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2010年12月 1日 (水)

「やまかい」第二號 1950年

昭和25年12月20日
福岡県立黒木高等学校文芸部発行。
母の次妹が一冊だけ蔵していたものだ。
随想、詩、短歌、俳句で構成されている。
戦塵から立ち直る時期の清冽な息吹が噴き上げてくる。
俳句作品を一人分引きたい。
高校生ではなく、教師や親世代であろう。
叔母は夜間部に通っていたので、生徒にはさまざまな年代の人がいたのか、それとも、俳句などの文芸には、外部の指導者として大人たちがいたものか。そこのところは聞いておらず不明である。作者が元気でいらっしゃることをお祈りして。表記は旧かな旧漢字です。
夏木立
    武藤賢之

おぼろ夜に梟の聲や夏木立
銀翼の見えずなりけり夏の雲
短夜や兒は食台に居眠りす
汗しみし帽子拭ふや峠茶屋
夏川や夜風にゆるる屋形船
山峡に銀河は濃しテント村
掬ひのむ清水に顔のゆれてをり
ひんやりとラムネ冷やして霊岩寺
もう一編、随想を。
「杉葉子と私」井浦安喜。
今朝、連句仲間の中山宙虫ブログを読んでいたら、「パリ20区、僕たちのクラス」の感想が載っていた。おおやっぱり熊本は福岡より田舎だな。一月以上も遅いやと安堵しながら、北海道の函館の杉浦先生のところには、この映画は回るだろうか?などということまでちらりとよぎる。
http://musinandanikki.at.webry.info/201011/article_43.html
日本は縦長の島国で、映画封切りも末端はずいぶん遅れる。
それは昭和25年のこの文章でもよくわかる。新漢字に改めますが仮名遣いは旧のままで転載します。時代の変換期の表記で、誌名も「やまかひ」ではなく「やまかい」と新表記なのですが、あちこち根強く旧かなが残るのです。新旧ちゃんぽん表記とでもいうべきか。
杉葉子と私
 
   井浦安喜

  昭和二十四年十一月のある日の午後、宮崎県でも「陸の孤島」といわれる飫肥町ーその町の元芝居小屋だつた南明館の階上に、私は生徒に混つて座を占めていた。待望の映画「青い山脈」が映写されるのである。学校行事の関係か、生徒たちは案外少なく、破れたままの古畳に、三々五々上映を待ちあぐんでいる姿が眺められた。
 ずつと以前、大阪朝日新聞に連載された、石坂洋二郎の「青い山脈」は若い青春の花束を撒き散らし、面白い読物だつた。当時その日その日配達される一日おくれの新聞が楽しみだつだのである。その映画化を聞き、いよいよ封切されると作者石坂氏は原作に忠実な演出で、相当成功した映画であると、新聞紙上に賛辞を洩らしていた。この映画が宮崎市に来てみると大変な評判で、銀幕に現われる女学生の服装を真似る者が続出するという騒ぎ。巷には「青い山脈」、主題歌が流れ、何はともあれ、一度必見の映画だと私は心に決めていた。
 けたゝましく上映開始のベルが鳴りわたつた。最初のタイトルで「監督今井正」と目にはいり、ついで新子の役が杉葉子という新進女優である事に初めて気がついた。この女優の名前は、私の知つているそれと同じであるんだが、劇団でも映画界でも多く実名を名告らず、芸名を用いるのが普通なので、さして気にも留めなかつたのである。だが、画面に現れた新子の顔、細面のとがつた顎、特徴のある口もとー歩き振りは私の記憶に残つている杉葉子に余りにも似ているではないか。否、全くそつくりそのままと言つていい。私は一切ならず疑つたが、記憶というものは否定するわけにはいかない。私は、しばし呆然としてスクリーンに映る彼女の表情を凝視していた。
 映画館を出ると、外はさすがに南国の晩秋にふさわしい小春日和で、ポカポカと暖かかつた。私は、自分の靴音を聞くともなしに聞きながら、彼女に対する記憶がほのぼのと蘇つて来た。
 杉葉子さんはかつての私の教え子だつたのである。昭和十六年の四月、彼女は県立門司高女の新一年生となつて、可愛いオカツパを振り立てていた。門司税関長の娘で、母なし子だつた。広々とした葛葉の官舎望玄閣に寂しい家庭生活をしていたのである。顔の青白い、痩せこけた体附きをしていて、思いなしか、どこか淋しい感じのする印象的な生徒だつた。当時級主任をしていた私は、こういう生徒に対しては、特に注意を払つていた。
 その年は外に事もなく暮れて、正月を迎えると、私は出向を命ぜられ、長崎高女に転任することとなつた。十年一昔の長い間勤めていた、思い出多い門司高女ー住みなれた、懐かしい門司の土地を今離れんとして、私は車上の人となつた。同僚だつた先生方をはじめ、私の級だつた者、受持の学友、区の生徒など大勢見送りのため、門司駅のプラットホームに並んでくれたのである。教え子たちは名残を惜しんでか「私を送る」手紙を、色とりどりの封筒に納めて束にし、汽車の旅の無聊を慰めようと私の掌に託したのである。当時を偲べば誠に感慨無量。生き甲斐を一瞬に結晶せしめた思いだつた。
 車中はずつと可愛い生徒たちの真心こめた手紙に読みふけり、感激の涙の頬を伝うのをどうすることも出来なかつた。もちろん、杉葉子さんの手紙も、その束の中に見出された。卵色の封筒に入れられ、鈴蘭の色模様の入つた、二枚の便箋紙にはつきりした文字で認められてあつた。
 先生が御退任になるといふ事はうすうす感じてはをりましたが、私達が二年になるまではおしえていただけると思ひ込んでをりました。・・・・が、昨日お別れの会がある事を知つてびつくりしてしまいました。先生は長崎の県立にいらつしやるとの事でございますが、私は門司の小森江小学校に転校する前、長崎の勝山学校に六年生の六月迄居りました。その頃同級生だつたお友達が大勢長崎県立に一年生として入学しているはずでございます。きつとその方達も先生にお教を受ける事だらうと思います。私がその事を級のお友達に話したら、お友達は「あんたが長崎に居て県女に入つたらば井浦先生に習えたのにね」「でも、もし向うに居たら井浦先生がお入りになつてもただ新任の先生が入つていらつしやつたとしか思わないのにね」と言つて大笑ひいたしました。
 お体をくれぐれもお大切に
 これから先も度々御便り差上げやうと思います。
 御なごり惜しゆうございますが小夜奈良
     杉 葉子より

