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2011年2月26日 (土)

気骨のくるめ人・神津呂伊利スペシャル 「呂伊利的」(ぷふっ)

お久しぶりでございます。パソコンが崩壊状態になって約4週間、まだまだ完全復旧には時間かかりそうです。本日久留米に帰省して、老父母の話し相手と昼寝で、おっと今日締切のマラソン大会エントリーをまだしてなかったと、小雪降る中をPlanetへやってきたら、既に定員に達して出場かなわず。その後、このブログの数週間分を流し読みしました。
天井誕生日の「陛下コメント」について一言。前にも書き込みしたとおり、私は、少なくとも今の天皇と皇太子については、人間的にとってもいい人だと思ってます。この2代限定なら、主権在君のほうがましではないかと思うほどです。しかし現在の制度下でさえ、憲法及び皇室典範の範囲では「孫を心配するごくごく普通のおじいちゃん」にはなれないのです。一般国民としての権利も義務もないわけですから。「政治や行政が思い至らなければならないことにかなり踏み込んだコメント」、これについては、数年前の某将棋指しの園遊会での発言に対して、今回以上に「踏み込んだコメント」がありました。言いたいこともはっきり言えず、でもやむにやまれずの発言でしょうか。これまた数年前の皇太子の、自分の家族に対するコメントでも、その心境がうかがえました。

ろいりさんはいきているだろうか?カイゴうつではなかろうか?とときどき思っていましたが、お元気そうで、なによりです。

今日締め切りのマラソン大会ってな、菜の花マラソンですか。もういっぱいなんだ。みんなすごいなあ。
早春の筑後川を走るのはきもちがいいんでしょうねえ。
ところで、ちょいとちょいと。
天皇たんじょうびが、天井誕生日になってますよ。
雲居の人、天井人、天上人、許される範囲かな。
添乗員さんじゃなくてよかった。

天丼誕生日になっていたら不敬罪?言い訳ではないけど、ワード系のIMEは、一太郎系のATOKに比べて、日本語能力が低すぎる!一太郎・ATOK愛用者としては、変換でイライラしてくる。日本人の多くが、日本製の優れものを使わないで米国系の日本語ソフトに染まっているというのは、現在の日米関係と関係あるのでは?一太郎では、歴代天皇、元号、干支、すべて一発変換ですぞ。試しに「かのとう」と打ってみなはれ。それなのに教育委員会から強制的に配布されたパソコンには、一太郎を入れるなという変なお達しが。これ、米国嫌いの慎太郎、なんとかせんかい、あんたの氏名も一発変換できんぞ。
申し込めなかったマラソン大会とは、伊豆大島の100km(あ~、しぇからしか、これも「きろ」と打ち込んで変換しきらん)ウルトラマラソンで、菜の花マラソンは甥が申し込んだというので、昨年の雪辱を果たすため出場しようかと思案中です。

追加
今日、走り初めしながら思ったことですが、現天皇は皇太子時代、米国人から教育を受けたり、学習院大学を「中退」して訪欧したりしている、皇太子も英国に留学している、彼らの言動にはその影響があるのかな。

ああそうだったんですね。かのとう、確かに一回区切って入力しなければなりません。あと、元号とかも一回で変換できなし、歴史用語で差別用語とされることばなども変換できない。こまります。
アメリカでつくられたものだったから、なんですねえ。

天皇は大学中退、なのですか。今も?

