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2010年10月19日 (火)

「僕」「君」談義&呂伊利さんのちょっと政治的なお話&初登場沖縄のすぐるさん

(『生等もとより生還を期せず。一人称談義』のコメント集成。)

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-419a.html#comment-77336896

ろいりさんは、加川良をごぞんじだったのですね。
そういえば、その人みにいったっけな。えめさんに券をもらって、友達と。
去年の菖蒲の花の咲くころ。大宰府文書館コンサート。なつかしいなあ。

時は矢のようにすぎていきます。

今日の新聞に、フォークルの解散コンサートのテープ音源が発見され、7月10日にCD発売とありました。

ふうん。そういうことですか。

今日、眞鍋天魚先生にお手紙を書きました。
檀一雄の評伝を書いておられます先生に、脇起歌仙の発句使用について何か聞きたいと思いました。
先生は連句人ではあるし、以前、高木咲耶さんを通じて、どういうわけだったのか、先生から電話をいただいたことがあり(中国へ行った、とってもいいところだった、とやや興奮の面持ちで話されました。びっくりしました、唐突だったので)、懐かしく思い出されます、一度もお会いしたことなどないのにです。
失礼のないように、墨で書こうとしたのですが、長いこと手紙を人様にかいておらず、便箋がなく和紙もなし。ぱそこん文字を大きく印刷しました。先生はことし90だと思います。
さて、お返事をくださるでしょうか。、なぜ先生はあの時、わたしなどに電話を下さったのだろう。と思ったのです。しかし、こないだ乙四郎紹介のみやまのお寺のブログ記事を読み、眞鍋先生が檀とともに紹介されているのを読み、ああなるほど。八女はふるさと近くだと思って、なつかしかったのだろうか。と思いました。
あとで、思いつくことは、ほかにもあります。
石橋秀野と健吉の物語と、檀一雄と律子の話。似通うものがある。時代がいっしょですし。
また、秀野さんと眞鍋呉夫先生はおなじ文化学院です。なぜもっと早くきづかなかったのだろう。
返事をくださるといいなあ。と思いつつ。

思いがけずここで時間くってしまった。
なぜなら、この「一人称談義」は話がどいんどいんと広がったり混戦したり深まったりと、あまりに面白すぎ。あああ、なつかしさ。たった1年半前の記事なのにねえ。

Me too.

リハビリの時間を費やしてしまった。

はじめまして(*^-^)
検索してたらこの記事にたどり着きました。
「もーし」は「申し」で、電話の「もしもし」と同じですね。この「もしもし」の語源の話、テレビでもよく聞きます。
「もしも~し」と伸ばして言う人がいますね。これがまさに「もし、申し」に感じます。

http://app.f.cocolog-nifty.com/t/comments?__mode=red&user_id=6513&id=72273464

(『すぐるのちゃんぷるーブログ』)

「すぐる」さん。はじめまして。
コメント、ありがとうございました。

「もーし。もーし。だりか、おりなさらんかのう。」

じっさいに、こども時代、ばあちゃんといっしょにご近所にいって、玄関口でばあちゃんがかけたことば。
いまにしておもえば、なんときれいな日本語でしょう。沖縄人でいらっしゃいますか。それはそれは。

あちこちブログをかじらせていただきました。

こどもの日を端午の節句にするのは片手落ち、男女差別っての、おもしろし。
そういや、ひな祭りって公休ではありませぬ。どっちかというと、端午の節句よりひな祭りのほうが派手に祝うのに。でも、五月五日、重陽であることのめでたさは捨てがたし。
あと、社会主義、マルクス思想のことや、オランダ語のvとfの発音のこととか、よませてもらいました。
お若い人なのですね。
沖縄。おきなわ。だれがつけたか、おきなわと。
鳩山総理のポカは責められません。
わたしも一度もなぜ沖縄でなければいけないのか、その軍事的政治的意味あいということについて、これまで深くかんがえたこと、ありませんでした。

この記事の本題、一人称の話といきましょう。
大人の男性があまりにも「僕」を多用してるのが怖いです。子供の男子が僕と言うのはいいです。「僕」とはしもべ(上の人に仕える人)のことで、公務員のことを「公僕」という。これは男は仕事で女は家庭、男は自分を犠牲にして相手に頭を下げないといけないことが多々ある(会社の上司に逆らわない)、それに対して女(特に主婦)はこういうのを気にせず自由だ、というのを象徴しているような感じがします。日本はほかの先進国より女性の社会進出が低く、その一方で家に帰っても奥さんに頭が上がらないだんなさんが多く見られ、こういう現状に不安を覚えます。

あと、常用漢字に「俺」が追加され、「私」に「わたし」という読みが追加される予定です。いいことだと思います。現行の常用漢字表だと、これを忠実に守るなら、「わたし」は「わたし」とかな書きにしなければならず、漢字で「私」と書いてある場合は常に「わたくし」と読むべき・・・・・これでは現実にそぐわないですからね。

