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2010年12月 3日 (金)

盗と創 夜のかささぎの羽の色

[私は人一倍、絵を描くのが好きだ。私が絵に興味を持ち始めたのは小学四年の頃、ある友達との出会いがきっかけだった。その子は足し算引き算の計算や会話のテンポが周りの人より少し遅かった。が、絵のとても上手な子だった。彼はよく絵を描いていた。エメラルドグリーンの綺麗な青空の絵だ。その吸い込まれそうな空に私は幼心ながら驚嘆した。
 当時の担任の先生は、算数の時間になるといつも、その子に問題を聞いていた。頬に冷や汗を浮かべながら「ええと、ええと」と必死に答えようとする彼の姿を見て、他の子達はくすくす笑っていた。先生は答えが出るまでしつこく何度も言わせた。私はその先生が嫌いだった。
 六年生になる少し前、その先生が他の学校に転任することがわかった。学年末の全校集会で生徒代表としてお別れの言葉を言う人を決める事になった。「先生に一番世話をやかせたのだから、あの子がやれよ」と誰かが言った。話し合いの結果、結局彼が言う役になり、当日、彼のお別れの言葉が始まった。
 「僕を普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました。」
 絵の具の使い方を教えてくれた事、つきっきりで算盤を教えてくれた事など、彼の感謝の言葉は十分以上に及んだ。静まりかえる体育館の中、先生が拳をぶるぶる震わせ嗚咽をくい縛る声が響いた。
 「彼は絵の才能の代わりに他の持ち物が皆に比べて少ない。だけどそれは決して取り戻せない物ではない。そして彼はそれを一生懸命自分の物にしようとしている。これは決して簡単なことではない。」
 その後に先生が言ったこの言葉を聞いて私は、厳しさとは優しさの裏返しであると思った。そして、先生のことを嫌いだと思っていた自分が恥ずかしくなった。
 毎年、先生の家には、一枚の空の絵が送られてくる。先生が彼に作り方を教えた、綺麗なエメラルドグリーンの空が。 ]
日本福祉大学 2010年度 第8回 高校生福祉文化賞 エッセイコンテスト入賞発表 第1分野 優秀賞 「空の絵」

[小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。

担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。

クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。

私は、A君の言葉を忘れない。

「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」

A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。

昨日、デパートのポストカードなどに美しい水彩画と、A君のサインを発見いたしました。

N先生は今、僻地で小学校で校長先生をしております。
先生は教員が少なく、子供達が家から2時間ほどかけて登校しなければならないような
過疎地へ自ら望んで赴任されました。

N先生のお家には、毎年夏にA君から絵が届くそうです。
A君はその後公立中高を経て、美大に進学しました。
お別れ会でのN先生の挨拶が思い浮かびます。

「A君の絵は、ユトリロの絵に似ているんですよ。
 みんなはもしかしたら、 見たこと無いかもしれない。
 ユトリロっていう、フランスの人でね、街や 風景をたくさん描いた人なんだけど。
 空が、綺麗なんだよ。
 A君は、その才能の代わりに、他の持ち物がみんなと比べて少ない。
 だけど、決して取り戻せない物ではないのです。
 そして、A君は それを一生懸命自分のものにしようしています。
 これは、簡単なことじゃありません!」

A君は、空を描いた絵を送るそうです。
その空はN先生が作り方を教えた、
美しいエメラルドグリーンだそうです。 ]
泣ける2ちゃんねる No.451 2006.02.08 涙が出るほどいい話 2粒目

かささぎの旗(八)   姫野恭子

 俳句界の重鎮・森澄雄氏が逝去された。
氏は骨密度の高い優れた句群を残された。
 
西国の畦曼珠沙華曼珠沙華    澄雄
 はるかまで旅してゐたり昼目覚   〃
 山の蟇二つ露の目良夜かな     〃

三句目のガマの句、季語が三つもある上、
三句切れといわれて忌み嫌われる形である。
けれどもなんと悠々とした大人の句だろう。
様々な方々の追悼文を目にしたが中でも
『俳句界』掲載の榎本好宏氏の次の一文は
深く心に残るものであった。引く。
    ◆
 やがてT君は「菊慈童」のシテの謡いに
かかると、もう岐阜の灯も見えてきた。「
ここでいつも師匠に叱られるんですよ。
七百歳の声を出せって」と静かに笑って謡
い収めた。(注・これは森澄雄氏の文章)
 澄雄の耳から、この「七百歳の声」が離
れなかった。「自分の俳句のいまの声の中に
その七百歳の声が沈められないか」と思っ
た。その夜帰京した澄雄は雁の夢を見てい
る。
 
