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2010年9月14日 (火)

戦争の話(31) 橋爪一郎従軍記

保健医療経営大学学長

 橋爪 章

2010 年 9 月 14 日 戦争の話(31)

<橋爪一郎従軍記>

   馬(マー)、騾(ロー)、ら馬の巻

 昔から誰言うとなく「南船北馬」の名があります。広い支那では北の方と南の方ではずいぶんと変ったことが多いのですが、第一、言葉が全く違っています。そして北の方には船が殆んどなく南の方では馬が見あたりません。つまり、支那の南の方では物を運ぶのに舟を使い、北の方では馬を使うのです。

 支那の馬には三通り、日本の馬と同じの馬、この馬の半分ぐらいの大きさの「ろば」、そして馬と「ろば」のあいの子の「ら馬」で、ら馬は馬ぐらい大きく、馬よりも力が強く、子供をうみません。私は三月二十三日付で小銃部隊(ドンとうてばたまが一発とんで行く鉄砲)から重機関銃部隊(五百発のたまが続いて出る機関銃)に変りましたので、その日から馬と一しょに暮らすことになりました。私の馬はまっ黒の「ら馬」で気の短い馬でした。感の強い馬で良くなつき、「足」と言えば足をあげ、「口」と言ってあごをにぎると、おとなしく口を大きく開けております。私を乗せて走ったり止ったり、私の心がそのまヽ馬に通ずるぐらいきびきびとよく動いてくれました。でも、そんなになるまでには、私の尻の皮は何回か、この「ら馬」にはがされています。広い支那の北から南まで何千里かを私が無事に過ごせたのはこの馬のおかげです。

 馬は大好きです。馬を見ると支那を思い出します。この間から中辺春の馬が足首を痛めて血を流していましたが、何とも言えない気持ちでした。戦争で腹を射たれて死んだ馬、鼻を射ち抜かれてひとりでは水を飲めなくなった馬、水深いたんぼに足を取られてとうとう動けなくなった馬(この馬は、おがみながら射ち殺しました)背骨はきずついてうみが流れ、足の爪はすり減ってもただだまって歩き続けてくれた戦争の馬、私の頭には様々の馬が動いています。今も、支那の北半分の大陸では多くの馬がたくさんの荷物を積んで馬車(マーチョ)を引っぱっていることでしょう。私の馬は今も生きているなら二十才位、どこでどうなっているだろうかと思います。

1959年八女郡辺春(へばる)中学校『学級だより』

(保健医療経営大学『学長のひとりごと』)

▼かささぎの独り言

これは多分、昭和19年3月23日からの話であろうと思います。
馬の話を兵隊さんから聞いてみたかった。

人も 馬も 道ゆきつかれ死にゝけり。
旅寝かさなるほどのかそけさ

道に死ぬる馬は、佛となりにけり。
行きとゞまらむ旅ならなくに

折口信夫のうたです。戦争での馬をよんだものと思います。

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-c82e.html
(『海やまのあひだ』さくらさんの馬の話も紹介。)

こんなに具体的に馬の話を聞けてよかった。
そうでした、一郎先生は体育の先生です。
一郎先生の中学時代の後輩であられる杉山洋先生のお話にも、鉄棒の大車輪が見事だった話が出ていました。
馬もじょうずに乗りこなされたようです。
ほんとうに馬への思いが伝わるやさしい文章です。
死んだ子の年を数えるようにして別れた馬の年を数えている兵士・一郎さん。
わたしはやっぱり、秀野ノートを思い出す。
冒頭秀野のことはそっちのけで、馬の話をかいたから。
坂本繁二郎画伯の銅像があるくらい、八女人は繁二郎が好きで、その伝説の画伯に父は少年のころ会っている、馬をみせてくださいと言って馬小屋に写生にみえた画伯に。(画伯は父の実家のある村の隣村にいた)。
黒木瞳さんの実家が馬を商われていて、そのことも連句的に書いていた。
かささぎらしく何の思惑もなく、ばくろうだった彼女の父から(あるいは祖父からかもしれない)わが父は子馬を買った事があると書いていたので、杉山先生からバクロウは差別用語だと電話でがんがん叱られた。懐かしい。
でも、そんな俗っぽい次元のことはどうでもいい。
わたしは、馬が好きだった画伯と馬が好きだった父(農耕馬がいた)と、馬が好きだった黒木瞳さんのじっちゃん(と彼女の父親、町会議員もなさった人)の話が書きたかっただけだ。
瞳さん、エッセイにこの話、いつかかかれてください。
ばくろうは差別用語ではない。差別するな、と。
馬の話を、いつか書かれてください。読みたい。

高橋甲四郎先生はお元気だろうか。
(最近まったく連絡しておりません。気になる。)


「小銃部隊(ドンとうてばたまが一発とんで行く鉄砲)から重機関銃部隊(五百発のたまが続いて出る機関銃)に変りましたので、その日から馬と一しょに暮らすことになりました。」