すぐるさん。こんばんは。
そうなんですか。
常用漢字とか当用漢字とかころころかわるものは、あまりあてにしない生活をしてきました。勝手に気に入った字を使います。それが変則的である場合は、ときにルビをふりますが、るびはあんまりかっこのいいものではないので、滅多にふらないようにしています。
お上は管理しやすいようにそういうことまで規定するのでしょうが、教育の場ではそうであっても、文学は自由にありますから、まったく関係ないと思っています。
戦前の人たちが書かれた文章を読んでいますと、仮名遣いは旧かな、漢字は正字、いまとまったく違います。森鴎外が書いた仮名遣意見という文がネットでも読めると思うので、一度は読んでおきたいです。正論だと思います。(歴史的仮名遣いとして旧仮名表記は残すべし。っていうのです。時代によってかわるものとかわらないものがあり、かわらないものを厳然と守っていくべし、といっているのですが。いまの時代に鴎外が生きていたら、なんと言うでしょう。あんがい、きゅうかななんて、めちゃくちゃじっさいのしゃべりことばとちごとんやん。こんなのあかんわ。っていうかもしれない。あるいは、だからこそ、古代からずうっと生き延びてきた旧仮名を大事にすべし。っていうかもしれません。
人は時代から自由にはなれないものですね。)

ぼく。おとなのおとこ、とくにテレビでみる人たち、タレントが、ぼくぼくってそういえばいいますね。

ところで、。ひとつ、きいてもよろしいですか。
なにをそんなにおそれておられるのです?さしさわりなければ、おしえてください。

僕はこの年でもよく「僕」といいます。、「私的」には(個人的にはこの表現好きじゃないがあえて使います)、「私」というと改まった感じがするので。確かに語源はそうだろうけど、「貴様」「御前」が無礼な言葉になったりしてる例もあるし、しょせん言葉は生きもの、ライク・ア・ローリングストーン(転がる石の如し)、と言って何でもありとも思いませんが。幕末の志士たちも映画とかでよく「僕」「君」なんて言ってるけど、ありゃ何でじゃろ?方言だらけの中で一種の共通語化したのだろうか。
フォークルの解散コンサートのテープ音源か、昔聴いた最初のレコードで、あ、ここでイムジン河が飛ばされてると思った箇所があった~うんにゃ、それは「はれんちリサイタル」だったかな?40年前の記憶だからな~とにかくCD買いそびれないようにしなきゃ。おっと、本題からはずれたのでこのへんで。

ふうん。ろいりさんは、そこまですきなんですね。

最近では、世界の終わりのユーチューブ、幻の命、一箇所音がとんでいるところがあって、それ、実際はどうなんだろ。って、たしかめた、アルバムでは飛んでいませんでした。
はれんち。ってことば、なつかしい。
今日、勤務先の先生が、ちっちとサリーって身長差カップルをたとえて言われたのも、懐かしかった。
リアルタイムでご存知かたずねてしまった。そこまで年寄りではない。といわれた。笑

「僕」がしもべを意味するとしたら、女性は僕を使わないから、女性はしもべじゃないのに男性はしもべなのかと言いたくなります。あまり好きな言葉ではありません。

>呂伊利さん、幕末の志士たちも映画とかでよく「僕」「君」なんて言ってる

二人称の「きみ」に関しては、とくに文句はないですが、「○○君(くん)」に関してはどうも納得いかない点があります。「くん」は同年代か目下の相手に限って使われるのに対し、「さん」は年長者など広く使えます。それが男子に「くん」、女子に「さん」を付けて呼ぶというやり方では不公平感があり、はっきり言って不満です。これは女性はそんなに上下関係を意識しなくていいのに、男性は上下関係が激しい世界で生きていかないといけないことを表しているようです。あと、さんづけで呼ばれるようになることで「大人になったなぁ」という実感につながることもあるはずです。女子の場合小1からさんづけで呼ばれていると、そういう実感も薄いので、女子がかわいそうです。男女とも「さん」にするか、女子を「ちゃん」にかえるかすべきだとおもいます。

私にとって悩みの種である「僕」「君」という言葉を広めたのは松下村塾の弟子たちだといわれています。だから私は吉田松陰が大っきらいです。

すぐるさん。お久しぶりです。お元気でしたか。
最近偶然じぶんのなかの性差別を知りました。
女はこう。男はこうあってほしい。と思っている。
年をとって世の中にでて初めて知ったのですが、人に使われることは中々つらいものがあります。逆らえません。言い返せない。どんなときも一方的に黙っているしかない。それはストレスであります。ですから、すぐるさんのその論はわかります。でもわからない点もあります。沖縄は地理的にあやうい処にあり、基地がなければどうなるか。と気になります。

沖縄問題解決策、それは再独立、あるいは今の香港のような特別自治区にする…夢物語でしょうか?それでは沖縄の経済が成り立たんとか何とかは、ヤマト人が口出しせず、沖縄・琉球人に判断させればいいこと。
①日米安保条約に基づく基地は、沖縄に置く条約的根拠がなくなるので、形の上で日本本土が引き受けるしかない
②現在ある基地をどうするかについては、米国と琉球政府で交渉し、平和条約なり安保条約なりを締結する、あくまでも琉球人の意志で。
たしかに「沖縄は地理的にあやうい処」にあるけど、それを歴史上最初に自分たちの国益に結びつけたのは、近世・近代日本です。

