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2011年1月24日 (月)

『久留米藩十志士と本荘家』  本荘 平

久留米藩十志士とわが家

     八女市平田   本荘 平

 十志士とは、王政復古後に樹立された久留米尊攘党政権により、市内寺町徳雲寺で明治二年一月二十五日夜、切腹の悲運に遭った旧政権の有志達で藩の近代化に尽した開明的指導者群を指す。優秀な藩士であった十人の死刑は久留米藩の地域産業や教育・文化・経済の発展のためにはマイナスであり、まことに残念でならない。

 十人の藩士の氏名を次にあげる。

今井 栄
喜多村谷彌六  ※ 切腹の順番
北川 亘        介錯人   略
松岡傳十郎  ※吉村武兵衛は、慶應四年四月十八日、大阪瑞光寺に於て切腹
石野道衛
九徳與十郎
梯 譲平
松崎 誠蔵
本荘仲太(小生の曽祖父、後述)


幕末における久留米藩の政治の党派は二つに分かれていて一方は眞木和泉、水野正名等が藩の主領となり、他方は今井栄、喜多村彌六等、眞木等に対し隠然対立の姿となる。幕末に際し前者は尊王、倒幕、鎖港、攘夷を唱え、後者は尊王、佐幕、開国、貿易を主張し自らの対立に至ったようである。

勤皇派の首領、水野正名、藩の政治を握ると対立派今井栄一派(十人の藩士)の人々は幽囚禁獄の身となり、次いで屠(切)腹を命ぜられる。

(※ここに系図が挿入されている。)

星川(江戸の昌平こう*に学び藩学教官となる)ー次男・仲太(適所)-直太郎ー一樹ー平(小生)

  本荘仲太

経歴 本荘仲太、初めの名百之、一損(いっそん)と称し、適所と号す。父は本荘星川(せいせん)である。

仲太(適所)は早くから家で勉学に励み江戸に出て昌平学(今の高校か大学・昌平こうのこと)で勉強する。藩に帰り明善堂(いまの明善高校か?)の教官となり、安政万延の頃、主君に上書(書をもって意見を申し上げること)すること二回、また藩の参政役、伴勝三郎にも意見書を提出する。その他諸々の役職を命ぜられ公示奉行副役となる。政敵水野正名、摂政となるや禁錮の身となる。明治二年一月廿六日屠腹、屠腹の順番が最後であったので、子(ね)の刻(こく)夜の十二時を過ぎ26日となる。年51才。八女市忠見大籠山の墓地に眠る。
長男・直太郎(小生の祖父)に拾人扶持御祐筆格として家名を立てられる。
数年前までは年に一、二回は必ず忠見大籠山の仲太外(ほか)本荘家一門の墓に参り、兼ねて周囲一帯の清掃を続けてきたが、現地まではかなりの山坂でからだの方がもてなくなり、(91才)現在は止めている。終わりに、本荘家一門の歴史を誇りに思いこの誇りを子々孫々まで続けていくように更に更に努力しなければならない。


※一部先輩諸氏の資料を参考にしています。

以上、『八女市老連広報 第43号』2011年正月発行より引用。
かささぎは筆者のお方を存じ上げないのですが、ご住所はわが寺田村の隣村であり、親近感を覚えます。郷土歴史資料としてかささぎの旗の地域学に編集させていただきましたことを御礼申し上げます。

▽ブログ内連句的リンク記事

昌平こう・・・現湯島聖堂。

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_f773.html

乙骨太郎乙・・・に興味をもった原点にある話

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/01/post_5052.html

乙骨太郎乙の精神世界・・・昌平こうのこうの文字になぜ黄が入っているかの考察http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/01/post_85f1.html

乙骨太郎乙の精神世界2

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/01/post_6c33_1.html

学問どころ・上妻と久留米藩校『明善堂』

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_0f42.html

八女教学散歩http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_09de.html

この中に、

傑出した本荘星川の川崎塾

継志堂に匹敵するものに本荘星川の『川崎塾』(文武兼修)があります。星川は、江戸の碩学古賀精里に従学、文化十一年(1814)帰国後、山内村で川崎塾を開き、純朱子学(朱熹シュキの儒学)を講じています。従来の崎門学に対する純朱子学高揚の功績は高く評価され、星川の学行は門弟達によって永く継承されました。この学系の学塾として著名なものに、新荘村の後の会輔堂(高橋嘉遯)・北河内村の琢成堂(小川鬼山蘀)・福島町の磊磊堂(牛島愚軒)などがあります。

