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2011年4月16日 (土)

放射性降下物の増減(1)               逃れられぬ核の時代の降物(ふりもの)

保健医療経営大学学長

 橋爪 章

2011 年 4 月 16 日 放射性降下物の増減(1)

福島原発よりはるか遠方での放射性降下物が問題となっています。

それによる被曝が長く続くようであれば、蓄積被曝線量を考慮して避難勧告がなされます。

気象庁気象研究所では、昭和32年からずっと、半世紀以上にわたって人工放射能の観測を続けています。

昭和32年以前でも、広島・長崎の原爆や大気圏内核実験で人工放射能が大量に降下しており、昭和29年の北太平洋(ビキニ環礁)での核実験の時には、全国各地で人工放射能が観測されています。

気象研究所のデータによると、昭和32年以降、最も多く人工放射能が降下したのは昭和30年代の終わり頃で、放射性のセシウム137やストロンチウム90について、平米あたり100ベクレル以上が観測されています。

米国とソ連の大型核実験が盛んであった時代です。

昭和40年代以降は、部分的核実験禁止条約の発効で米ソによる大型核実験は少なくなりましたが、遅れた開発国である中国とフランスは核実験を続けています。

すべての核実験が地下実験に移行した昭和55年までは大気圏内核実験が行われ、日本でも平米あたり数ベクレルの人工放射能の降下がずっと続いていました。

すなわち、私を含め、昭和20年代、30年代に生まれた日本人は、幼少期・成長期に大量の人工放射能による被曝を受けているということになります。

昭和55年以降は観測値は低下し、ピーク時の1万分の1の10ミリベクレル前後で推移していますが、昭和61年のチェルノブイリ原発事故の時には、大量の人工放射能が観測されました。

つくば市の気象研究所で、この年の5月に、セシウム137では130ベクレルが観測されています。

原子炉事故で特有の、半減期が短いヨウ素131については5900ベクレルでした。

チェルノブイリ原発事故による人工放射能汚染は平時の1万倍のレベルでしたが、核実験による汚染に比べれば降下期間も限定的です。

私の世代の日本人の蓄積被曝線量としては、桁違いに核実験による被曝のほうが大きいということになります。

今回の福島原発事故による汚染がチェルノブイリ級となったとしても、地球汚染の主役は過去の核実験です。

平成以降、人工放射能の観測値は小さくなりましたが、それでも10ミリベクレル前後の降下物が観測されています。

詳しい解析により、その多くが大陸の砂漠表土由来であることが解明されています。

黄砂の時期には観測値が高くなりますが、これも、過去の中国の核実験のなごりです。

黄砂が多く飛来した月には、ストロンチウム90で160ミリベクレル/平米、セシウム137で820ミリベクレル/平米を観測した地点もありました。

保健医療経営大学「学長のひとりごと」転載

▼かささぎの独り言

目に見えず、感知もできぬというのは、ありがたいものですな。

※連句用語解説

ふりもの《降物》

天相のなかでも雨・露・雪・霜・霰などをいい、普通二句去りであるが、降物に聳物(そびきもの)は打越を嫌わない。
一巻中に降物が一句もないと変化が少なくなるという理由から、降物を読み込むのが普通である。

こまかくいえば、雨雪の部類は「おほふりもの=大降物」、露霜をば「こふりもの=小降物」といふなり。


かささぎの追い書き、
核降下物をば、何とよぶべき。
魔降物まふりもの、業降物ごうふりもの、、、、

リンク記事:http://blog.kajika.net/?cid=43453

▼コメント

コメント

リンクされていた核シェルターの会社へいってみました。こういう避難の仕方もあるのですね。

(核シェルターの会社ってどこどす?・・・かささぎ)

あびるさんのブログの最新記事にあったけど、人権擁護法案とやらの検討が始まったのだとか。http://abirur.iza.ne.jp/blog/
都合の悪い発言を封じる言論統制法だと、ネット上でやたら評判が悪い法案です。
「民主党の人権侵害救済機関検討プロジェクトチーム(PT)の第一回会合が、衆院第二議員会館で開催されました。」
とあります。
いや、政党活動だから自由にやっていただいていいんだけど、その前に、震災復興関係の法案作ってくれないかなぁ。まだ1本も作ってないそうだし。
阪神淡路の時は、村山さんはすぐに16本作って国会へ提出したよ。そして翌月には半分を成立させてたよ。国会ってのは「立法」府なので当然のことではありますが。
マニフェストにも書いてないことの法案つくりなんて後まわしでもいいと思うんだけどね。