話はちゃうけど、私がよく言うように、言葉はしょせん変化するもの、昔の敬語が今は蔑称なんてよくある話なんで、「君」「僕」、「くん」「さん」、私はこだわりません。中学の時女性の担任が、「くん」「さん」の使い分けは一般社会ではおかしいので、男の子も女の子も「さん」と呼ぶべきだと言い、それを実行されてました、またその影響を受けた学級委員の女子も。でも、あたしゃ「さん」づけで呼ばれるのは気色悪かったね。人に不快感を与える呼び方が一教師の判断で推奨されて良いものだろうか?と今なら思う。
多くの男子諸君が「くん」は上下関係の下を意味すると自覚するようになった時に「くん」はなくなるんじゃないですか?ちなみに私は同窓会などで、昔好きだった人から「…くん」と呼ばれると胸が熱くなる。

私は学生に対して「くん」「さん」で呼んでいるが、男子に「…さん」と言ったら絶対変に思われるやろな。ついでにいうと、最近、生徒の呼び捨てや「おまえ」呼ばわりは不適切であるという都教委の指導が入っているが、これは余計なお世話。「くん」「さん」呼びは私のポリシーとしてやってるだけで、部活とか担任とかで気安くなったら呼び捨てにしてる。そういう微妙な人間関係を無視して、呼び方まで一律化しようというのが今の日本の、少なくとも東京の教育です。

へえ。それはおそろしいことです。
このところの、たばこ談義をアップすべきか迷いつつ見送りました、どっちも現職ですから。かささぎでも気を遣いました。

この頁をよみかえして、思い出した。
まなべくれお先生は文化学院でしたが、河童の監督の人も文化学院でした。
びっくりしました。あちゃーっておもった。

>ちなみに私は同窓会などで、昔好きだった人から「…くん」と呼ばれると胸が熱くなる。

笑。神津くん。そこをどきたまへ。とかですね。

ここで荷物やさんが前田師からの贈り物を、。
あら、マロングラッセ!うわあなんで?
とあけようとしたら。亜の会の皆様へ。でした・・
よかったあけずに。笑

わたしもたいがい高校んときの同級生をくんづけで呼ぶけど、胸を熱くしているやからがいるのかどうか、これはあやしい。笑
でもさ、本当に仲んよか男友達はやっぱ呼び捨てがおおい。
すでに、異性という範疇を通り越してる。

こんなコメント↑をいれるつもりじゃなかったとよ。
ろいりーさんにお尋ねしたいことがあったとやった。
トーキョーでは、男の人が、年下からでも「くん」づけで呼ばれるって聞いたけどそれって本当ですか?
このハナシを聞いてから、目下への呼び方とは限らないのかなと以前からに思ってた「君づけ」であります。

せいこさん、それもしかしたら、「議長」ではない。笑。
いえ、すぐるさんブログに、ちょうどかいてあった。

いま、横で次男が暗くして「レインマン」を見ています。
なつかしいな。でも彼にとっては初見、真剣。
ところで、かささぎはほとんど男子と話したことがなかった。
ぼんやセイコの話についていけないのは、その人物をほとんどしらないからです。
いかに狭い範囲でくらしていたかって驚きます。
私は短大の友達にもう一度あいたい。あれはあれで楽しかった。
同じクラス、50人がもちあがるのです、二年間ずっといっしょだった。
女だけの世界。いろんなともだちがいた。いろんな先生も。

トーキョでなくても、私の通った中高一貫高では、先輩に対しても、卒業生に対してさえも「くん」づけです。

あのね、本名(本姓)出さんでと言うたでしょうが、ほんなこつ。第一「そこをどきたまへ」などというおなごを好きになるはずがなか。

>トーキョーでは、男の人が、年下からでも「くん」づけで呼ばれるって聞いたけどそれって本当ですか?
この質問への回答
あんまり聞かん。たまにおるかなという程度。それより、部活とかの先輩をいちいち何々先輩と言うのが気になった(呼びかける時も、第三者に言う時も)。私らは何々さんだったが。おやおや、乙四郎さんところは「くん」づけですか、そりゃまた珍しか。
ちなみに神津島の連中は、同い年なら男女にかかわらず呼び捨て、ちょっと年上には何々ニイ(兄)、何々ネエ(姉)と呼ぶ~同姓が多いから名前を。私の業界では人によるが、私はだいたい年齢関わらず「さん」づけにしてきた、これもポリシー(方針)。
中学・高校の頃は、男女間で呼び捨てというのは、まずなかった気がする。小学生の時には男子が女子をいささか差別的に呼び捨てにしていた。ごめんなさい。
そういうわけで、住むところで様々、時代によっても様々、そしていつものセリフながら、言葉は常に変化していく。

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