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2011年2月12日 (土)

歌仙 『一行の詩』

一行の詩をしたたむる淑気かな    月野ぽぽな
  あをく薫れる新玉の墨         姫野恭子
せせらぎに薄氷融けて流れゐて    竹橋乙四郎
  卒業写真の笑顔はれやか      山下整子
春の月延びる線路を照らしをり     青翠えめ
  駅長室はいつも満員         八山呆夢

圏足とけもの耳持つ土器出づる     整子
  アナウンサーの黒髪に風       ぽぽな
摩天楼君が魚類でゐる時間        中山宙虫
  ひんやりとした男恋しき         澄 たから
登山口過ぐれば下山口となる  乙四郎 
草の褥に荒神の使徒           整子
切腹の順番決まる月の光(かげ)      恭子
  病院給食明日栗おこは          えめ
暮の秋裏木戸少し開いてをり        東妙寺らん
  輪郭だけを村は残して       そらん

天災の傷癒しゆく花の雨        ぽぽな 
  初虹のかたバグダッドあり        乙四郎

名残表
シャボン玉駱駝の列の後ろから    杉浦兼坊
  まだ届かないお祝の品       呆夢
啄木も茂吉も畳に小積まれて     せいこ
  翼の影が映る稜線          そらん 
冬茜しづまるまでは側にゐて     ぽぽな
  恋の躯(からだ)と雪の心と     恭子
欲ふかきをんなとなりし老いの坂   呆夢
  振り込め詐欺のアジト此処です  えめ
やはらかく水に返ってくるこだま    そらん
  眞菰の馬が駆けるたまゆら    せいこ
電線で切り分けられてしまふ月    乙四郎 

〈昭和の残像〉

せいこさんの月前句、○○○○には、たまゆら、という言葉を入れてくださいました。
そらんさんとセイコさんはどこか一脈似たところがあって、まさにこの二句はその特徴がよくでている句です。どちらも抽象的な味わいがあります。
むかし、国民放送の朝ドラに「たまゆら」ってありませんでしたか。
どんなドラマだったか忘れたけど、題名だけ忘れない。
意味がわからなかったからです。たまさかという意味かな。位に思っていた。
でもほんとは、魂がゆれることでしょう。
辞書には、玉響、と出て、しばらくの間、ほんのわずかの間、と。
http://dic.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&dtype=2&ei=utf-8&p=%E7%8E%89%E9%9F%BF

玉響(たまかぎる)きのふの夕(ゆふべ)見しものを今日の朝(あした)に恋ふべきものか

・二三九一〉の「玉響」を「たまゆらに」とよんだところからできた語。
玉がゆらぎ触れ合うことのかすかなところから、「しばし」「かすか」の意味に用いられた。

振り込め詐欺が老女をだまくらかしてお金をまきあげる。
その電話への応答。
純真無垢な(ほんとはちがうけど)孤独なお年寄りは、窮迫したこどもからの電話(ほんとはちがうけど)に、ころっと弱みを衝かれて、いわれるままにお金を差し出します。
でもね。
柔らかく水にかえってくるこだま。
といわれると、ね。
長い夏休みの昼下がり、川で泳いで、耳の高さまで立ち泳ぎしながら浮き、蝉しぐれや雷などの夏の音をきいたことが急に胸によみがえります。
遠景には若き日の母やつやつやした髪の父やつくつくとした足取りもたしかな祖母の姿などもみえてきます。
ああ、なつかしきかな、昭和の御代。
中山宙虫、すごいぞ。こんな句がこんな場所で出せるってことがね。


どこか因果応報、という言葉をも連想させる「こだま」。

じつは、このそらん句をみた夜、ちょうど、前田圭衛子捌きの文音が回ってきて、

仁丹の看板錆びて昭和あり  舞

という雑の句につけなければならなかった。
関係ないけどこっちの歌仙の「こだま」から新幹線を連想したおかげで、
田んぼの中の看板でよくみかけた、おたふくわたを思い出した私は、

