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2010年9月15日 (水)

秀野忌を前に

ある連衆に尋ねられた。

「秀野忌は季語ですか?」

「はい。9月26日ですから中秋の季語です。
かなり知られるようになりましたが、認知度はまだ低し。
頑張っていい句をつくりましょう。」

と答えました。
つぎの句は十ニ年ほど前の秀野祭での追悼句です。
八女福島の平井朋吉氏が二年ほど運営されていた「櫻濃く石橋秀野資料館」に飾られていたものです。(記憶です。)

燃え尽きて命の際の蝉しぐれ    山本安見子

安見さんは俳句をなさいません。これはおそらく、強く依頼されて出されたものではないでしょうか。心象風景がすなおによまれています。やすみさんにとっては、母秀野の忌日は、夏の日盛りの7月21日にきいた蝉時雨の声とともに永遠にめぐるものなのだなあと思ったものです。(俳句としては季語蝉しぐれから夏の扱いになります。)

平成15年に出した『石橋秀野ノート』には、八女での秀野をめぐる顕彰の動きは期せずしてほぼ書きとめています。毎月の連載(きっちり四年間)でしたので、おのずとそうなりました。
その四年間は、夫の文藝評論家山本健吉によって隠されていた俳人石橋秀野の謎が少しずつはがされていく過程でもありました。
書き始めたころは、まだ一人娘の安見さんさえご存じないことがたくさんあったのです。
(当時は静枝夫人が生存しておられました。健吉は静枝さんへの姿勢として、一言も前妻のことは漏らさなかった、と言えます。)
安見子さんをさしおいて、第三者がものを書くことはあってよいことではない。
と、そう思っていました。それで、まず安見さん監修の秀野本が出てから、次に長く秀野を研究してこられた芦屋の西田もとつぐ先生のご本が出て、やっとさいごにかささぎが本をだしました。

それから、時がながれて。
このたび、安見子さんが飯塚書店から出された『石橋秀野の100句を読む』を読んでいますと、最後に、そのことが書かれていまして、胸をえぐられました。

なぜ、健吉は秀野を隠したのか。という問いへの答えです。
安見さんしか知らない話が具体的に書かれていて、胸をえぐられます。
秀野ファンのみなさま、ぜひ、本書をお求めのうえ、そのお話をお聞き下さい。

では、亜の会のみんな、いい追悼句をお願いします。
歳時記にとられるような一句を。

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