それまでの句にはない、「心の景色」を私も
このニ句に見た。(榎本氏) 
   ◆
私は人様の文章をよく引用(丸写し)する。
それはやっていてとっても気持がのる作業だ。
どこか霊媒への依り代めいて言葉が存在する。
が文章の引用と本歌取りでは全く意味が違う。
不動明王女われゐて秋まひる   秀野
 不動明王女われゐてはる真午   恭子 
自句で恐縮だが秋と春だけの違いしかない句。
この作業で姫野は何を考えていたかといえば、
現在の女性と戦前の女性との意識の差である。
この句を詠んだとき、秀野はまだ三十そこそ
こで子どももまだなしていない。対する姫野
は五十五で三人の子持ちである。その落差が
もたらす滑稽感というものを詠みたかった。
秀野は何か強い感情を抑圧しようとしている。
姫野は何か強い感情を招来しようとしている。
ここでは何故一句を書くかが、問われている。
かように無謀なことをやってみて、見えた
ものがある。それは、岸本マチ子の「祈り」
が岡本太郎の盗作だと糾弾されつつも全くそ
の批難にひるまず、堂々と立っている理由だ。
批難は受ける。しかし、作品は、捨てない。
それが作者に必然である理由があるからだ。

 だが 凝視する眼の背中の
はりつめたあの沈黙は一体なんだろう
ふとこらえ切れず空気を切って流れる炎色
瞬間赤い足袋は乱れ
人は鬼にも蛇にもなる心の闇をのぞく
石はなにもいわない

       岸本マチ子『祈り』最終連

「凝視する眼の背中のはりつめたあの沈黙」が
詩全体に撓うような鞭をふるい、すべての邪念
をきよらに祓う。石はなにもいわない。

 石抱いて沈む一族沖縄忌  野田遊三
 桜の夜赤子ひそかに銀を吐く岩木 茂
 ほととぎす闇も鏡もひび入りぬ
              小倉斑女

  『九州俳句』誌160号平成22年11月15日刊行
  発行所:九州俳句作家協会

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コメント

「頬に冷や汗を浮かべながら」というのは、どうですか。普通、額ではないでしょうか。
気になるのはそれだけです。
ことに、元の文章にはない、
「その後に先生が言ったこの言葉を聞いて私は、厳しさとは優しさの裏返しであると思った。そして、先生のことを嫌いだと思っていた自分が恥ずかしくなった。」
この部分は書き手自身の肉声であると思います。
逆に、元の書き手が書いていて、紹介者が書かなかったのが、生徒代表挨拶をさせようとしたおばかさんがいた。ということ。いじわるな思いつきであり、それを元の書き手は恥じています。では、紹介者はそれを忘れていたのかというと、それはちゃんと読めていた。だから、この一文をいれたのだろう。

このエッセイ入賞作品を読んで、涙が出た。
やさしさに裏打ちされたきびしさ。
傍観者にはわからなくても、当の本人には伝わるものなのだろうか。それとも、このちょっとスローペースな少年がたぐいまれなる完成を持っていたから伝わったのであろうか。

子育てのむつかしさを、すっかり子育てを終えてしまったいま、しみじみと考える。うっとおしい母の愛はきっと母がこの世にいなくなってからこどもたち、とくに息子には届くのかも知れない。ああ、あの苦言は母の愛情だったのか、と。それとも、うっとうしい母ちゃんやったなあ、で終るのか。これが母自身の子育ての結果でもあるだろう。

ただいま。いま、お座から戻りました。
せいこさん。ありがとう。盗作のどうのはどうでもいいことなんですよね。これは神様の石蹴り遊び、川面を石がすべっていくんです。
おなじ話を二人の学生が語っている。
それは同じ話であるように見えて、それぞれ微妙に違うところから語られている。人のはなしをあたかも自分の体験であるかに書いた学生は、そう思える類似の体験があったのでしょう。重ね合わせたい思いが強かったんだろう。
お宮でひさしぶりに沢都にあった。元気だったよ。彼女もがん生還組ですからね。すっかり癒えて、いまは中学の情緒障害などの生徒をかげで支える補助教員の仕事をやっている。九州俳句にもどってこいとすすめる。もちろん、連句も。
これなら年に四回だから重荷ではないし、連句は気がむいたときに参加すればいいですからね。
こんな偶然があったそうです。
大分で親戚の会に出席したところ、はっと気づけば、すぐ前に貞永産婦人科があったって。きっとまことさんが呼ばれたのでしょう。まことさん。あの世で元気ですか。旧メンバーも招いて、まこと忌追善歌仙をまきたいものです。わこちゃん、まことくん、おとめさん、それからかぐやさん。みんなみんな、元気みたい。連句の友は一生の友、わたしのたからです。はっ。たからさんはきていませんでした。ご主人がみえていました。さいごの玉ぐし奉納のとき、すみせんせいもあげられました。

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