ところで。乙骨一族の上田敏をきのうたまたま調べていて、永井菊枝氏がつけてくださっていた、乙骨三郎の記事をなにげなく走り読みしていたら、竹橋乙四郎が「海の果」歌仙とめがきで紹介の「アヴェマリア」(美しきエレン)、この訳詩をやっていたのは、なんと乙骨三郎でございました。以下、引用。
スコットランドの城に篭城する将軍の軍勢が矢、弾つきはてて討死にまで追い詰められたとき、一少女得れんは援軍が近づいてくるのを信じて兵士をはげます。やがて援軍が到着してイギリス軍の大勝利となる。という物語で曲はソプラノとバリトンの独唱をもつ管弦楽伴奏付きの大合唱である。とかく歌詞をなおざりにするのが当時の通弊であったが、この曲は乙骨の努力によって名訳を得たので音楽学校演奏会でその後もしばしば演奏された。「シューベルト名曲集」(新潮社昭和10.10)は彼の死後一年目に出版された。「野薔薇」「菩提樹」「鮎」「魔王」「アヴェ・マリア」「死と少女」「旅人と夜の歌」「聴け聴け雲雀」「わが宿」などの十八曲が収録されている。ドイツ語にたんのうなだけでなく、詩と音楽を解し、ドイツ人の感情生活やその哲学、思想、精神的理念を正確に理解し、共感を得ることによってはじめて全体的にシューベルトを味わうことができる。彼はまさにその適任者であったろう。
乙骨三郎はたしか、48くらいで没しています。

ろいりさん。ながながとかいてすみません。
わたしはふしぎな気がしたんで。
「ときにヘレナは」と題して書かれた乙四郎とめがきの、その内容は、シューベルトのアベマリアから入っていました。香川宜子先生の「ザ・ヴァイオリン」、そういえば、まだろいりさんにおかししてません。
さくらさんにも、ほんもののアベマリアバイオリンの音色が入ったcd,送ってませんでした。
ながながと書いたついでに、なにかあちらからのサインみたいにシンクロしているので、かきますとね。
香川よしこ先生(ジャンヌダルクさんというあだ名なんですよね、エレナのお話を彷彿とさせる話でしょ)の一人娘さん(現在大学生)がこども時代から習われていたバイオリン、その楽器を買い換えるとき、本人を楽器商につれていったところ、ムスメさんがどうしてもこれがほしいといわれたのが、問題のソレだったそうです。
アウシュヴィッツ収容所で実際に奏でられていたもの。しかも、持ち主は、むすめさんとおなじ年齢の少女だった。・・・

かささぎは、二冊もっています。あ、一冊は乙四郎のをがめているんだけどね。それで、ろいりさんとしらべさんに、よんでいただきましょうか。調さんは和楽器されてますしね。なにかつながっているかもしれない。
ろいりさんは。ちょうどこの天皇の欧州趣味のところでこの話題がでたので、つながってるはずです。

[口蹄疫 海外 対処法]検索約124,000件中一位。
二位の記事おもしろし。

これが二位の記事です。↓http://www.kansen-yobo.com/column/hamada/001.html

「韓国の口蹄疫続報  日本の対処法と違う点」へのコメントからの続き。
そういうわけで、新聞読む時間もあまりない時期にこの事故が起きたので、たぶんこのブログにもたくさんのコメントが寄せられているだろうなと思いました。まず偏差値がどーのこーのとか言ってる2ちゃんねる系のバカども(と、ひとくくりにしてはいけないのは承知の上で)は論外です。「過激なまでの偏向ぶりに呆然としました彼らは…」って、今に始まったことではないから、改めて呆然とするまでもないでしょう?彼らは社会に対する自分の不満をこういうところで発散するしかないのだから。
でも、にゃんさんの言うことにも一理あります。一理あるけど二理はない、なぜなら若い時は誰でも無鉄砲なところがあるから。一つ間違えれば大きな過ちを犯したかもしれない、そんな経験をしたことは私にもあります。
「わたしは、ここは悼むための場としたい」、その気持ちもよくわかるけど、それだけでは終わりきれない事故でしょう。例えば「大東亜戦争」に関して、悼むためだけの場や発言にしたくても、それでは他の国々の人々、いや日本国民全体の気持ちさえおさまらないように。
それではみなさん、よいお年を。でも来年は、辛卯(かのとう=しんぼう)の年、まだまだ辛抱が続くのか。お後がよろしいようで。

