無料ブログはココログ

« 天使の梯子 | トップページ | 国際協力論講義(33)ノンプロジェクト無償 »

2010年10月30日 (土)

大本山善導寺特別展へのごあんない

朝、突如、東妙寺らんからメールがとどく。
「今日明日、大本山善導寺特別展があって私も行くので、来てね!」。
たったそんだけしか書かれていなかった。
ネットで善導寺を調べ、行ってきました。
善導寺は久留米の東です。筑後川の南側。
八女市からだいたい車で四十分くらいです。

善導寺は筑紫筝曲発祥の地であると書かれています。
大友宗麟からも保護されたようですね。
どの写真もクリックで大きくなります。


このごりらみたいなおかたこそ、何を隠そう、えーと、。
だれだっけ?楽隠居ではありませぬ。善導大師さまではなかったかな。
ううう。説明書なくしてしまった。お寺の主で、とってもえらい人なのです。

調べました。失礼しました。このお方こそが、鎮西上人さまでありました。
鎮西というのは、九州をおさめるというような意味ですって。
額のしわ、首のしわ、あたまの格好、真上からみたらでこぼこあり、手の指のリアルさ、おんぞの裾のはね、などなど、細かなところまで写実的で、それが損なわれることなく今に伝わっているということは、いかに大事に保存されてきたかということです、と講演の先生がおっしゃいました。

このお方は真ん中におられるお方で、法然上人が教えを請われた中国の名僧。
えーと名前は、・・あれ。この人が善導大師さまだったかな。

これもまた調べました。そうでした、このお方こそ、中国の五大名僧の一人、善導大師でした。いまにつたわる善導大師像でもっとも古いのは、奈良の来迎寺のものだそうです。
今日その像についての論文を読みました。人々は善導大師に何をみようとしたのか。
至誠心、であり、善導大師にとって念仏を申すということは、悔悟、懺悔であったというようなことが書かれていました。一心不乱に念仏を唱える、それは自分の悪に気づき、悔い改めるためと。寒いときでさえ汗が出るほどの念仏行。
でも、この像は、その来迎寺の善導像とは似ていません。柔和すぎる。
むしろ、表情がどこか空也像に似ている。念仏を唱えると口から仏がでてきた。

このお方だけは忘れない。法然上人さまでした。とってもやさしそう。

以上、宝物館の宝物です。ほかに六道図や地獄絵図も写しました。
ちゃんとお坊様の許可を戴いて、撮らせてもらいました。

« 天使の梯子 | トップページ | 国際協力論講義(33)ノンプロジェクト無償 »

コメント

こんばんわ。
安産祈願に必ず参りますね。
自分の時も娘達の時も参りました。
境内にある大きな木はへびの巣窟らしく、夏になると枝上がってにうじゃらうじゃらいるらしい。きっと涼しいのでしょうね。

えめさん、そうでした。
私は場所がよくわからず、というのも初めて行ったのです。それで善導寺飯田という信号から左へ進んでいたら、筑後川を越えそうになったので、手前から左へ小さな道を鎮守の森へむかって走りました。すると神社の裏手の駐車場でした。
裏から入ったので、有名な大楠は撮り損ないました。
その楠のことでしょうね。どの木も古くて大きい。ちなみに裏から入った場合、最初の左の木は元山みたいな柿の木でまだ実が高いところになっていた。

ところで、安産祈願。たしかにお堂に入ってすぐ安産祈願所がありました。いまかささぎは用がないので、無視してしまいましたが、帰ってきて、母に、善導寺にいってきた、という話をしますと、ふうん、あんたがおなかにいたとき、お参りにいったこつのあった。というではないですか。56年生きてきて、はじめて聞く話でした。どうやって善導寺まで行ったの。と聞くと、忘れた。そうです。かつては、境内に入っていちばん最初に会う人が男であれば、男の赤ちゃん、女であれば女のこが生まれるという言い伝えがあったんだって。

善導寺>>娘さんを身ごもった時行かなかったですか?
娘達二人の時に行き、娘達も自分の時に参拝しました。
お守り、腹帯、または腹帯につける赤いお札の布、蝋燭などをいただきます。
蝋燭はお産の最中に安産を祈願し続けながら灯します。
お寺に参る時は国道に近いほうからも行けますが、昔門前町だった東のほうの入り口から参道(産道?)を通り門をくぐりながらが正式かなと思います。
大門がたしか一番古い建造物でしたかね?
この門から次の門までの間に会う男女どちらかで占いますね。
娘達のときもわくわく大騒ぎしながら通りました。
私は自分の時の腹帯2枚を未だにもってますが、赤いお札もそのままに残ってます。
腰の不安な時にたまにしっかり巻いていました。晒の帯は、ヘタなベルトやコルセットよりもよっぽどしっかり安定しますね。
蛇の棲む木はお寺のど真ん中にあって不思議な入り組んだ枝を茂らせています。
蛇の話はお坊様から聞きました☆

