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2010年10月 1日 (金)

国際協力論講義(7) ~日本 貿易振興からの脱却~

保健医療経営大学学長

 橋爪 章

2010 年 10 月 1 日 国際協力論講義(7)

国際協力の歴史 ~日本 貿易振興からの脱却~
1965年、青年海外協力隊が創設されました。
1968年、食糧援助が始まりました。
1969年、一般無償資金協力が始まりました。

同年、DAC対日年次審査で、タイド援助の撤廃が勧告されました。
1972年、円借款のアンタイド化が閣議決定されました。

(1980年以降は、ほぼ100%のアンタイド化が実現しています。)
それまでの経済成長を優先させる援助が見直され、発展の究極の目的は個人の福祉の継続的改善にあるとする基礎生活分野(BHN:Basic Human Needs)への支援重視の考え方が提起されました。
1973年、災害緊急援助が始まりました。
1974年、OTCAと海外移住事業団が統合され、国際協力事業団(JICA)が設立されました。
1976年、日本の賠償支払が、フィリピンに対する支払を最後に完了しました。
1977年、ODAの「5年間倍増計画」を発表しました。

同年、食糧増産援助が始まりました。
1983年、日本のODA支出純額が西ドイツを抜いて3位になりました。
1986年、フランスを抜いて2位になりました。
1989年、米国を抜いて世界最大の援助供与国となりました。

被援助国の政府を支援する大型開発プロジェクトが増加する中、援助需要の多様化が進み、小規模で機動的な援助の必要性も高まり、草の根レベルの支援が開始されました。
1989年、草の根レベルの開発プロジェクトを実施する非政府団体(NGO、地方公共団体、学校、病院等)を対象とした小規模無償資金協力制度(1995年に草の根無償資金協力と改称)や、日本のNGOの開発協力活動費用の一部を補助するNGO事業補助金制度が創設されました。

(保健医療経営大学『学長のひとりごと』)

コメント「被爆者援護法の前文」についたものです。
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-3f2e.html?cid=76748056#comment-76748056

首相「核抑止力は必要」 秋葉市長発言を牽制
(産経新聞)
菅直人首相は6日午前、広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)出席のため訪れた同市内のホテルで記者会見し、秋葉忠利広島市長が「核の傘」からの離脱を求めたことに対して北朝鮮の核開発を念頭に、「国際社会では核抑止力は必要だ」と述べた。


せっかくの盛り上がりもおじゃんです。

ことしは初めてアメリカの政治家も参列したのですよね。それはオバマ大統領の核廃絶への意思をうけてのことだった。とニュースでも解説していましたね。

さくらさん
 「トルーマン大統領はその後の朝鮮戦争でも原爆投下を命じましたが、マッカーサーは日本の原爆の威力と被害の悲惨さに二度と落とすべきではないと考え、これを断った為解任され、・・・」

 トルーマンとマッカーサーが逆ですよ。


少なくとも通説では逆です。それに、トルーマンの原爆投下作戦を拒否したためマッカーサーが解任したのだったら、後任者リッジウェイに同じ命令すればいいわけだから。
ちなみにマッカーサーが原爆投下しようとしたのは中国の「満州」であり、トルーマンが原爆投下に反対したのは、そうなるとソ連も黙っておらず、いよいよ第三次世界大戦になってしまうという冷静な判断からだったと思います。


上記の「マッカーサーが解任した…」は「マッカーサーが解任された…」の間違いでした。

おお、ろいり先生、訂正ありがとうございまする。
泡さんのご指摘どおり、逆だったみたいですね。
政治家にはいろんな思惑があったようですが、。
よくぞ、踏みとどまったと思います。それから落ちていないことを思うと、。
でも、いま、急にアメリカが核兵器廃絶をいうようになった真意について、どなたかが書かれていましたが、そんな兵器よりずっともっとすごいのができたからだよ。っていうのも、説得力があります。

歴史を捻じ曲げるところでした。

とんだ勘違い、記憶で書いてしまいました。
泡さん、ご指摘ありがとうございます。

朝鮮戦争最高指揮官マッカーサーが作戦に手を焼き、投下を要請してトルーマンに制止されたのでした。

皆様すみませんでした。

※本文を訂正しようと思ったのですが、手をいれることはできませんでした。
そこで、その部分には内側から脚注をつけました。なにごともイキオイというものがあって、こわせない。まちがいはその意味において、まちがいではない。とおもう。
かささぎはとても間違いの多い人間で、石橋秀野ノートのミスを探したら、すごい数になる。最もひどい間違いが、島根県庁焼き討ち事件を赤の思想犯ではないかと適当に書いていたこと。今ならネットでいくらでも事件について知識を引き出すことが可能ですが、当時はわかりませんでした。そのころのかささぎは、まだワープロ。一年先に本を出された芦屋の西田もとつぐさんは歴史の先生だったそうですが、この方でさえ、かなり調べてその事件を「発掘」された模様でした。つまり、当時はまだ、島根県庁焼き討ち事件は、歴史のなかに埋もれていて、どういう事件か知られてはいなかったんです。(日本は戦争を続行せよ。という人達が起こした事件だった。)しかし、本を出す時には、それがどういう事件かわかっていたのにもかかわらず、書き直す自分がいやで、そのまま出しました。この気持わかってくれないでしょね。だから、杉山洋先生から間違いだらけっていわれたとき、そんなことで評価されることがたまらなかったんです。しかしさ。松江を松山と書いている部分があったり、まだ賞をとってない学者に三年はやく受賞させたり、とにかくミスがてんこ盛り。それもふくめて、あの本は自分のすべてだから、まちがいをまちがいだと訂正なんてしたくない。これがかささぎ。とつい、連句的にかかせてもらいました。笑

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