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2011年5月28日 (土)

新茶歌仙おもて6句目

青空に雲ひとつなき新茶かな    月野ぽぽな 
  畑の隙に茨咲く丘         姫野恭子
水鳥の鳴きし辺りに波寄りて     沢 都
  明治に学ぶ父の帳面       中島 倶
満月は眠らぬ街を通り抜け     青翠えめ
  日本列島風が身に入む      八山呆夢

折端案

八山呆夢

日本列島鮮やかに浮く

1  一本足の案山子ふんばる
2  運動会の席取りに燃ゆ
3  運動会は予定通りに

山下整子

1、桐のひと葉はビル風に舞ふ
2、ままかり鮨が店の看板
3、古い花舗あり桔梗が揺るる

という一句と通じるものがあります。
月句をうけての俯瞰する視線という意味です。
なんとかこれを生かしたい。
だけど季語がない。
では、たとえば、
鮮やかに、という言葉を今、爽やかに、という
秋の季語で補うことができるかといえば、とてもとてもそんな言葉では受けるべくもないような現状、心情であります。

今。

日本がつぶれるかどうかの大きな瀬戸際なんです。
心も風も、さわやかなはずがない。
こんなときにゆったりと連句なんか巻いている場合ではないんです。
だけど、武士たちは明日は死ぬというときにも俳諧をやっていた。

連句のおりおりの受け皿に「今」をひそませることはできる。
ここがまさにそうだとおもう。
なぜなら、折端とは変化をよびこむ役割をになう受け皿だから。


では、何ならすうっと無理なくこの気分をうけることができるだろう。

さがしました。
ありました。

みにしむ。というのがそれです。
古句に、こんなのがあります。

身に沁みる風や障子に指の跡  千代女

(かささぎは荻原朔太郎の、じゃなかった、ごめん、いつもオギとハギを間違えちまう。ハギワラ朔太郎の「郷愁の詩人・与謝蕪村」から引用しています。)

ということで、季語部分をいれさせてもらいました。
御了承ください。

せいこさん、なんどもだしてくれてありがとう。
桐一葉の句、とろうかと思いました。
だけどいまひとつ、ためらいました。
裏に入ります。
どうか晩秋、あるいは三秋の句をおねがいいたします。
竹橋乙四郎さん、そらんさん、出ませんね。
なにかできましたら、どうぞおねがいいたします。





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コメント

一直、ありがとうございます。
自分でもいいと思っていたのに、季語がない。探せませんでした。
「身に入む」

前に詠まれた詩歌を、時には紐解いた方がいいですね。

射抜かれた林檎の行方見失ふ

十月は十月の歌うたふべし

せいちゃん。
いいよ。どっちもそれぞれすごくいい。
でも、ここはリンゴだろうね。
ウイリアム・テルよりも、かささぎは、アダムとイヴのりんごを思いうかべます。
原罪。
これをたべたばっかりに、善悪を知るものとなり、楽園追放となった人。
これを裏のおったてにおいたら、つぎは何がくるだろう。恋だろうか、どんがばちょだろうか。いやごめん。つい。

しまった!。
通り抜け。
射抜く。
なんでよ。さわっている。
もうせからしい。

十月は十月の歌、のほうも、月がでてます。
やました。こら、しっかりせんかい。

えめさんの句のことばを少しかえれば、せいこさんのりんご句でいけますね。

通り抜け→通り過ぎ
または、通りけり。
えめさん、いいでしょうか。
蕪村のは。

月天心貧しき町を通りけり  ぶそん

竹橋乙四郎さん、次、なにかありますればどうぞ。
おーい、なかやまそらんさーん。
ここらでいっちょう、いかがどす。


裏一

射抜かれし林檎の行方見失ふ   セイコ

おはようございます。台風ひどくないといいですね。
>>はい。お願いします^^

あらららー。
月の打越に十月。
ははは。障り過ぎて気づかんじゃった。笑

エメさん。ごめんね。
ありがとう。
射抜く。強いけれど、これを使いたかった。

きょうのうんどうかい。延期。
弁当持って、水筒持って、普通授業。
ままがいま、弁当をつくってる。

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