えめさん、詳しく書いてくださってありがとうござんす。初産のとき、お参りにいった記憶がなく、でもちゃんと腹帯はしめていたので、きっと母がどこかで祈祷してもらったものを送ってくれたんだと思います。覚えているのは、あかんぼうだった娘を抱えて母といっしょに私もきものを着て、成田山へお参りにいったことだけです。あのときは、むらうちのお宮と福島のお宮と成田山と三つをお参りしました。そしてまっすぐ自宅に帰ったらだめというので、親戚のうち(ふうちゃんち)に寄って、お祝いをしてもらった記憶があります。これは、書き残したい民俗行事ですよね。
それが最初の子のとき。あと、長男や次男のときは、お宮ではなく、産婦人科で求めたような。でも、お参りにはいきました。宇美八幡。

お宮参り>>はい。 帰り道、必ずどこかに立ち寄りますね。
立ち寄ったお宅で、ひたいに男の子は鍋の墨を。女の子は紅をつけてもらいます。 厄除けのおまじないでしょうね。
わが家の孫達は神社でお祓いの最後に、この墨と紅をつけていただきました。

(それ、いつかぼんもかいていたようなきがする。)

奈良 来迎寺 善導大師坐像

6ペーじめなのにはるばると尋ねきてくださって、ありがとうございました。

ここで行ってましたね。
どなたかアクセス、ありがとうござる。
賢順の琴についても、聖光しょうにんや法然についても、書いてましたねえ。
まだ水月さんは出てみえません。

かささぎさま

おひさしぶりです。だったかな?

>まだ水月さんは出てみえません。

ちょっと意味がわかりかねますが、何か呼ばれているような気がしてコメントを入れています。

ここ二、三週間ほど、毎朝、facebookに文章を投稿しています。法話の核にするためです。あなたが興味をもたれるような内容ではないと思いますが、よければ覗いてみてください。

さて、ここは善導寺のページですから、それについて書きますと、平成22年(2010)10月13日に高野堂「行空上人の墓」へ行った帰りに、善導寺へ寄りました。聖光房弁長(弁阿)上人の廟所があるからです。弁長上人の系統は鎮西派と呼ばれ、法然上人の正統を継ぐと言われてきました。けれども、法然聖人(ここで聖人と表記していることは最後に述べます)には他にも多くのすぐれた門弟がいました。そのなかの一人が親鸞聖人です。弁長上人と親鸞聖人は法然聖人のもとで三年ほど一緒でした。そのお二人の教学を比べてみますと、大いに異なります。同じ法然聖人から教えを受けながら、違うのです。おもしろいものです。私は親鸞聖人が専門ですから、あまり弁長上人のことは存じません。また私の研究対象である行空の学説について、弁長上人が残して下さっている断片があり(いまその論文を書いている最中です)、それらについてうかがおうと思って善導寺を訪ねたのでした。そして職員の人にいろいろ質問していると、阿川文正氏の『聖光上人伝と「末代念仏授手印」』(浄土宗大本山善導寺、2002年)という本があることを知り、購入したいと申し出ましたが、すでにもう手に入らないとのことでした。そこで諦めかけていたところ、その職員の人が「もしかすると、御法主さまの手元に何冊か残っているかもしれないから、尋ねてきてみましょう」と言って下さって、奥の部屋の方へ行かれました。そしてしばらくして帰ってこられ、「御法主さまは勉強したいという人がいるなら、これをさしあげなさいと言われた」と一冊持って来て下さいました。「おいくらでしょか」と尋ねると、「いやいや、結構です。御法主さまがさしあげなさいとおっしゃいましたから」と、無償で頂戴しました。薄い本ですが、6000円か7000円ほどする本です。「ありがとうございます。御法主さまによろしくお伝えください」とその場を後にしたのでした。その御法主さまのお名前を聞きそびれましたが、阿川文正氏だったのかもしれません。ともあれ、善導寺ではこういう御恩をいただきました。私にとって思い出深いお寺です。
なお、前に触れた法然に対する尊称ですが、鎮西派では「上人」と書き、一般化されていますが、親鸞聖人は法然を呼ぶとき必ず「聖人」と書かれています。そこで最近になってからですが、浄土真宗では「法然聖人」と書くことが多くなってきています。それを提唱したのは私の恩師・梯實圓先生でした。

とりとめのないことを書きました。お許しください。

水月様、おひさしぶりです。

くわしくかいてくださって、ありがとうございました。
では、ほとんど二週間ほど先に、おなじ年のおなじ月にここへいかれていたのですねえ。

ふぇいすぶっく、そういえば、しらべうたまるさんも、わが愚息もやってるそうな。
ああ!だけど、かささぎはまだいちどもひらいたことがありませんのじゃ。ひらきかたもわっかりませーん。ごめんねごめんね。
ほんができたら、どーかみせてくださいませ。

さいきんひらいてよんだ、あんらくぼうじゅんさいの生涯についてのブログ記事↓
ねむたいです

はりつけるのをわすれてた↓

このときはまだ改築中でしたね。

八女に天福寺がありまして、 弁長が開基だったんじゃなかったかな。天福の年号が水月さんの書かれた文中でてきたので、気になる。八女の寺に出る昔の僧は、あと行基です

やはり、
こないだの、
ただし、以下は許されない、は、ひっかかってしようがない。
脈絡なく。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 大本山善導寺特別展へのごあんない:

« 天使の梯子 | トップページ | 国際協力論講義(33)ノンプロジェクト無償 »

最近のトラックバック

2020年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29