 私のその頃の歌
  長崎へ赴任の車上

有明の海見え来ればうす日さし海面(うなも)ははろか薄みどりいろ
海はるか裾引きにひくかの山を雲仙とききて眼(まなこ)みはるも
師われを送ると生徒(こ)らがつづりたる文字のいとしさ吾れ泣きにけり

「これから先も度々御便り差上げやうと思います」と、書いてあるように私が長崎に来てからも耶馬溪擲筆峯の絵葉書に「全校書取に級の成績が大変よかつた」と知らせて来ている。しそれから、間もなく杉葉子さんは、お父さん達と国際都市上海に行かれたらしく、葉子さんの出された葉書が、はるばる海を渡つて、長崎にいた私の手もとに届けられた。私は彼女の、一字一字はつきり書かれたペン文字を見つめながら、遠く異国の空にさまよう一少女の運命を思つた。なつかしい故国をはなれて、戦火におののく小さな生命がいじらしかつた。私は即座にペンを執つて、彼女への返信をしたためた。
 その後の様子は杳としてわからぬままに、今回の銀幕対面となつたわけである。東宝のニューフェイス杉葉子さん、うんと勉強して現代にふさわしい新女性の美を創造して下さい。ただ単に立派なスターとしてのみでなく、一個の人間としても大きく健やかに育つて頂きたいと念願してやみません。
 歌三首

ゆくりなく君が姿をスクリーンに見出でたりけり老教師われは
教へ子の新しき芸うつつなくわれは見てをり暗がりなかに
教へ子のありし眼差し口附きよ杉葉子の名は忘れずありき
女優・杉葉子http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E8%91%89%E5%AD%90
現在の葉子氏;http://www.bunka.go.jp/1kokusai/bunkakouryuusi_houkokukai_sugi.html

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コメント

青い山脈をみたことがありません。こんどレンタルやさんをさがしてみます。
昔の女学生はさよならを小夜奈良と書いたんだね。風流だわ。夜露死苦と書いたことはあるが、小夜奈良はちょっと抵抗がございますわねえおほほほ。

この時代の人の句や文章を打ち込んで気づいた。
秀野の絶唱、蝉時雨ですが、子は、ではなくて元句は児です。それを子にかえたのは、夫の健吉さんですが、上記の作品でも子とよませる児があって、たぶん一歳以上学童未満という印象ですよね。明確に使い分けている。

杉葉子さんの出た長崎の勝山小学校、杉山洋先生も出られていますね。いま、記憶が重なりました。どこかでみたとかすかに記憶してました、いえ、おんじいの最近のブログ記事を読んでいて、この勝山小学校の名前にです。ここで葉子さんが恩師へのお手紙の中で書かれていたのでした。
きのうのアクセス解析でもう一度今朝よめてよかった。校歌が石橋忍月となっていますね。健吉のおとっつぁんです。黒木町は田本で育った。さらなるシンクロ書きます、その田本の家は八女吉田の庄屋どん中島内蔵助の縁ある家でもあった。

善知鳥吉左の八女夜話
(kasasagiをくりっく。)

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