おお、さすが高校教師の神津呂伊利さん。
おっしゃるとおりです。耳が痛いお話です。
交通違反については、かささぎは何かを語る、という、その資格がありません。いわば、私のこの残りの人生でどこまで償えるだろうという心境でもありますので、この手の話には一切からみたくないというのが正直なところです。
社会に叩かれる記憶はそれはそれは痛烈です。
交通法規は殺人に関する法規とおんなじくらい大事なものなのだ。と、おもえるかどうかだとおもう。

いまとなっては、どちらが被害者・加害者かも
わかりません。

なので、毎年事故が起きた命日には、
報道されないと思います。

進展もなく報道されなくなったように。

若者の死が無駄になるだけです。

戦争とかは、祖父母が体験しましたので、
語り継がれています。

八女地区に二度とこのような事故で若者が亡くなりませんように祈るばかりです。

報道されないですね。
にゃんさんのおっしゃるとおりでありましょう。

一年間はなにもほかのことはみえなかった。
ただただかなしかった。暗い闇の中にいた。
声をかけてなくさめてくださる人さえ、うっとうしいだけだった。ひたすらなみだがこぼれた。こんなにどこからわいてくるのだろう。というくらいのなみだ。
それぞれ抱いている愛情の量とおなじ分量の涙。

実は私の甥(下の子)も、22歳という若さで、交通事故であの世に旅立ちました。原因は早朝の酒気帯びの、おそらく居眠り運転で、対向車線を走ってきたトラックに激突。相手にまったく責任はなく、お詫びに来てくれたのが気の毒なぐらいです。加害事故にならなかったのが不幸中の幸いだった、とも言えましょう。
もしこれが今回のような事故で(真相はわからないけど)、片方ばかりを追悼している記事を、第三者が見たらやはり違和感あるでしょうし、もう片方側の人が見たら、反発の感情も持つでしょう。
にゃんさん、「一理あるけど二理はない」という言い方は、今考えてみると失礼な、言い過ぎた表現でした、ごめんなさい。

お久しぶりです。「さがらさん」と森山光章氏という、2人の同窓生の名が出てきたもので、その縁あって?コメントを。
旧かな・現かなの問題は、以前どこかにコメントしたことがあるので、検索してみたけど見つけきらんやった。よーするに旧かなは、(ここは使ったほうがいいと思う時に)使いたい人が使えばいいのだと思います。新かな派の私もたまに使うのは、ジョークなどで~例えば昔CMか何かであった「スッキリしませう」とか。でも旧かな全面復活論には反対だし、今更無理。
前回コメントした時、指摘したように、旧かなが本来の日本の伝統であるべきというのなら、その伝統をさらに遡って、発音も旧かなどおりにすべきだけど(もともとはそうであったはずだから)、たぶん旧かな派の人たちも、それには違和感を感じるでしょう。しかし、そういう私も、「を」「は」「へ」などの助詞を発音どおり「お」「わ」「え」と書いた方がいいと思うかと言えば、それには賛成しかねる、というよりも違和感を感じる~ようするに人間は、自分が今使ってる言葉に関して保守的なんですね。

ベルギー語圏とかポルトガル語圏ってないのかな?と思って地図帳開いたら、コンゴ民主共和国(旧ザイール)は元ベルギー植民地なのに今の公用語はフランス語、元ポルトガル植民地のアンゴラやモザンビークは、ポルトガル語が公用語なのに実際はポルトガル語使う人は少数派とか、エジプトは英国の植民地だったのに英語と仏語を使い分けているとか、いやはや、またまた勉強になりました。
モザンビークからボブ・ディランの歌を連想したけど(この歌が入ってるアルバム『欲望』、傑作です、のちに映画化された冤罪ボクサーの歌「ハリケーン」も入ってます)、これはモザンビーク独立直後の混乱期を歌ったのかな?当時は歌詞の意味とか考えなかった、反省。
しかしアフリカの混乱ぶりが話題になると、それみたことか、だから西欧の植民地だったほうが良かったのだというトンチンカンが必ずあらわれるが、混乱の下地を作ったのが西欧列強であることは、今の国境線で一目瞭然。