ネット内検索でほかに本荘星川がでてくるところ
http://kurumenmon.com/arima/rekidai/09yorinori.html


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コメント

本荘星川は久留米藩校明善堂の堂主となった人。
杉山洋先生の今日の夜話に出ています。

久留米の医学の発展に貢献した人と言うのはここに登場する真木和泉と言う人です。
水天宮の宮司さんの家に生まれた人で明治維新に活躍した人。明善高で学んでいます。
水天宮の一角に真木神社と言うのがあるそうです。
10年以上前に水天宮で撮った真木和泉の銅像の写真が見つかりました。
銅像のそばの業績を書いた看板の写真も見つかりました。
篠山城址だったと記憶していたのですが水天宮のようです。

医学部を見下ろす篠山城址にあったから、ああ、なるほどなと思った記憶があったのですが。

かささぎさんが見てたテレビ「Jin・仁」にも、当然真木和泉は登場する人物だったんだけど、脚色で出てこなかったんだってよ。

へえ、そうだったんですか。
まきのいずみのかみ、名前はよく存じ上げているのですが、その生涯を詳しく知らないままです。
たしか、筑後のどこでか、真木和泉のお墓だったかな、それとも生まれたところだったか、記念碑みたいなものが祀られていたのをまじまじと見た記憶があります。
筑後市の八女高校の近くの地名が和泉、それもその人になにか関連があるのかなあ。と思ったこともあります。

いま、しらべてみました。水天宮さんの境内。
ここ、ごらんくだされ。
この中に書かれていた文章をよんで、ああ、あれは水田天満宮の近くであったなあと、記憶がよみがえりました。筑後市ではなく、水田みった。

「久留米藩改革の際、真木和泉守が久留米藩より水田村(現在の筑後市水田)の弟大鳥居信臣のもとに謹慎を命ぜられそこで付近の子弟の教育を行い、そこは尊皇倒幕の策源地ともなりました。
この建物は資料により当時のものをこの地に模して建てたものです。実際の建物はまだ水田に存在しております。」(引用)

和泉とは、和泉国(今の大阪府南部)のことで、和泉守とは、和泉国の国司の長官という意味です。つまり久留米水天宮という、全国水天宮の総本社の神官であったために、そのような称号をつけていたわけで、実態はあまり意味がありません。
大岡忠相が越前守であったり、羽柴秀吉が一時期筑前守だったようなもんです。ちなみに吉良上野介の「上野介」は、上野国の国司の次官、遠山の金さんの「左衛門尉」とは左衛門府の判官の職名ですが、これも形だけ。時代的にいうと、戦国時代や幕末といった混乱期は、そういう朝廷組織での職名がもっと大安売りの時代だったのかな?
最近では真木和泉として記載のある日本史教科書にもあるけど、この名はあくまでも通称です。そして蛤御門の変(禁門の変)の後、自害してます。
明治維新と言えば、俗に江戸幕府が倒れて新しい明治政府ができたことだと思われてますが、歴史学的にはペリー来航から明治政府確立までの数十年間のスパンを明治維新と言うので、その意味では「明治維新に活躍した人」と言ってもいいでしょう。
私、郷土史にはあまり詳しくないので、この程度で。

おお、呂伊利先生、かたじけのうございまする。
いずみのかみの由来、しかと承りました。

水天宮の発祥の地は久留米。
あぜちさんとおさない天皇をまつるんでしたっけ。
赤間神宮、えめさん、こないだ行かれたようですね。
そこ、すごく印象的でしたよね。みずがはられている。竜宮に模しているとかかれていた。

わたしはそこが水天宮と思っていて、だから、久留米の水天宮が本拠地だなんてこれっぽちも思っていたなかったんだよ。だから、高良さん十景歌を学んでいた時、なんかのはずみでそこへ出た時、あまりぴんとこず、あれ?っておもった。

歴史、まったく、うといっす。
大河ドラマでそこらへんやってくれないでしょか。笑。安徳天皇、だったっけ。今職場にいます。
自己紹介されるとき、あんとくてんのうの親戚です、っていわれる。

滞在時間 0秒 閲覧ページ数 1ページ 参照元 久留米藩 澤

切腹した中に梯氏が一人、水月さんのおっしょさんを連想します。ご一族でありましょう。

滞在時間 17分10秒 閲覧ページ数 4ページ 参照元 (不明)

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