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2010年10月 1日 (金)

寺田村納骨堂のみち

寺田村納骨堂のみち

歯医者さんからの帰り道。
彼岸花の咲く右横は我が家の小さな畑。
家から少し遠いし息子達は知らない。笑
むかし、ここが姫野家の墓所でした。
左奥に村の納骨堂ができたので、ここは畑にしたという話。

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コメント

もう一箇所の田んぼの横にも墓所があります。でもまだそっちのお墓は生きている。コワイ。
で、こないだ高良山の資料を読んでいたら、こういう箇所があり、はっとしました。
寂源の手柄についての話です。
荒れ果てていた高良山を美しく神聖な山にした。そのために、あちらこちらにお墓が散逸していたのを、墓域はどこどこと限定して、自由にはさせなかったとありました。これ、大事なことなのですね。「神聖な地」は人によって作られるのですね。

お墓>>昔は住まいの近くに家族のお墓を立てて祀ったりしたのかなと思っています。それでよかったのかと。
子供時代、よく通る場所に1、2個立っていたりを見かけました。
家の一角に少し小高くして自分の墓を立てるつもりの人の話を聞いたことがあります。
神聖な地にお墓を持つということは高額な資金が必要ということでしょうかね・・。

そうなんでしょうかね。
じぶんはもうそこらの川に撒いてもらっていいような。春の雪みたいに、なんにも痕跡をとどめずにいきたい。これは、ロマンです。

家のまえにも、無縁仏のお墓が一つ。風景写真をとるとき、写らぬようにする工夫してます。
うらのほうにも、数基の無縁佛の墓地があります。
墓石が倒れている光景は、いいきもちではないですね。かといって、おこしてあげる勇気はありません。笑

こんばんわ。
お墓も家の代も守っていくのは大変ですね。
当時私が遊んでいた場所にあったのは無縁仏のようでした。 草むらに2基ぽつんとありました☆
倒れているお墓ですか・・手を合わせてあげてくださいね。 
大丈夫です。障ったり、何も頼まれたりもしませんから^^☆

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