引き続きですんません。ベルギー語ってないんですね。で、どういう言語を使ってるかは、今調べたけど省略。

コメント

今日2/7は北方領土の日、新聞等には1855年に日露通好条約が結ばれた日と書いてある。しかし日本史の教科書には1854年に、日米和親条約の後、日露和親条約が結ばれたと書いてある。この違いはなんじゃらほい、と30年以上前に考えたことがあります。この2つは別の条約か?とも。
そこでいつもの何でも考えかんでも知って…の精神で考えました。まてよ、これは旧暦と新暦の違い、元号と西暦の違いではなかろうか?っと、やはりそうだった。安政元年(1854年)12月21日というのは旧暦で、西暦に直すと1855年の2/7になる。それほど考えた理由は、なんのこたぁない、私の誕生日だから。これで、30年前の教え子がいまだに私の誕生日を覚えていてくれる。情報操作の力ですな。
閑話休題、ポルトガル人の初来日は、日本では1543年というのが常識だが、ポルトガル関係の史料では1942年となっており、これもその論理かというと、そうではない。これは未だもって謎のまま。
これまた閑話休題、ポルトガル語とスペイン語はかなり近い関係らしく、お互いの言葉を勉強しなくても(あるいは少し学べば)、何となく意味がわかるらしい。ヤマト語と琉球語の関係みたいなものなのか、いやそれよりもっと近い関係なのか、この数年言語学に興味持つ私ではあった。

たびたびどーもすいません。上記の1942年は1542年の間違いです。ついでに、種子島にやってきたポルトガル人が乗っていたのはポルトガル船ではなく中国船、そしてその頃既に倭寇は鉄砲を使っていた。おう!我が日の本の史料『鉄炮記』にも天文11年8月=1542年に伝来したと書いてあるらしい。そもそも「鉄砲」と「鉄炮」の違いは?と謎はつきない。が、みなさん、あまり興味ないでしょうね。
おまけ、日本語の「ありがとう」はポルトガル語の「オブリガード」が語源である、とポルトガル人は思っている。京都の先斗町、これがポルトガル語のポント=「先」からきているのは間違いないようだが。

ろいりさん、昨日お誕生日おめでとうございます。
何かにことよせて記憶する方法は忘れませんね。
ポルトガル語とスパニッシュは似ているんですか。
ヒスパニックはスパニッシュを内包していることばだけど、説明をよめば、単にスペイン語系のという意味にとどまらないようなかんじです。日本土着民のかささぎが混乱するのも無理はない。
ウィキにはこんなふうにかいてあります。

ヒスパニックとはもともとスペイン語圏の、というほどの意味だったが、アメリカ人にとってはエスニック集団をさす言葉になっている。と。

さらにちょっと詳しい説明では、

ヒスパニックと同じように使われる言葉に「ラティーノ」(Latino)があるが、ヒスパニックが文字通り「スペイン語圏出身者」を指すのに対し、ラティーノはスペイン語圏に限らずラテンアメリカ全域の出身者を指す。たとえば、ハイチ(フランス語圏)やブラジル(ポルトガル語圏)出身者は、ラティーノではあってもヒスパニックではない。また、ヒスパニックとラティーノの単語が同時に使われる場合、ヒスパニックはメキシコ出身者のみを指す事が多い。

ところで、その安政元年(1854年)十二月二十一日が新暦ですと1855年の二月七日というのは、あまりといえばあまりの隔たり、宝暦暦ですよね。
なんども改暦があっているけど、西洋人がやってきたころのこよみは、なにをどのようにつかっていたのかがばくぜんと気になります。

