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2011年1月30日 (日)

『まぼろしの邪馬台国』

テレビも新聞も目を通さない日が続きます。

昨夜ずいぶん久しぶりに映画を一本みました。
堤幸彦監督作品『まぼろしの邪馬台国』。
原作を知らないので申し訳ないのですけれども、それでもいわせてもらうと、宮崎康平の邪馬台国説はさほど重要視されていなくて、ただあの「昭和の戦後時代」の部分的リアルさ、郷愁というものが実によくかもし出されたドラマで、ちくりちくりと現代の害毒に侵されてしまった胸を打たれました。映画としてはあらが目立つところもあるのですが、風景の一コマ一コマ、時代性が際立つ人物像の設定、などなど見るべき点はたくさんあります。
島原観光バスガイドの教育掛りに吉永小百合さんがなるのです。
それらのガイドさんを農家の軒先からスカウトしてくるときの、貧しげな家のたたずまいのリアルさ。まるでみてきたようです。
窪塚洋介という役者さん、ほんとうにうまいですね。
この労働者ストを率いる若者に一目ぼれして子を宿すバスガイド役の、ふっくりとしたかわいい女優さん(お笑いの方です、名前を知りません)とともに、翳りをおびた独特の演技で人物が立っていました。
康平役の竹中直人が小百合さんに女房になってくれという駅での場面。
子役の子が歌う、島原の子守歌。これが、さいこうによかった。

おどみゃ島原の おどみゃ島原の
なしの木育ちよ
なんのなしやら なんのなしやら
色気なしばよ しょうかいな

この歌詞、私も二番まで覚えています。
そして、あのガイドさんたちの制服のスーツ!
腰のくびれたタイトなバスガイドスーツです。
どこのバスガイドもそうだったのでしょうか。
中学生のとき、修学旅行で出会ったバスガイドさんから教えてもらった歌が、島原の子守歌とちゃわんむしの歌でした。
以前一度「バスガイドさん、中島照美さんの思い出」と題して書きました。
(時々アクセスがあります。)
青島の鬼の洗濯板のところで、中島さんが旗をもってあのスーツで写っておられる一枚があります。
旅行後バスガイドさんを学校にお招きして、テープに歌を録音、クラス会で流した思い出。

映画の筋で、妙に気になったのは、康平と前妻の子二人。
あかんぼうと五つくらいの子を置いて家を出ていく妻、というのが腑に落ちなかった。
康平は盲目なのですよ。ですから、よほど辛い事情があったのでしょうね。
その妻役の女優さんが、盲人役の竹中直人と同じくらい迫力がありました。
また、老舗の旅館の女将役の由紀さおりもとてもよかった。

吉永小百合さんは卑弥呼の装束で最後に出られたとき、なんときれいな人だろうと思った。
またカーラーで巻いたヘアースタイルには、神崎さくらさんのおぐしを連想しました。
いつまでもきれいなままを保つのは、並大抵の努力ではできないでしょうね。

あちこちにスター役者が出ていて、ぜいたくな映画でした。

▼連句的にきのうの朝刊から

木下知威(きのしたともたけ)という人の土曜エッセー、『京都盲唖院への憧憬』という文章を興味深く読みました。(西日本新聞朝刊1月29日付学芸・芸術面)
京都盲唖院は京都の中心地にあった盲目の少年少女のための学校だそうです。
明治11年。開学縁起;http://www.kyoto-be.ne.jp/rou-s/shoukai/enkaku.html

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コメント

こんばんわ。
今日は「れぎおん」を届けて頂きありがとうございました。 もう1冊は松芳さんに渡します。 御本もお借りします。すみません、ありがとうございます。

>>この映画は見たかったです。 
窪塚氏は不思議なムードの俳優さんですね。
TVドラマ・ストロベリーオンザショートケーキを欠かさず見ていました(秀逸なドラマでした) 当時彼に釘付けになりました。 立ち姿や表情がとても美しいのでした。 あのドラマでは独特のオーラがありましたよ。
気になる俳優さんでしたので、GO、ピンポン、溺れる魚、などを見に行きました。 あと、TV・漂流教室とか。
今年公開の源氏物語・安部清明役、とても楽しみです。 斗真君の源氏役も楽しみですが^^

>木下知威(きのしたともたけ)という人の土曜エッセー、『京都盲唖院への憧憬』という文章を興味深く読みました

はい。わたしもです。
どこがどうというわけではないけど、胸に沁みるものがありました。
埋もれた資料を探し出すこと、の重要性。
分散してしまって処分される運命にある書簡の探索。
作者がなさろうとしてること。そこにも惹かれた。

せいちゃん。
障害児教育にはそんなに歴史があるわけでもなかったんですね。明治十一年、ついこないだのことですよ。せいぜい百年と少しの。
でもひょっとしたら、知らないだけで、どこかに埋もれているかもしれません。
もし自分の子がどこかに障害があれば、必死でなにかその子のためにしてあげたいと思うでしょうから。
そういう親御さんはたくさんいらしたでしょうから。

きのしたともたけさんの文章で、むねにしみたのは、たどたどしい文字でかかれた聾者の試験答案が生徒に返されることなく、綴じられて残っていた。それを手に取り、なみだをそっとぬぐった、というところです。そのともたけさんの姿が、おのずとこころに浮かび上がります。このひとは、とっても端正なお顔立ちをなさっていまして(写真つき記事です)、生まれつき耳がまったく聞こえない自分と共振するものがある、と、ちゃんと書いておられます。それに、わたしも、こころをゆさぶられ、きっとそれらの資料は、この人が起こしてくれるのを待っていたんだな。とおもいます。

ブログを見るのを楽しみにしています。これからもがんばってくださいね!P(^o^)

フェザーさん。おかげで大事なことを思い出しました。
私は今度の職場にきてよかったなあ。って今日つくづく思ったんですが、その理由は。施設のあるじ(どうも父の生家近くのコメやさんらしく)自ら、私が遅番で洗浄していると、その横をいつも障害者の車椅子を押して声をかけながら通られるのです。あいさつをすると、いつも明るい声で、ほんとうに楽しくてたまらないという風情でお疲れ様!と返される。わたしはなぜかわからないけれど、なみだがでそうになります。なぜでしょうね。(それはとしをとったから?)

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