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2010年11月26日 (金)

57歳の森澄雄の『往生要集』  念仏の窮極の境地とは

森澄雄(1919大正8年2月28日~2010平成22年8月18日歿)を読んでいる。

いや、本来なら俳人であるから、句集を読んでいる。と書きたいところだが、句集が図書館では入手できなかった。随想集を二冊借りてきた。

俳句燦々』という随想集の半ばにある「齢のおもい」は、澄雄が五十代の終わりころに書いたもので、俳文に隠された想いがなんとなく仄見える(様な気がする)。
この人の読書範囲には、目を瞠る。たとえば、この文中のつぎのことば。

また舎衛に女ありて須門と名づくと。これを聞き心に喜びて、夜夢に事に従ひ、覚め已(をは)りてこれを念(おも)ふに、彼も来らず我も往かざるに、しかも楽しむ事、宛然たる如し。当(まさ)にかくの如く仏を念ずべし。
(源信『往生要集』大文第六「別時念仏」ー「尋常の別行」より)

これが念仏の窮極の境地だそうだ。
「性をもつ人間のかなしさを大きくつつんだ源信のいいようのないやさしさ。」
と、澄雄は感動的に書いている。源信は親鸞の師である法然の師であり、浄土教の祖である。
かささぎには難解すぎてさっぱりわからなかった源信の言葉が、この森澄雄のコメントに出合って、ああなるほど!とすとんと腑に落ちた。
かささぎが品のないところでがさつに意訳しますと。。。。やっぱやめまひょ。
ただ、「夢で逢えたら」って歌がありますよね。あんな感じじゃないのかな。
それと、この文章の詞には白居易の長恨歌が匂付されているように思う。
これです。→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%81%A8%E6%AD%8C

さらに、森澄雄がこれに続けて書いている次のくだり。
講演会に出かけた町で目に入った交通安全の横幕。
「交通事故死の三割減を成功させよう」とあるのをみて、澄雄は漠然とした違和感を抱く。
善意から出ている言葉だと知りながらも、商品を扱うような「三割減」や「成功させよう」という言葉には、人間の命に対して何か大事なものが欠落していまいか。と問う。

わたしはこれを読んではっとした。何も感じなくなっている自分がいる。

源信『往生要集』大文第六「別時念仏」検索で、真っ先に出てくるもの;
http://home.kobe-u.com/lit-alumni/hyouronn15.html
『往生要集』;http://amiyan.jp/seiten/ojoyoshu.htm
源信:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E4%BF%A1_(%E5%83%A7%E4%BE%B6)

森澄雄『俳句燦々』ー「齢のおもいー言葉の中の人間ー」
 平成21年6月20日初版発行、角川学芸出版

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コメント

もう一つつながっていると思うのが、梁塵秘抄の歌です。
仏は常にいませども
現ならぬぞあはれなる
人の音せぬ暁に
ほのかに夢に見え給ふ
以上、時間を整理しますと、白居易長恨歌元和元年806年→源信往生要集寛和元年985年→後白河編纂の梁塵秘抄治承年間1180年前後。
浄土真宗祖の親鸞が選んだ七高僧、
1竜樹2天親3曇鸞4道綽5善導6源信7源空。

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