ウィキによると、もう天保暦の時代のようです。このへんは専門でないからよくわからん、といつも使う逃げ口上。
日本史には貞享暦だけ出てきます。これは何と何とナントの勅令、南都・北嶺で、9世紀以来、約800年ぶりの改暦、この800年間でいかに季節感が変わったのでしょうか?
そしてウィキによると宝暦暦は、貞享暦より杜撰で、それは改暦の主導権が、幕府の天文方から朝廷に奪われたかららしい。そりゃぁ、陰陽師の末裔が作った暦だからしかたない。農民が一番困ったでしょうね。
ポルトガル語とスペイン語の類似点は、最近もある、どっちかのチームにいた日本人サッカー選手が、その国の言葉がわかるようになると、もう片方の国の言葉もなんとなく意味がわかると書いていました。サッカー選手については無知なので名前覚えてません。

またまたご無沙汰しましたが、言語のことにはつい目がいきまして…

①「ケニア語」ってあるのでしょうか?公用語はスワヒリ語だったような気がして調べたら、英語とスワヒリ語だそうです。ただ、だからと言って誰もがスワヒリ語をしゃべってるわけではなく、各部族ごとに独自の言語を持っていて、それらはそれぞれ別の系統の言葉なので、まとめて「ケニア語」というわけにもいきません。
 シンガポールが、広い意味での中国語系が多数派なのに、マレー系、インド系、アラブ系なども住む多民族国家なので、英語を公用語にしているけど、ケニアの少数言語はそれ以上に複雑のようです。

②台湾に台湾語はあります。中国語系の1つです。違う系統の中国語で話しても会話ができないのは、同じ日本語系なのに、琉球語と他の日本語系言語、とくに共通語(いわゆる標準語)との関係と似てます。純粋な筑後弁、河内弁、青森弁などの地方語(いわゆる方言)も、150年ぐらい前なら、日常会話は全く通じなかったんじゃないかな。中国語の共通語は北京語を基にしつつも、全く同じではないところは、日本語の共通語が江戸言葉を基にしてるのと似てるでしょうか。そして、昔の日本は文語体で書くことによって、各種中国語系は今でも漢字で書くことによって意思疎通ができた(できる)わけです。
 ところで台湾にはもう1つ、原住民系の言葉がいくつかあり、これは中国語系ではありません。東南アジア~マダガスカルあたりに広がる言語の一種だそうです。10数年前に霧社という、少数民族が多く住む山岳地帯に行った時に老人と話したら、自分は原住民語と台湾語と日本語しかしゃべれない、子供たちは台湾語と国語(中国語の共通語のこと)、孫たちは国語と英語、だから孫たちと会話できないのが寂しいと言ってました。
 日本も「国の名とおなじ名前のことば持つ国は幸せ言霊の国」と意識できるようになったのは、つい150年前~明治維新の頃です。しかも琉球(沖縄)とアイヌの場合は強制的に。

またまた補足、意外なところで本題のマダガスカルと台湾はつながってましたね。
また、台湾の世代ごとによる複雑な言語事情は、植民地時代の日本と、蒋介石の国民党軍勢力と共に移住した外省人によるものです。ネット社会では「強制」という語が嫌われているようだけど、少なくとも、学校ではその言語で教えることによって「半強制」したとは言えるでしょう。

ろいりさん

お元気そうで何よりです。また、台湾語についてのコメント、ありがとうございます。漫画家が書いた(ゴーマン××の作者)台湾論を読んだだけの浅はかな知識です。実際に行かれたのですね。
乙四郎さんといい、ろいりさんといい視野を広く持った仲間がいて、すばらしいブログですね。

おはようございます。
ろいりさん、お元気そうでなによりです^^
ろいりさんの旅行の話もたくさん聞きたいですね。
言語>>お孫さんと会話できない事実を知り驚いています・・。

ろいり先生、お早い時間にどうもありがとうございます。
言語も人の往来もおもしろいですね。
けさ、西日本新聞に杉本章子さんが写真付きでのっていました。
江戸がすきだ、と。人と人がたんねんに生きた時代。それも狭い範囲で。(この狭い範囲で、ということばはかささぎのつけたしね)。
字空間をあそぶことは時空間をとぶこと。
またおいでやっしゃ。ではいってまいります。帰ってから編集できるといいのですが。

おさんどんもなにもかも超多忙。しんぞうがばくんばくんです。

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