なぜやらないんですか。なぜあなたは総理と一緒に現地に行くんですか。
<政府参考人(班目春樹君)>
私の知っている限りのことを申し上げます。私のすぐそばに海江田大臣がいらっしゃいまして、東電にとにかく早くベントしろと言い続けておりました。その結果なぜベントができなかったということについては、私は、申し訳ございませんが、今のところまだ承知してございません。
<福島みずほ君>
いや、ちょっと唖然となってしまいます。もう炉心溶融かという事態で、何で班目さん、
大丈夫とか言って総理と一緒に行くんですか。そのことそのものも問題じゃないですか。
<政府参考人(班目春樹君)>
総理が現地を視察するということについては、私は、決まるまでいきさつを存じ上げませんので、ちょっと答弁は控えさせていただきます
<福島みずほ君>
二時半にちゃんとそういう話しているんだったら、あなたが安全委員長としてちゃんとイニシアチブを取ってやるべきじゃないですか。東電がやらないんだったら、やれとやるべきじゃないですか
<政府参考人(班目春樹君)>
私の知る限り、海江田大臣が東電にとにかく早くベントしろと言い続けていたことだけは確かでございます。
<福島みずほ君>
東電の社長を、東電について、いずれ集中審議で参考人として呼んでください。
<委員長(前田武志君)>
理事会において協議いたします。
<福島みずほ君>
今、放射性物質が広がっている。やっぱり、なぜここで、十一日、十二日でできなかったのか、これは本当に大きな問題だと思います。
海水注入がなぜ遅れたかについてもお聞きをします。十二日の朝やっていればもっと変わったんですよ。
十二日の夜、少なくとも十八時、総理は、福島第一原子力発電所について海水注入せよと言っている
んですが、二号機については二日間遅れます。なぜこの時点で全部海水注入が行われないんですか。
(後略)

投稿: 元官僚 | 2011年5月27日 (金) 14時52分

   ↑
次の「メモ」が福島党首に渡っていたのでしょう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
枝野官房長官は24日の記者会見で、震災翌日の3月12日に東京電力福島第一原子力発電所1号機への海水注入が一時中断したことに関連し、菅首相が海水注入を指示する2時間近く前の午後6時頃に、首相が注入の指示を出したと受け取られるようなメモが首相官邸内で作成されていたことを明らかにした。実際には、首相は海水注入の可否を検討中だった。メモは首相官邸の危機管理センターで関係省庁の担当者らに配布、回覧されたが、誰がメモを作成したのかは不明という。(読売)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「海水注入は俺の英断ということにしておけ」
「かしこまりました。実際の注入開始は現場判断で午後7時4分でしたので、午後6時の指示ということで口裏を合わせておきます」
(2か月後)
「あの日、東電が勝手に注水を始めたとお怒りだったので、注水が7時25分に中断され、注水再開は午後8時20分だったみたいです」
「そうか、じゃ、怒った理由を考えてくれ。廃炉になるのをためらったとかいうのではないのを」
「再臨界の危険性とか」
「おお、それだ、それがいい」
「でも、再臨界の危険があるのに指示を出したというのでは持ちませんよ」
「では、指示時刻を、班目が可能性ゼロと判断した8時にしておけ」
「再臨界の危険性は誰が言ったことにしますか?専門家が言ったことにしないと持ちませんよ」
「それも班目だ」
「班目氏が7時25分には危険だと言い、8時には安全だと言うんですか?」
「そういうことだ」

(数日後)
「現場判断で中断はしていなかったそうです。24日から来日するIAEA専門家には、ばれてしまいます。どういたしましょうか」
「隠せ。時間を稼げば国民は関心が薄れる」
    ↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
東京電力福島第1原発の事故に関して政府が作成を進めている国際原子力機関(IAEA)への報告書の内容について、経済産業省など関係省庁が、秘密の確保を徹底し報道機関からの質問に対して「ノーコメントと答える」との“かん口令”を申し合わせていたことが22日、分かった。(共同通信)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

投稿: フィクション作家乙 | 2011年5月27日 (金) 16時05分

この件、現場責任者のヨシダさんがやっていたことらしくて。
現場のことは現場じゃないとわからない。
じぶんは安全なところにいて、あれこれ難しい指示だけだしてくるおえらいさんや政治家に、いいかげん頭にきていたのだろう。
こういう人がいてくれるから、まだなんとかもちこたえているんだな。
しりたくないほど、おそろしいことがいっぱいおきている。(かささぎ)

