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2011年3月10日 (木)

映画ヒョーロン家神津呂伊利先生と、あぶない談義を。

コメント

この『マイ・ブラザー』を映画館で見た時、どっかで見たようなストーリーと思って館内に張ってあるチラシ読んだら、デンマーク映画『ある愛の風景』のリメイクだった!
アメリカ人は英語圏以外の映画を見るのが苦手で(つまり字幕を読むのを面倒くさがる?)、評判になった映画をすぐリメイクしたがる。日本映画でも『『Shall we ダンス?』とか『HACHI 約束の犬』(日本では『ハチ公物語』)とか、昔は『七人の侍』を『荒野の七人』とか。世界の先進国で(その中でもいわゆる中産階級で)一番外国語が苦手なのはアメリカ人じゃなかろうか?

アメリカ人は外国語を話さなくても、外国人がアメリカ語を話すから、苦労しなくていいですものね。
リメイクだったと、そういえば、説明にかかれていましたが、そういう意味だったのですね。
アメリカはずうっと昔から戦争をつづけている国なので、常にあのような戦争の後遺症をひきずった兵士がいるのでしょうね。ぎりぎりの地獄をもちはこぶ人がいる限り、アメリカは大丈夫だという気がします。どちらかというと、日本のほうが、危いと思います。

昨日のある新聞に、米国では民族・人種間の対立よりも、リベラル派と保守派の対立のほうが根深いという記事が載ってました。そして、夫は保守派で共和党支持、妻はリベラル派で民主党支持という、周りから絶対うまくいかないと言われながらも結婚して、なんとかうまくやってる夫婦の話が。結局、相手の話を聞いてあげる、理解できなくても少しずつだけでも歩み寄る、というのがその秘訣らしい。
翻って日本は、思想的対立は薄れ、民主党も自民党も元左派・リベラル派・保守派・ほぼ極右派までが、敵の敵は味方とばかりにただ多数派形成だけにしのぎを削り、歩み寄りではなく泥仕合の世界。「日本のほうが危ない」、少なくとも政治の世界、今後の日本社会はそうかもしれないですね。

君子あやふきに近寄らず。
あやうい。を変換しますと、危い。
あぶない。は、危ない。
わかりましたね、ろいりさん。
送り仮名がちがふぞな。
かささぎは危い。とかきました。危ないとはニュアンスがちがいます。(けっ。意味はおんなじじゃろうがよ。ーはい。さやうです、)

 ねむいであります。失礼いたします。


1.あぶな・い【危ない】
[形][文]あぶな・し[ク]1 災いが起こりそうである。危険だ。「―・い遊び」「―・い目に遭う」2 すぐにだめになりそうである。消滅・破産・死などの状態が近い。「経営が―・くなる」「命が―・い」3 見 ...
2.危(あぶ)ない橋を渡・る
危険な手段をとる。特に、承知で法律に違反するような行為を行う。

あやう・い〔あやふい〕【危うい】
[形][文]あやふ・し[ク]
1 危険が迫っている。あぶない。「―・いところを助かった」
→危ない[用法]
2 気掛かりである。心もとない。不安だ。
「世のうけひくまじきことなれば、中々―・くおぼし憚りて」〈源・桐壺〉
◆中世以降、シク活用化した例やその口語形「あやうしい」の例も認められる。

危い(あぶい もしくは あやい もしくは ヤバい)とは、そういう概念。

以上、出典はいろいろ。確かに、マイクロソフト系の「IME」で「あやうい」を変換すると「危い」「危うい」と出てくるけど、愛用のATOKで変換すると「危うい」としか出てこない。負け惜しみではないけれど、国語的に正しい送りがなは「危うい」らしいですよ。

閑話休題(それはさておき)、日教組出身の、旧社会党系の、いわば左翼系の輿石と、自民党の旧田中派の小沢が手を結び、一方ではリベラル的市民運動出身の菅と、どう考えても右派的な前原が結びつく談合状態。それは自民党も昔からそうか~三木武夫と中曽根康弘の結びつきとか。思想と人間関係は別物とはいえ、政治家はやはり自分の思想・信条を大事にしてほしいと思うんだけどね。
ちなみに公明党も結成当時は「人間性社会主義」を標榜する「革新」政党だったはずなんですけどね。こうなると、一番ブレがないのは共産党だけ。でも、共産党が政権取ったら、日本経済がダメになるか、公約を民主党以上に大きく見直さざるを得ないか。「みんなの党」なども、一時の日本新党ブームを思い出させて、いつまでもつことやら。右を向いても左を見ても、日本の政党は八方ふさがり。都知事選もわけわからんから、ドクター中松にでも投票するか。

