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2010年9月29日 (水)

聖域っぽい。

聖域

かささぎのくせ。

鬱蒼としてて、石がごろんとあって、だれもいない場所をみたら、聖域とおもってしまう。
肌も露な石の左横の一段高いモノはなんだろう。と気になって気になって。
人の骨、あるいは馬の骨、うまっていそう。
楠の巨木があるとこですから、きっと何かそういう祀りモノがあったんじゃないかと。

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コメント

月曜日、楠の落ち葉を5枚ひらってきました♪
大昔は3号線はなかったのだから東と南に続いていたかもですね(ぶっつりと切れているから)
この一角は昔から気になってました☆祠もあったかもですね。
あるいはえらい人がちょっと休息されたとか。

えめさん、楠の落ち葉。紅葉したがっていますね。
えめさんコメントの「東と南に続いていたかも」とはどういう意味、どこがぶっつりときれているのです?
昔兵隊さんだった方に、馬の専用共同墓地があったところを教えてもらいました。ここではありません。もっと藤山よりでした。
土地のもつ霊気がわかりはじめました。
公立精神科(西端)あたりが昔のヒビョウイン跡地。

母にきくと、ひびょういんはもっと手前にあったような気がするなどといいますし、ある人は上陽にもあったと。一つの町に一つあった、ということかな。結核の多かった時代ですし、隔離病棟はどこもにたようなものでしたでしょう。
ちょうど、石橋秀野さんが入院した歌の療養所がのちに歌の病院となまえを変えるように、。ひびょういんは、公立病院と名前をかえた。ってことかも。
ついでにヒビョウインについてしらべてみました。↓
隣のととろにでてきましたかね?
古いきおくで、小学一年生のとき、ともだちの男の子のおかあさんがたしかけっかくで入院なさっていたのはどこだったんでしょう。いつごろまで、それはあったのでしょう。ばくぜんとしたきおく・・・

藤山線の藤山あたりを義母とよく通りましたが、必ずある場所を通るとき100万回・・(オーバー・・v)位聞かされた話>>
戦争中の話です。 義母がバスに乗っている時騎馬の兵隊さん達が横を通っていて、馬が驚いて暴れてバスにぶつかったらしいのね。
それで馬は即死・・って話です(簡単ですぐ終わる話だけど)
その馬専用共同墓地ってのが藤山にあるという事実が100万回聞かされた場所と妙に符合したので・・
その馬さん可哀相~☆~いっしょに倒れた兵隊さんは大丈夫だったらしい~☆~そういえば土曜日に実家で、馬頭観音さんを写してきました。

ぶっつり>>・・と思ったけど・・こんど確かめます。
子供時代の久留米までの3号線は、道の両脇は林や、山でした。
丘陵地のど真ん中をぶった切って道が出来た・・みたいな・・ちょうど今の高速道がそうみたいに・・。

結核の療養>>たしか山間部のどこかに知り合いが入院したような記憶が・・。
今でもけっこうある病気なんでしょう~?
人の地面に吐いた痰が乾燥して空気に混じって感染するとか聞いたことがあります。
乙先生に聞いてみよう

ふうん。その話、馬の特色が現れている話です。驚きやすい。驚いたら千里をかける。(様な気がする)
ところで元兵隊さんは、馬の墓地はどこだったってちゃんとおしえてくださったのですが、ひみつにしときますね。精神衛生上。
椎名マコトさんが八女で講演会されたとき、中国の駅の痰壷の話をされたのがとっても面白かった。それとね。きれいな女の人でも、道々、てばなをするって話もね。でも。ひょっとしたら、きおく、合成されてるかも。本当は昔の日本の駅には痰壷があった、といわれたのだったかな。その理由はえめさんが書かれたこととつながっていくんでしょうけどね。

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