復興資金についてのコメント

復興構想会議の初会合を終え、結局、新聞の見出しとして出て来たのは復興「税」。
財源を議論するのは、地に足を付かせるという意味でよろしい。
でも、報道を見る限り、財源の議論なんてあまりされてなさそう。
数十兆円ものお金を税金で調達するということは、国民ひとりあたり数十万円の大増税ということになる。
将来の負担とはなるけれど、お金を持っている人に投資いただく復興「債」という財源確保策もある。
「税」か「国債」かという議論はなされたのであろうか。
鳴り物入りの「構想会議」も、所詮、この程度の思いつき発言の集合体にすぎない。
お遊びしている暇はないはずです。

この記事が、現状を比較的よく書いています。
    ↓

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/502569/

ニュース記事はすぐ消えますので、本文をまんま転載しておきます。
以下全文引用。(かささぎ)

【東日本大震災】

 菅直人首相が新設する方針を固めた復興実施本部は、復興構想会議がまとめた提言の「実施機関」だとされるが、震災後に新組織が乱立する中、また一つ組織が増えたことになる。すでに指揮系統の複雑化による混乱が生じており、政府内では「政策判断の速度が遅くなるだけだ」(政府高官)などと不満が渦巻いている。

関連記事

記事本文の続き 復興構想会議は、学識経験者が中心で官僚は一人も入っていない。首相は復興対策を自らの主導で取り組む姿勢をアピールしたい考えのようだが、各省庁を排除したままで実効性のある提言がまとめられるかどうか疑問の声が多い。

 全閣僚と与野党幹部が参加する復興実施本部はこのような懸念を払拭する狙いがある。野党を取り込むことで国会の法案審議を円滑にしたいとの思いもある。

 だが、今回の復興構想会議と復興実施本部を加えると政府内の主な震災関連の組織は20となる。首相官邸では今後会議のオンパレードとなる可能性が大きい。

 首相は、大震災発生直後に緊急災害対策本部、原子力災害対策本部を相次いで発足。その後も被災者生活支援特別対策本部、震災ボランティア連携室などを次々に設けた。「政治主導」と言うよりも喫緊の事態への対応に迫られて戦力を逐次投入するうちに組織が増えたという方が実情に近い。

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コメント

細かくは計算してないけど、我々昭和人は、福島原発で避難勧告がなされている人たちよりは、はるかにたくさん被曝してると思う。なにせ、十数年にわたってず~っと今の一万倍の放射能が天から降ってた時代だから。
当時は農作物からも牛乳からも水からも、たくさん放射能を取り込んでいました。摂取規制がなかった時代です。
福島原発が地球を汚しているのは事実ですが、大気圏内核実験をやってた国々にはそれを批判する資格はありません。
それにしても、なぜ気象庁は昭和32年以降の観測データを現在の観測データまで連続したグラフにして発表しないんだろう。
昔のデータはベクレル/平米で、最近の報道発表データはベクレル/kgなので比較もしにくい。

下のほうの
>平成以降、人工放射能の観測値は小さくなりましたが、それでも10ベクレル前後の降下物が観測されています。
は単位間違いで10ミリベクレル。
(学長ブログは修正済)

ところで私の学年は、最も放射線感受性の高い胎児の時に、ビキニ核実験の放射性降下物で大量の被曝をした特異的な学年なのですが、だからといって先天異常がこの学年に多いという統計はありません。(変な人は多い?)
それを思うと、当時よりも少ない被曝線量で避難勧告だの20年住めないだのと大騒ぎするのもどうかと思いますが、現代の価値基準ではそういうことになるのでしょうか。

知らぬが佛。ってことばは味わい深いですね。
なーんもしらんかったときは、だれもうらむでもなく、平和でありました。
しかし、そういうことをしってしまえば、もしやこれはその影響ではとか迷いのこころがおこります。

仕事帰りに週刊誌を立ち読みしまくりました。どっこも震災特集記事でいっぱい。げんなり。
もうしわけないけど、テレビでみたやん。ってゆうような、写真記事ばかりです。
そんな中、あれは週刊文春だったかなあ。原発現場技師ボスと官邸、東電との闘いを見事に緊迫感あふれる筆で書いているのがあった。
これだ。とおもった。
なにが、これだ。なのかよくわからんが。

つくば気象研究所 放射能
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