あそうだったデスね、使っているソフトをしんじちゃいけなかった、あめりかさまのでした。
あたえられたものをすなおにおしいただく癖がついちゃっておる、小百姓ですけん、おゆるしくだせえ、御代官さま、ろいり先生。
でもよかった。おかげでくわしいあぶなさのちがいがわかって。ほんなこて、めちゃくちゃあぶな。

三月十三日は六角堂広場で大学対抗ロックふぇすがあるらしかよ。いきたかろ、ろいりさん。

投稿: かささぎ | 2011年3月 9日 (水) 08時34分

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コメント

六角堂広場が閉鎖になる計画を聞いたときはすごく驚いたけど、なんとか協議になりそうですね。やっと久留米のスポットに定着してきたところだし、このままで壊さないで欲しい・・☆・・ろっくふぇす行ってみようかな♪

あの六角堂って言うのは、私が行ったとき(昨年のあの秋の日)何もイベントが行われていなかったせいだと思うけど、寒々としていて北風が吹きすさび、まるで廃墟のような風景だったわよ。

取り囲む周囲の店はほとんどシャッターおりて閑散としてたし・・・・。
イベントあるときは結構人集まるんでしょうか?

>>はい。イベントの時はけっこう賑やかです。
なにもない時はおっしゃるとおり菅さん@@・・じゃなくて閑散。
でもまあ田舎だからこんなものでしょうか^^よく横を車で通りますがぴかぴかの頃よりなじんできました。

さくらさん、廃墟の鳩、という歌がありましたね。
タイガー素のうたでした。
えめさん、イベントがあるときは人があふれていますが、終われば潮がひいたあとみたいにごみが落ちているだけで何も残りませんよねえ。
でも、たしかに、
ぴかぴかのころとは違ったいい味でてるかも。そういう見方ができるえめさんって、すごいです。ソングライター、でてほしい。いい歌が書けたら最高です。バンドもですが、そっち、でてほしい。福山雅治とか山崎まさよしみたいな詞がかける人。

昔、久留米出身の歌手やバンドが続々と脚光を浴びた時代があったけど、シャッター通りや六角堂の廃墟的雰囲気、そしてその再生への希望を表現できるようなソングライターが、今こそ出てほしいっすね。「廃墟の鳩」も最後の歌詞では「生きることの喜びを 今こそ知る人はみな」と、明日に希望を託していた。若いもんでダメなら、鮎川誠・石橋凌・元チェッカーズメンバーらで、スーパーバンド作って「we are the 筑後(ちっご)人」とか。
3/13は立川でハーフマラソン、翌週は久留米に帰って、甥と一緒に筑後川菜の花マラソン(ハーフ)です。今、帚木蓬生の『水神』読んでる途中、五庄屋が中心となって作った堰とはどのあたりか、「江南原(ばる)」をはじめ、数々出てくる地名は今のどこなのかなと思いつつ。

ろいりさん、そちらは大丈夫ですか。
大変なことになってしまいましたね。
みんな、大丈夫だろうか。
知っている人も知らない人も。心配です。

かささぎが地震のことを知ったのは五時ころでした。
検食をとどけて帰ってきた人が教えてくださった。
職場にはテレビやラジオはありません。
水神、これですね。インタヴューよみました。
久留米の五庄屋より、星野川の人柱にたった中島内蔵助さんが気になる八女人ですが、これをよんで、はわきぎさんは白血病と闘病中に書いておられた、ということを知りました。

じゃんぬだるくさん。お元気でしょうか。
何の連絡もせず、ごめんなさい。とても多忙です。
もう書き直し作業は終わったでしょうか。
ろいりさん、こんどのマラソンのときにでも、香川宜子先生のザ・ヴァイオリン、お渡しします。どうかお読みください。マラソン、いけたらみなで応援にいきたいものです。

