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2011年5月 1日 (日)

東妙寺らんの俳句~俳句誌『樹(たちき)』より

鬼籍への転居届は冬日和    東妙寺らん

鑑賞文:広重静澄

 私は二年間に四回も引っ越した経験があるだけに、転居届は毎回提出したものだった。
しかし鬼籍へも転居届を出す人がいたことは知らなかった。閻魔様も転居届を受け取ることになっているなんて、ご存知なのだろうか。
 生まれたら出生届が必要なのだから、鬼籍への届けもあるのが当然と、思ってしまうから不思議な句である。冬日和の下五が、鬼籍というショッキングな上五を包み込んで、ついニヤリとしてしまったのは私だけではあるまい。
 博多に引っ越した息子よ、転居届はちゃんと手続きしているか。父はもうすぐ鬼籍に入るのだぞ。

鑑賞文:足立 攝

 ご自身の願望でしょうか、それとも実際に親しい方がなくなったのでしょうか。あっけらかんとした表記なのに、しみじみとした情感を呼びさます一級品の俳句です。
 鬼籍とは閻魔様が死者の名を記す帳面のこと。〈わたおに〉というドラマのせいか「鬼籍に入る」を長男の嫁になることと勘違いする人が多いそうです。

※わたおに?ああ、渡る世間は鬼ばかり、橋田壽賀子ドラマですね。(かさ)

鑑賞文:かささぎの旗

鬼籍への転居届、これには二つの読みが可能です。
死んだ者へ自分が引っ越したことを報告した、という意味が一つ。
今一つは、鬼籍に入る通知=死亡通知が届いた、あるいは届けた。
冬日和という季語がぴたりとはまる、どこか泰然としたおおどかな句風。
死にからむ句でありつつ、悲哀をさほど感じさせないのは、うんと時間がたっているか、それとも来たるべき遠い未来をよんだものだからか。
この一句を作者が得たのは、まず課題となる言葉があって、それを核として詠んだからのようです。
「鬼」。課題はこれでした。
ちなみに、太田一明先生選の鬼、いくつかご紹介いたします。

南天もミモザも咲くや鬼門角   東妙寺らん

鬼の首とってわびしき蓬餅    八山呆夢

きもんずみ、と読みたい、鬼門角。いいね、あかるいね。

(辞書に確認、「きもんかど」です。わが家ではきもんずみ、といいます)
ぼんの句、淋しき、のほうがよかったんじゃないかな。いや、これは人それぞれ。

ちなみに、同題の特選句、太田一明選句、

鬼やらい誰も拾わぬ豆を煎る   林 照代

餓鬼大将消えて三池の夏薊    足立 攝

鬼千匹死語となる蚊帳春隣     井上ちかえ

選者詠

吾が鬼の飼い慣らされて涅槃西風   太田一明

『樹』主宰詠

餓鬼骨も透けて菜の花畑かな      瀧 春樹

※用語:餓鬼骨とは
障子やふすま、屏風などの芯にする細い粗末な骨。


 ひさしぶりのたちき、瀧先生、らんちゃんから一部いただきました。
 ありがとうございます。
 うえだひろし画伯の死をしりました。鍬塚聰子先生の鑑賞欄でです。
 うえだ先生、一度ゆっくりお話をお聞きしたかったのです。
 一回だけ、巻いた半歌仙。鍬塚さんとうえださんとの三吟、です。
 なぜ先生が入っておられるのか、きっと私がお誘いしたんでしょうか?
今となっては謎なのですが、その作品の花がずうっとわたしに問いかけるのです。

癩院へ続くよ花の天蓋は  うえだひろし

あたまがくらくらするような一句。
実景を御存じなのだろう。
またそうでなくとも、生と負とのバランスが絶妙で、くっきりとした傷をつけていく句です。 
うえだ先生、「竹騒ぐ」のリトグラフ、ありがとうございました。
あれは傑作です。ずうっとだいじにします。
また、半歌仙もわすれません。一期一会、お誘いしてよかった。

ご冥福をお祈りいたします。合掌

『樹』229号 2011・5月号より引用いたしました。

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コメント

題詠ですね。
どの句もいいです。
鬼門角、これはやはりきもんずみと読みたい。
きもんかどではそれこそ角が立ちそうで。

>鬼籍への転居届は冬日和    東妙寺らん

親しい方がなくなられたのでしょうか。冬のおだやかな陽射しの中、鬼畜に入られた方への挽歌かも知れませんね。
でも、わたしには、この一句が、「この人と死ぬまで寄り添うのだ」という作者の決意のようにも感じるのでした。

ふふ、せいちゃん。こらこら。
鬼畜じゃないってば。
あっちの世界へいくことを鬼籍に入るとはいいますが、鬼という字があるがために、あんまりいいところではないようなイメージがあると思いませんか?天国や極楽とちがって、この世と地続きの別にどうということもない、悪人も善人もいるふつうの世界。
ほんといいますとね。らんさんたちは家をたてるために数か月をアパート住まいしてるでしょ。だからそのことを故人に報告しなきゃとおもっているんだろうなあ。そのための句かなってまず思った。だって季語が冬日和だったからね。
題詠が鬼だったので、鬼籍ということばを見つけてきて、それをよもうとしたんだろうと。
でもそれを書くのはなんとなくためらわれた。
俳句ってみじかいので、作者をしってるかどうかでもよみがかわる。だから知らないほうがよほどいい。勝手によむのがいちばんいいよね。
ところで、せいこさんは広重さんと攝さん、どっちにもおあいしたことがあるでしょう。なぜなら広重さんは以前一回だけ博多で連句をまいたとき参加された。冬至独身でしたね。ふたりともこれからの俳人ですよね。せいちょうさんはかなり自分にひきよせてよんでるとおもわない?攝さんはつぼをぴしりとおさえられてますね。それぞれ味があって、おもしろいです。

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