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2010年11月26日 (金)

総合医療論講義(1)看護のこころ

保健医療経営大学学長
 橋爪 章
2010 年 11 月 26 日 総合医療論講義(1)

昨日から、非常勤講師として、近隣の看護専門学校で保健医療の仕組みについて教鞭を取っています。

看護教育カリキュラムでは医療の大きな流れについて理解することが求められています。

看護では常に社会規範に則した実践が求められますが、社会規範は医療技術の進歩とともに変化してゆくからです

看護や医療の原点を出発点に、これまでの医療、これからの医療について講義を展開してゆこうと思います。

※参考テキストは系統看護学講座「総合医療論」(医学書院)です。

<看護のこころ>

医療と看護の基本は、「自立」しようとする人々への「援助」(癒し、気づかい)です。

人間の行動では、自分のために、という利己的な行動原理と、人のために、という利他的な行動原理とが絡み合っています。

共同体の維持のためには、利他的な行動原理がクローズアップされます。

しかし、利他がゆきすぎると過保護となり、人の自立の妨げともなります。

看護は、利他的な行動原理を基本とする活動ですが、「自立」への援助活動であるということを忘れてはなりません。

医療の選択に際し、専門職が、患者や家族の「ためを思い」、患者や家族の「気持ちを察して」、保護者的に決断を肩代わりし、患者もそれを期待することが多いのですが、その度が過ぎると権威主義的な医療となり、自立の妨げともなり得ます。

看護師は医師と同様、高度の技術(知識・技能)が求められる専門職ですが、医療に携わる専門職の特徴は次の通りです。

(1)  人間が対象であること。

(2)  受け手の価値観が尊重されること。

(3)  不確実性に満ちていること。

受け手(患者)に主体性を求めない「おまかせ医療」は、患者の立場からも心理的に楽なのですが、専門職の裁量に任せておけばすべてがうまくゆくほど確実性が約束されているものではありません。

患者の視点、価値観を忘れてしまうと、しばしば医療の質の低下を招きます。

自分の生死に関わる選択を、すべて患者に自己決定させることは患者へ心理的重圧を与えてしまいますが、かといって、それが患者に自己決定権を放棄させる理由とはなりません。

医療上の決断は、専門家と当事者との共同作業であるべきであるというのが、現代医療の出発点となっています。

(保健医療経営大学『学長のひとりごと』転載)

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コメント

看護のこころ
検索2000万件中6位

看護のこころ検索でここへ来てくださっています。
連句的にさきほどみてきたブログのこの話題を思い出したしだいです。↓
書かれている具体例の二人の患者さん、わたしの横を通り過ぎて行かれた同じ病名の患者さんも、それぞれよく似たかんじであったことに何か偶然とはいえない、病気の特性みたいなものを感じました。すいぞう癌でなくなった人、肺がんで亡くなった人。それぞれここに書かれているのとよく似た言動をされました。
病気がそうさせるのか。
あるいは患者さんの個性がそうさせるのでしょうか。
わかりませんがきになります。

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