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コメント

おかげさまで連句的に骨のある意見にであえました。
これです↓

日本のマスコミはなぜか事実関係をわかりやすく整理しないままに、この問題から目をそらしていますので、代わりに整理してみました。

①「対応策は政府の指示という形で出すように」(原発事故直後の官邸指示)
②「『原子炉が使い物にならなくなる』と抵抗する東電に、首相が海水注入を促した」(事故当初の政府発表)
③午後7時4分、海水注入開始
④「首相の海水注入指示は午後6時」(3月末の国会議事録)・・・官邸作成メモあり
⑤「(東電の)官邸派遣者が『首相が判断するという感じがある』という空気を伝えてきた」「(午後7時25分頃)首相の了解を得て、ご理解いただけるまで中止しようと合意した」(中断報道直後の東電副社長会見)
⑥午後8時20分、吉田所長名で注水の連絡あり
⑦「東電は3月12日午後7時4分に海水の試験注入を始めた後、原子炉の再臨界を懸念した官邸の意向に配慮し、7時25分に独断で注入を中断。その後、首相の指示を受け、8時20分に再開し、55分間の中断が起きていた」(5月21日の政府発表)

幻の海水注入中断事件ですが、そこに出てくるリアルで具体的な時刻の出所が気になり調べて見ました。
政府発表が、首相の指示、というこだわりで作られた架空の作文であったことがわかります。実際は、首相の指示なしに海水注入が行われ、それに激怒した首相の反応に慌てて7時25分に東電本社が中断を指示、その後8時20分に現場から注水を行う旨の連絡が入ったのを、本社がその間の中断があったと誤解したまま、AIEA調査団へ報告する事実関係として5月中旬に政府に報告、その報告を受けた政府側が「中断再開指示」という架空の首相指示をでっちあげたものと思われます。
従って、「報告が上がっていないものを『やめろ』とか『やめるな』というはずがない」との首相答弁は部分的には正しいといえますが、政府は既に首相の指示があったと発表しちゃってますから、この首相答弁で政府信用はアウトです。

東電福島第1原発の吉田所長は56歳とありました。昭和29年か30年の生まれです。ビキニ水爆(3月1日)の胎児被曝の「ともだち」かも。
以下、Wiki編集。
昭和29年
ちょっと先輩たち
1月:高瀬春奈、中畑清、石田純一、ルー大柴、萩尾みどり、松任谷由実
2月:立川志の輔、ジョン・トラボルタ、石井苗子
3月:吉沢京子、カルロス・ゴーン、ランディ・バース、因幡晃
同級生
4月:林真理子、ジャッキー・チェン、坂崎幸之助、高見沢俊彦、マイケル・ムーア
5月:デーブ・スペクター、丸山圭子、佐々木正行
6月:壇ふみ、野中ともよ、清水アキラ
7月:南沙織、あいはら友子、アンゲラ・メルケル、秋吉久美子
8月:ジェームズ・キャメロン、轟二郎
9月:安倍晋三
10月:高畑淳子、金沢明子、小倉久寛
11月:竹橋乙四郎
12月:水沢アキ、古舘伊知郎、渡辺宜嗣、片岡鶴太郎、庄野真代、高円宮憲仁親王
昭和30年
1月:渡辺えり、ローワン・アトキンソン、伊藤蘭、ケビン・コスナー、太田裕美、高橋惠子、所ジョージ、ニコラ・サルコジ、広瀬光治
2月:ジョン・グリシャム、伊丹幸雄、矢野顕子、スティーブ・ジョブズ、城ヶ崎祐子
3月:ケント・デリカット、佐野史郎、春風亭小朝、ブルース・ウィリス、竹内まりや、フィリップ・トルシエ、山口良一、
ちょっと後輩たち
4月:鳥山明、上沼恵美子、西城秀樹、平野文、田中裕子
5月:掛布雅之、江川卓、桂小枝、内藤剛志、村上ショージ、中村勘三郎18世、ローラ・ボー
6月:九重親方(千代の富士)、藤真利子、具志堅用高
7月:明石家さんま、
8月:リチャード・ヒルトン、アグネス・チャン、宮川花子、エドウィン・モーゼス
9月:倉本昌弘、川口淳一郎(小惑星探査機「はやぶさ」のプロジェクトマネージャー)
10月:ヨーヨー・マ、麻丘めぐみ、郷ひろみ、ラサール石井、坂口良子、ビル・ゲイツ、
志穂美悦子
11月:中野浩一、國村準、
12月:麻生よう子、川中美幸、高砂親方(朝潮)中村梅雀、世良公則、松山千春、野田秀樹、福島瑞穂