おたふくわたのやうなおふくろ  恭子

という付句を出すことができました。
前田師はこれを採ってくださった。
西日本には昔からおたふくわたという質の高い綿がありましたね。
と。何のてらいもない肉声の付だとほめてくださった。うれしかった。
で、検索してみたら、おたふくわた、というのは、博多の会社で今も健在。http://www.otafukuwata.com/
ですから、中山宙虫句に御礼申し上げます。ヒントをありがとう。

というところで、次は竹橋乙四郎の出番です。
仲秋の月をよんでください。晩秋でもいいですけど。
心の目に見える月を詠んでくだされば、それでいいと思います。

くれぐれも、前に戻らないようにお願いいたします。
それと。抽象ではないほうがよろしいです。

願わくは写生句がいいんですが。笑。
いちばんむずかしいことを要求します。すんませんね。
健闘をいのりあげます。じっくりとかんがえてくだされ。

と書いて、アップしようとして、ブログをのぞけば、もう句がでていた。

1 にわか雲喰らひつきしが半の月
2 電線でケーキ入刀さるる月
3 自転車を追いかけし月かくれんぼ

1、はんの月、っていうのを、初めてみた。
半ケツなら、若者がよくやる、わざと半分おしりがみえるようにズボンをはくことです。笑
半の月。あんまりいいません。っていうか、初めてみた。半分の月、なら書いたことがある。
ぎこちないけど、作者の思いはなんとなく伝わります。
雲が猛スピードで月を飲み込んでいった。
でも、雲から出てきた月は、半月であった、と、こんな意味でしょうか。
川柳としての面白みはありますが、
よわの月くらいでいいのではないでしょうか。

にはかなる雲へ松風夜半の月

月は風流なものとされ、ずうっとめでられてきた。
よわのつき。連歌での夜半の月は、松風や恋とともに語られる。
まつかぜは待つかぜ。前句は年に一度の逢瀬を待ちかねている七夕の馬(雌雄一対だそうです)。それをどう受ければ、はっきりとした恋句にならないで恋句になれただろうか。というのがここの問題であったわけです(というのはもう恋の座は終わっていたので)。

2、これはよくわかります。はっきり恋句。
    しかもどこにも浪漫はない。結婚って行事じゃんってかんじ。
 ウエディングケーキ入刀の意味は何事も二人して。という意味だってさ。
 たなばたの句から結婚へ。そこまでいかなくてもよかろうと。
 

3、これが一番素直です。前句の童心につけた句。
ほっとしました。ここで恋がでたらどうしよう。って実ははらはらしていた。
乙四郎的あまんじゃく、自転車を追いかけるのは、月のほうですか。
これ、自転車で追いかけるほうがよくないですか。

どれにしようか迷います。
かささぎは写生の月がほしかったので。
3は、こだまやまこものうまの世界にもどるか。
こどもの世界の住人の句、って範疇で、三句絡みになりそう。
ここに、ケーキ入刀は場違い。
牽牛と乙姫が右と左に引き裂かれるように、切り分けられる月、と一直するか。
または、一見写生句で、その実ひそかな恋待ちの夜半の月句に一直するか。
乙四郎さん、いかがですか。
それとも、まったく違う句をだされますか。

とりあえず、かささぎの判断で、切り分けられてしまふ月を置いておきます。
電線がすうっと月をよぎる。ケーキに刀が入るとみたてたのは手柄だった。
よくみかける光景ではありますが、句に仕立てたのは見かけませんよね。
しかし、ケーキ入刀としたら、はっきり恋句とわかりますので、それをさけるため、別のいいかたにかえた次第です。(なぜなら、ここは恋の座ではなかったから。)

ということで。はあ。つかれた。笑

つぎは、折端です。酒でものもうや。秋、七七。

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