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2010年12月 7日 (火)

かつら着用後のともだち

かつら着用後のともだち

がんの手術から「三回の生還」をはたした友だちです。
髪の毛は産毛よりは濃いけど、まだ薄いのでウィッグ。
まったく健康な人みたいでしょう。つやつやして若いよ。

昼の鍋

とても忙しい。朝ハローワーク。つい、くるめ。
職業訓練受けながら生活費がもらえます。
ときのう見た求人広告に書かれていたので、本当か聞いてきた。
本当みたい。でも、久留米ではなく居住地のに行って下さいって。
それで、説明書だけもらって帰りました。
医療事務なら、ニチイ学館ともう一個なんとかいう処があった。
フルタイムの再就職、医療事務をもう一度したいんだけど。
三十年前で忘れてしまっていて、もう一度学ぶ必要がある。
でも果たして56才でもオッケイなのだろうか。
それ以外の条件はどれもクリアーしていた。
喜ぶべきか悲しむべきか、とりあえず笑おうか。あはは。
いいや、やはりみじめだ。しょぼーん。

おさなともだち二人と約束していた。
あわてて11時に御井町の友人宅へ。
写真は、いつも着物で食事会に出てきてた友人です。
かわいいでしょう。もうお孫さんもいます。
手作りのご馳走をふるまってくれました。
しゃぶしゃぶ。豚肉のほかに、鶏つみれ(にんじん、ごま、ねぎ入り)白菜、春菊、うどん。
おからと大根なますも。
左端の黄色いのは、栗入りくちなしおこわ。
これは立花町谷川のたっこちゃんが作ってくれました。

身近なともだちががんでたくさんしんでいった。
みてきたから、どういう経過をたどるかわかる。
だから、一日一日せいいっぱい生きようと思う。
・・・と、彼女は明るく笑っていいました。

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コメント

こんばんわ
お友達、笑顔がとてもすてきですね
先日同窓会で久しぶりに会った友人は3年前にリンパ系のガンだったとかで、、でもすっかり元気になってました。
彼女のケータイに、髪の毛がすっかり抜けつるつるの尼さんみたいな、でもとびっきりの笑顔の写真がとても印象的でした☆
笑顔って、きっと色んな迷いから救ってくれる魔法みたいな力があるのかもしれません

えめさん。コメントありがとうございます。
がんはふつうの病気と同じなんですね。
何の屈託もない笑顔、すばらしいです。
それだけでぱあっとあかるくなります。

どんなに困難で、悲惨な状況でも、もし万が一、笑うことができれば、おそらくは笑うことなどできないのだろうが、笑えれば何かが充電できる。それも真実だ。(伊坂幸太郎:ゴールデンスランバー436頁)

わたしの見廻りでもがんと戦って戦って、精一杯戦って、逝かざるを得なかった友人や親しい親族がいるので、この記事とても他人事とは思えないのです。
毛髪をなくして、バンダナにお下げの付け髪をして幼い息子と自宅前で撮った写真を年賀状にしたてて送ってくれた、歳の離れたいとこのことをこの写真を見て思い出しています。
いのちがあること。
それだけで幸せなんだよね。
日々の愚痴など言ってたら罰が当るわ、わたし。

せいちゃん、ぐちいうてもいいよ。それですっきりして、またがんばれるなら。そうじゃないと、やっていけないでしょ。はきださないと。ためこんじゃだめ。
ところで、きょうごはんたべながらみたものは、重かった。なんの病気だったのか、かわいそうな重病の女の子。透析をしたら楽になるのに、それを拒否、病は進行してなくなった。不治の病だった。本人がよく知っていた。親の思いも先生の思いも十分いたいほどわかっていながら、本人の意思は延命治療拒否でした。それを認める度量がいるってこと。本人にしか、わからないのだ。いたみは。つらさは。

そういえば。乙四郎。きみの最もご近所の同級生が彼女だったんじゃない。旧姓ちよださん。おぼえていますか。かずだよ。距離にしてわずか五十メートル以内にすんでいたんじゃないかな。きいたことありませんが。きけばよかったねぇ。

その延命治療を拒否した女性の話、涙を流しながら見ました。娘だったらどうしたろうと。自分だったらどうしたろうと。
死にちかづいているのに、まだ何の心構えもしていない。延命治療をのことも、臓器提供の事も。
へこたれだから、目の前の痛さ痒さに一喜一憂している。

わたしの一番ご近所の友はタッコといいます。
もう誰よりも優しい、その優しさがあったから、わたしは死ぬほど行きたくなかった幼稚園にも行けた。
その幼馴染の母上がこないだなくなりました。
おばさんもおじさんも二人ともとっても優しい人たちで、こども時代はわが家のすぐ前に家がありました。色々としんからお世話になった。あの一家が大好きでした。
おせわになりました。
かずが、葬儀には代表でいってくれた。わたしは母とお通夜にいきました。

わたしたちは、中学一年生の夏休み、まるでスタンド・バイ・ミーの映画みたいに、自転車で山内のいまにしておもえば、あれはくらのすけさんの碑のところまでハイキングにいったり、たっこのおかあさんがいうところの、こくらこーらをのんだり、たっこのおかあさんがつとめていた、福島のあられ工場にアルバイトに行ったりしました。
このときのこと、よく覚えています。
アルバイトにあこがれていた。
でも、すみの家の菊の芽摘みとか、あるいはいとこのうちの梨の袋掛けとか、少しやっただけでした。
たっこのおかあさんの工場は、とってもきつかった。暑くてきつかった、でも、ちゃんと私たちにも賃金を支払ってくれた。それがいくらだったか、覚えていませんが、大人扱いされたようで、うれしかった。
四人で行って、もじもじして、だれも切り出せず、わたしが仕方なく、アルバイトさせてくださいと言ったことなど、あざやかに思い出します。
こないだ、かずさんが話してくれたのは、

夜間高校行きながら働かなくちゃならなかったけど、中学の夏、たっこのおかあさんの工場で働いたおかげで、随分きもちが楽だったのよ。あそこが厳しかったから、どんなにきついだろうと思っていたら、実際はそれよりずうっと楽だったので、よかったと思えたもの。だから、おばさんにはとっても今でも感謝している。

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