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2010年10月17日 (日)

今日は中島内蔵助翁の感謝祭です。

連句に没頭していて、すっかり飛んでいました。

けさ、中島一族のかたからのお便りとそのお便りに回答するかたちの中島道夫先生のお便りを、私にも回してくださっていることに気づきました。
五日も前にきていたものです。いまごろ気づくとは。とほほ。
それを読み、おやまあ!とおどろいたことがあります。

ノーベル化学賞の鈴木章さんは、一時期、中島くらのすけ翁直系の子孫である中島道夫先生の勤務されている倉敷芸術科学大学で教授を務められていたのだそうです。これは中島一族の方からの中島道夫先生へのお便りでしることができました。
中島一族の方へ返答された道夫先生のお言葉をご紹介いたします。
その御光がここまで届くような、そんなおすそ分け。

「鈴木先生とは専攻分野は異なりますが、大学院の研究科は同じだったので
飲み会などでは会っていました。私が着任して2年後に退任されましたので、
長い付き合いではありませんが、気さくで人を励ますタイプの先生との印象を
もっています。」(中島道夫氏)

かささぎ、まったくニュースを読まない日々が続いていて、知りませんでした。
そういうことであれば、さぞ大学は盛り上がったことでしょうね。
世界的な貢献をなさった研究者が同じ大学で教鞭をとられていたとは。

鈴木章ウィキペディア;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E7%AB%A0

これによると平成7年~平成14年まで7年間、倉敷芸術科学大学に在籍されています。

と、それは脇におきますよ。

本日、十時から八女市吉田の築水会病院近くの中島くらのすけ翁の墓地で翁の偉業を讃える感謝祭があります。長嶺小学校児童による紙芝居や中島道夫先生のスピーチなど聞くことが出来ます。八女筑後の治水のため、農業用水の灌漑のため。人柱にたたれた吉田村の庄屋・中島くらのすけ翁は、元武士で、大阪夏の陣からの落ち武者でありました。
かささぎの旗とのご縁は、『夏日侍(なつひまち)』と題する天文年間の武士24人による岩戸山伊勢宮奉納の継歌百首(99首)にあります。中島家が管理していた地の古いお宮に伝わるその貴重な文化財を、たまたま十数年前にふしぎな縁によって読み解くことができたかささぎは、当ブログで公開しています。二年前からは、その24人の武士を考える作業にみやま市の新しい大学の学長となって関東から赴任してきたかささぎの小学校友・竹橋乙四郎も参加してくれています。そのような奇しき流れのなかで、翁の直系の子孫であられる中島道夫先生がかささぎの旗に偶然目を留めて下さいました。

『夏日侍』はまだわからないところが多い歴史史料でもあります。
日本文芸史のなかでも政治史のなかでも多くの事をおしえてくれる貴重な史料です。
その持ち主が倉敷芸術科学大学教授である中島道夫先生なのです。

その縁をおもうとき、はるかなる川の始原へ思いをはせる気分になります。

八女戦国百首和歌『夏日侍(なつひまち)』
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/cat33636509/index.html

10月17日の朝かささぎの家の裏です。柿の木はガンザン。
この写真の農道を
左へまっすぐ約一キロ(もないかな)丘陵にそって移動しますと、中島翁のお墓です。

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