ご心配ありがとうござんす。昨夜は帰宅難民になって学校泊まり。一眠りしていたら夜11時頃から私鉄・地下鉄が動き出して、みんな深夜帰宅したらしく、JR動かないと帰れない私だけが取り残されていた!無理して自転車で帰れないことはなかったのに、明日の立川マラソンに備えて体力温存と思ってたら、これも諸般の事情により中止。アホクサ!
ところで、八女(市・郡)は、江戸時代久留米有馬藩の領地だったのでしょうか、一部柳川立花藩だったのでしょうか、誰か詳しくご存じでしたら、教えてくだせぇ。

え。そいは、杉山ひろしおんじいに聞けば、詳しく詳しく浪花節みたいに尾ひれ葉ひれをつけておしえてくださるじゃろう。今のうちに杉山おんじいに、聞きたいことを聞いておきたいものじゃ。ときにがばり憎たらしいけど、面白かと。よおく人の知らんこつば知っとらっしゃるけん。かささぎのおとうちゃん並みに声がでかく受話器を置いてもすぐそこに声がきこゆるとばい。

かささぎのううざっぱな知識では、矢部川をはさんでこっちが久留米藩、あっちが立花藩だったとじゃなかですかね。鷹狩のことではいつも矢部川をはさんでもめていた、と柳川古文書館解読講座で習った。

おんじいから聞いた話で聞き耳がぴんと立ってしまったのは、有馬 頼徸(ありま よりゆき)第七代目藩主
、だったかな、かれは和算が得意であたまがよくて、だけど男癖が悪くて遊び好き、その時代の武将にはありがちな話といえなくもありませんが、藩政を傾け、藩民は飢え、一揆がおきた。八女福島の灯篭人形もやっちゃだめだとなったから、怒りがばくはつした。
一方柳川藩はお上も下々のものも、みな一様に辛抱したので、そういうことは起きなかった。・・・と書いてあります。

私は、このすぎやまおんじいとの出会い、ののしりあい、わるくちのいいぐっちょ、電話での喧嘩、すべてたのしく思い出します。こんな元気な人はこの人しかいません。あったりまえだのクラッカーかもしれないけど、こんなに気骨のあるじいさんをほかにはしらない。高橋甲四郎先生の元気さとはまた違う。さえぎるもののない、げんきさ。というかなあ。すごいパワーなのだ。
じいさん、死ぬなよ。もう一度、喧嘩をしよう。

あ。そうだ。たちばな藩、だったのです、八女市立花町はね。たぶんそう。しらんけど。笑。ってえことは、けっこう複雑な境界線でありまするな。
柳川藩も、柳川県、になって、三潴県を経て、福岡県の柳川市になった。
あちゃ、呂伊利さんは歴史の先生。失敬いたしました。
だけどべいふ米府、って読み方をしらっしゃれんじゃったけん、びびることはありません。
ろいりさん。久留米藩は略して、「べいはん」ですよ。つい最近まで学校給食がなかった、久留米の旧国名がべいはんとはねえ。

「矢部川をはさんでこっちが久留米藩、あっちが立花藩」、なるほど・ザ・ワールド。一口に八女郡と言っても、地域性があったわけですね…考えてみりゃ当たり前だのなんとやら、か。立花町には江戸時代初期の藩主だった田中姓の人が多いらしいですね。
これを機会にいろいろ調べてみたら、いつの間にか八女郡の各町は八女市と合併し、なぜか広川町だけが残っている。この理由はわかりませんか?被差別部落問題が絡んでるようなことを、広川町出身の老父が言ってたけど、話半分に聞いてたもんで。あと、久留米藩、略して米藩というのも初めて知りました。幕末の狂歌に、「あめりかの米より喰ぬ国なれど 日本人はあわをくふなり」というのがあるけど、新聞では米と書けば米国の略で、こめは「コメ」と書かれる、これも変な話と、以前から思とります。
『水神』を読むと、これで久留米藩は豊かになったようだけど、実はご指摘の7代目藩主頼徸の頃から財政は傾き、宝暦年間には、高校生用の資料集にも載っている大一揆が起こっている。「百姓の 努力も水の あわをくふ」と言ったところか。
ありゃりゃ、今また地震で揺れた。

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