この当時の主な出来事です。
昭和29年度
4月5日 - 初の集団就職列車(青森・上野間)が運行される。
4月28日 - 明治製菓が日本初の缶入りジュースを発売。
6月2日 - 参議院、「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」を全会一致で可決。
6月27日 - モスクワ近郊オブニンスクで世界初の原子力発電所が運転を開始。
7月4日 - ドラマ「逃亡者」の原案となる、シェパード夫人殺害事件。
7月15日 - ボーイング707型機が初飛行。
9月26日 - 洞爺丸事故。
10月4日 - 日本テレビ、『NNNきょうの出来事』放送開始(2006年9月29日まで放送)。
11月3日 - 「ゴジラ」が公開される。
11月24日 - 日本民主党が結成。
1954年の映画
『七人の侍』『ゴジラ』『二十四の瞳』
昭和30年度
5月1日 - 大日本文具が「ぺんてるくれよん」を発売。
5月14日 - ワルシャワ条約機構結成、冷戦激化
5月25日 - 広辞苑初版発行(岩波書店)
6月30日 - 自治体警察全廃
7月9日 - 後楽園遊園地が完成
7月17日 - カリフォルニア州にディズニーランド開園
8月6日 - 第1回原水爆禁止世界大会開催
8月7日 - 初のトランジスタラジオ発売(東京通信工業)
8月8日 - 長崎平和祈念像除幕式
8月24日 - 森永ヒ素ミルク中毒事件が発覚
9月10日 - 日本が関税および貿易に関する一般協定 (GATT) に正式加盟
10月1日 - 花王石鹸が「フェザーシャンプー」を発売。
10月13日 - 日本社会党が左派と右派の分裂状態を4年ぶりに解消(社会党再統一)
11月3日 - 諸橋轍次「大漢和辞典」発刊(大修館書店)
11月15日 - 自由党と日本民主党が合併し、自由民主党が誕生
12月1日 - 日本電信電話公社が料金前納式の公衆電話機を発売。
12月13日 - 日本の国際連合への加盟にソ連が拒否権を行使
1955年の映画
『ゴジラの逆襲』『慕情』
1955年のテレビ
『私の秘密』
1955年のラジオ
『夫婦善哉』
1955年の架空の出来事
11月5日 - エメット・L・ブラウン博士が自宅トイレの床で滑って転び、便器で頭を打ったショックでタイムマシンの原理(時元転移装置)を思いつく。同時に30年後の未来からマーティと言う少年が現れる(バック・トゥ・ザ・フューチャー)。

1955年は1555年から400年。
きみはどちらへいきたいか。
過去か未来かいいたまえ。
1555年。いってきたまえ。
保証する、死んでも命がありますように。
ぼくは未来へいく。
さらに400年たった2355年へ。
・・・・
むぐぐぐぐ・・・
だれもいない・・・草木も・・ない。

あのう、
班目というひとのなまえでございますけれども。
ハンメ、あるいはハンモクかとおもっていました。
こころのなかで、ずっとそうよんでいました。
ところが、はだらめ。
はだらめ。
でたらめと似とんしゃる。
はっ。
はだらってはだら雪のはだらかい。
そんなら、班長の班じゃのうて、斑じゃん。

400年前の大惨事がニュースで流れていました。大津波を想定していない、日本一の原発密集地である若狭湾での、地震と津波が記録された古文書。
天正十三年(1586年)十一月二十九日の出来事です。
「廿九日、乙丑、大地震、尋で、秀吉、大阪に帰る、」
「廿九日、乙丑、子の刻大地震。屋宅既にユリ壊体也。暫時止まず。地妖凶事如何。」
「丹後・若州・越州浦辺波を打上げ在家ことごとく押流す、人死の事数を知らず云々。」
(兼見卿記)
「若狭国には海の近くに長浜と称するたいへん大きな町があって多数の人と商品が行き交っていたが、数日間震動したのち、町全体が恐ろしいことに山と思われるほど大きな波浪に覆われてしまった。そして、その引き際に家屋も男女もさらっていってしまい、塩水の泡に覆われた土地以外には何も残らず、全員が海中で溺死した。」
(「イエズス会日本書簡集」のルイス・フロイスからアレッシャンドレ・ヴァリニャーノ(インド管区長)宛書簡)
なお、天文11年にも大地震が起きていたようです。
400年前に原発がなくてよかった。

天正十三年十一月二十九日は、まだ1585年ですね。太陽暦(グレゴリオ暦)の1586年は、その数日後。ややこし。
ちなみにグレゴリオ暦が制定されたのは、そのちょっと前の1582年。ユリウス暦を改良して制定されました。
ユリウス暦とグレゴリオ暦との違いは、ユリウス暦が4で割り切れる年を閏年としているのに対し、グレゴリオ暦は、100で割り切れる年は例外として閏年としない、ただし400で割り切れる年だけは例外の例外として閏年、とするもの。ユリウス暦の1582年10月5日をグレゴリオ暦の10月15日として、現在のグレゴリオ暦に切り替えられました。
「400年」という周期で太陽暦が動いています。

もう何が起きても驚かなくなった日本人。
今度は浜岡原発。

首相の御英断により、人員が福島に割かれている中、限られた人員で予定外の停止作業にどたばたと突入したのですが、案の定、停止作業中にトラブルが続発し、復水器が損傷して大量の海水が原子炉内に流入する事態となったそうです。想定外の未曾有の出来事なのですが、小さく報道されていました。
微量の放射能漏れが起き、浄水系統を動かすと漏れが続くため、浄水装置を停止中だとのこと。
まだ事態は収拾していません。

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