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2010年12月 1日 (水)

総合医療論講義(3) やまひといやし

保健医療経営大学学長
 橋爪 章
2010 年 12 月 1 日 総合医療論講義(3)

<病:やまい>

「疾患」「疾病」「病気」は、一般に、身体の構造上、機能上の異常を指して用いられますが、「病」は、こころの状態や対人関係など社会生活面での不満足な状態も含んだニュアンスで用いられ、WHOの健康の定義の反対概念により近い用法かもしれません。

「疾患」は医療技術の適応対象として、医療提供者の立場が基本となった言葉であるのに対し、「病」は患者の受けとめ方を基本にした言葉です。

たとえば、「会社を休む」ことは「病」に対する社会的行為であり、「疾患」に対する医療行為ではありません。

<癒し>

「治療」と「癒し」のニュアンスの違いも同様です。

「疾患」に対して技術的に立ち向かうのが「治療」であり、「病」に対して全人的に向き合うのが「癒し」です。

もちろん、「癒し」にも技術的なノウハウがあり、看護職にはしばしば「癒し」が期待されますので、看護職は「癒し」の技術を修得しなければなりません。

「癒し」のためには、患者と同じ視点に立つこと、患者の「病」を共感することが重要ですので、看護職自身の過去の「病」の経験が役に立ちます。

<健康不安>

過去の不衛生な時代と比較すると、現代社会は確実に生存や疾患のリスクは低くなっているはずですが、人々の不健康感は増大しています。

社会的ストレスや不安を煽る健康情報の氾濫に起因することも多いようです。

健康情報が容易に手に入る時代が到来したこと自体は喜ばしいことですが、それらの情報を交通整理し正しい情報を選択的に人々へ届けることは、医療情報の真偽を見極める専門家である医療側の社会的役割でしょう。

健康不安は、充足感、充実感の乏しさの反映です。

不安解消のための行為をどれだけ積み重ねても、満足感がない限りは健康不安がつきまといます。

医療を受ける患者についても、ただ単に治療が成功したかどうかの尺度だけでなく、医療への「満足度」がどうであるかが医療評価のキーワードともなってきています。

<老い>

生・病・老・死は、いつの世においても思想・哲学の重要なテーマです。

医学の進歩につれ人類は「病」や「死」を遠ざけることに成果を上げてきましたが、人間にとって「病」や「死」は必然的に訪れるものであり、成果といっても「病」や「死」の到来時期を先延ばしにしただけのことかもしれません。

結果として、現代社会においては、「老」と向き合うこと、あるいは「死」に至らない「病」とうまく付き合うこと(一病息災)がクローズアップされてきています。

「老」を充実させることは、「老」だけを対象とした働きかけだけではうまくゆきません。

「老」を支える社会を充実させることが重要です。

個人レベルにおいても、ライフサイクル全般の充実があってはじめて豊かな老後が得られます。

「老」を支える社会の仕組みも、長い「老」の到来を前提としたライフサイクルの哲学も、いずれも開発途上の課題です。

新しい社会の建設のために、医療側には積極的な情報発信が期待されます。

(保健医療経営大学『学長のひとりごと』転載)

きのうのコメントまとめ

コメント

近衞忠煇氏とは、氏が日赤副社長であられたとき、パーティーで御一緒させていただいたことがあります。高いポストであられるにかかわらず、赤十字の国際救援活動の最前線を飛び回っておられたのが格好よかったです。

コメント

11月29日議会開設120年記念式典でのこと。

秋篠宮殿下御夫妻が入場。
天皇皇后両陛下の御入場をお待ちになる間、ずっと起立。
民主党ベテラン議員N「早く座れよ。こっちも座れないじゃないか。」

皇族へ野次を飛ばす日本人が国会議員をやっているという驚き。

朝鮮半島の銃撃戦も、東京より近いところで起きているのですよね。
ミサイルが佐世保の米軍基地を狙って飛んでくるかも。

>>誰だろうと思っていました。そうでしたか。

N氏はまだ式典に出席しているだけましなほうかも。
この式典、両陛下をお招きしておりながら、衆参両院の国会議員721人のうち330人以上が欠席したとのこと。
皇族への敬意は失われてしまったのでしょうか。