かささぎは、わが兵隊おっちゃんを忘れているわけではない。
上妻尋常高等小学校を全甲の成績で卒業した優秀なおっちゃん。
あなたはどんなおもいでまいにちをくらしておられましたか。
父も母もなくなり、この家の養子として迎えられ、戦争にとられ。
家にその伯父の機関銃らしき古い写真が恭しく一葉残る。
それが与えられるのは名誉なことだったんだろう。

先日仏壇から見つけ出したものは、
墨で書かれた白い布袋の封筒。
この中に遺品(小石)が入っていたのだと思う。

福岡県福岡市西部四六部隊(県は正字)
福岡県八女郡上妻村字寺田
姫野茂平殿
博多駅(表書)
烈八九○六部隊辻隊
故陸軍伍長 姫野正義 (裏書)

(ガダルカナルへは馬は連れて行ってもらえなかったのだろうか。
まだ何にも調べてもいない、薄情なこの家のあとつぎ。)

コメント

おはようございます。 思っていたより激しい雨になりましたね。
葬列>>5年生の時同級生のお父様が亡くなられたのでクラスで参加しました。
旗を持った人や棺おけを乗せた台車がつらなってお墓の方へ向っていきました。

当時、集落には葬式用具の一式があったと記憶しています。
今、色々と自分の葬式プランの事が話題ですね。
私は「この写真で」と決めてるのを写真立てに入れています。
でも10年も経ったのでそろそろ最近のを選ばないといけないかな~と・・。

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コメント

おはようございます。
ばくろう>>博労>>馬喰>>差別用語ではないと思うけど?そうなの?
祖父は知り合いの人を「ばくろうさん」と呼んで親しくしてたと思います。
馬や牛の売り買い人さんで目利きが大事な職業だと思っていたけど。

私もそう思います。
百姓が差別用語ではないように、博労もまた。
胸をはっていて、いいんです。

「馬喰」「博労」が差別用語というのは何かの間違いか勘違いでしょう。そうでなきゃ東京に「馬喰町(ばくろちょう)」という地名・駅名が残ってるわけないし、三船敏郎主演の「馬喰一代」という映画もある(原作もあるらしいが)~確認のため「馬喰一代」で検索してみたら、飛弾牛専門店名がずらりと出てきた。これを見ても差別用語とは言えん。
「ばくろう」をATOKで漢字変換すると「馬喰」「博労」(これは「ばくろ」とも読むらしい)の他に「伯楽」というのも出てくる。そうなるとむしろ褒め言葉ではないですか。ちなみにMicrosoft のIMEでは変換できません。こいつは日本語能力が劣悪です。それなのに東京都教育委員会はIMEしか入ってないパソコンを全員に配布して、これ以外のパソコン使用を禁止するという愚行を犯している。
理容師の中には「床屋」というのを嫌がる人もいるし、うちの愚妻は家が「米屋」と言われたのを嫌だったらしい。その程度の問題でしょう。

「支那」はATOKで変換されません。
苦労しています。

どうしてできないのでしょう。
いちいち、支店の字をまず出して、那珂の字を出して、余分を消している。ごくろうさんといいながら。
ナというのは日本でしたっけ?どうして差別だろう。(授業で習った、でもとっくにわすれた。

昼前、廣田弘毅から南京事件の続きを移していたとき、あの時代の戦争のきれいな決まりに心打たれた。外国の権益を侵してはいけない。と政治家は再三再四それを気にかけ軍人へ進言しています。現場を知らぬものが何を言うか。と煙たがられても。
あの本は戦犯死後十年ほどたっての廣田の友人知己たちによる慰霊の行いでありつつ、歴史を正しく記録するための文藻です。読んでいると、なみだがでそうになる。かささぎは、かつてこれほど心のこもった「文章の慰霊碑」をみたことがない。

私はATOK17を使ってるけど、ちゃんと「支那」と変換できます。
「支那」はもともと差別用語ではありません~そう言われりゃ最初からの差別用語なんてあまりないかもしれないが~差別用語とはそれを使う方、そう言われた方の意識の問題だから。昔は中国人もあまり気にしていなかったそうです。ところが、日本人(特に軍人)が侮蔑的に「この支那人が…」というような言い方をするようになったので、そう言われるのを嫌うようになった、相手が嫌う言葉をわざわざ使うのはどうか、というのが本当のところでしょう。「百姓」「馬喰」「床屋」「按摩」「土方」「労務者」etc.そう言われて嫌がる人もいる、それを知っていながらその人をそう呼ぶのはやはり問題でしょう。
昔々の「倭人」たちは、漢字で侮蔑的ニュアンスのある「倭」と書かれても別に気にしていなかったが、「日本」という国号を使うようになってからは、中国でもそれを重んじて「日本」と言い、書くようになったのだから、どこかの知事みたいに、今現在の中国をわざわざ「支那」と言う必要はない、でも歴史話としては使うのも可、というのが私の見解です。

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