国会議員がいちばんえらい。
国をつかさどってるのは俺達だ。

どこにも、かぎりなくごーまんで、かぎりなく勘違いしてる輩はいるもんですが、敬意というより日本人としての一般的な礼儀も持ちえていない人間こそ、そんな勘違いオトコになりやすいという実例みたいなもんでしょう。

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コメント

日本を根底から壊すには国民のアイデンティティである皇室を貶めることだと考える集団が政治をやってると思うこのごろ。

畳や障子のある部屋でほっとしたり、米を普通に主食にして世界に冠たる長寿国になっていたり、七夕や盆踊りを楽しみ、茶や俳句にいそしみむ国民の象徴として、日本独自の文化を永遠に継承して下さっているのが皇室だと思っています。

乙さんの過去のお立場から日赤関係の方とは接点がおありだと思っていました。
やっぱり。

N氏といえば、国家公安委員長というポストにあられた時に外国人ホステスに議員宿舎の鍵を渡して自由に出入りさせてた人でした。
このことだけで罷免されてしかるべき人が、こともあろうに予算委員長という国会運営の要のポストに処遇されていたということを知り、愕然としています。
やはり日本は終わりです。

aa・・あの時の・・key

お久しぶりです。携帯紛失で落ち込んでます。

ところで、相手に聞こえなかったといわれる「ヤジ」は非難されても、相手に不快感を与えたはずの携帯呼び出し音を出した人はあまり非難されないんですね。
かつて大勢の前で「お説教」してた人の携帯音が突然鳴り響き、でもそのお方は謝罪の一言もせず、「お説教」続けたことを思い出しました。

ろいりさん。
携帯なくさっしゃったとですか。
鳴らしてみられましたか。
うちの長男もなくして、呼び出し音がならない設定にしていて、とうとう不明のままです。でもバイトなどで困るので、祖母の携帯を借用中。長男が偉いと思うのは格好を全く気にしないこと。次男ならださい携帯はいやだ。というだろうが。
ところで。
勤務先での携帯にまつわる話。
患者さん、ことに男性の方はポケットというポケットにたくさんのものをつめておられます。それを全部出して、籠にいれられるのですが。あっちの機械で治療中、こっちのほうで携帯音。もってまいりましょうか。、、、、、はい、といわれたとき、その携帯を人様の持ち物の中から探すのが苦痛です。若き日、空港警備でぼでぃちぇっくをしていた記憶がよみがえります。人のからだにさわるのが、とってもとってもいやでした。笑。
さわられるのが、いやだ。っていう人は多いですが、さわるほうもいやなんですからね。でも、それが仕事でしたから。
アメリカでは今、テロ警戒強化ですごいことになっているようですが。はだかになれとはいわれないまでも、ハイジャックや爆破警戒の警備は頭がいたいことでしょう。
あれ。まるで関係ないはなしをまたしてしまった。

この関係ないハナシから、また関係ないハナシを。

入国審査というと、香港旅行から帰ってくるとき、麻薬犬にまとわりつかれ丸裸にされた息子の友人を思い出します。原因はメス犬のフェロモンだったというオチがついてるハナシ。すみません。まったく関係なかったです。


ところで。この「早く座れ」発言について、このニュースのことは新聞で知ってたツレですが、発言主は知らなかったそうです。
「N議員よ、ほら、宿舎の鍵を愛人だったか恋人に貸しとんしゃって問題になったことがあったろうが」と教えたら、ツレの冷た~いひとこと。「ああ、あんやつねー。そんくらいのニンゲンじゃろうちゃ思いよった。なにさまち思いよっとじゃかね」

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