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2010年9月10日 (金)

戦争の話(27) 橋爪一郎従軍記

保健医療経営大学学長

 橋爪 章

2010 年 9 月 10 日 戦争の話(27)

<橋爪一郎従軍記>

   田植えの巻

 国道から眺めた辺春の田んぼは緑一色にぬりかえられて秋の実のりを夢みています。いかにも科学の国らしく、行儀よく、きちんと植えられた日本の田植えを見る度に思い浮べるのは支那の田植えです。

 支那も、ここは暖い南支での見聞ですが、年に三回の稲刈りには、私もちょっと驚いた者の一人でした。田植といっても苗代は作らないので、田んぼに直接、米の種、モミをまきます。この時は田んぼ一面に十文字に、たて、横、つなを張って、その四角の中にモミをチョンチョン置いていきます。やがて芽が出て、花が咲いて、米の実がなることは日本と同じです。ちょっと違うのは、米の木が五〇センチ位にふとった頃に、その稲の間々に二度目の種まきがあることです。いよいよ最初の稲刈りが始まる頃には、二度目の稲が青々とふとっています。そして二度目の稲が実のった頃には、初めの稲の切り株から青い芽が田植えのように茂っています。この切り株からの稲の穂にもやがては米がみのって三度目の稲刈りが始まるわけです。田の草取りもめったにしないで自然の恵みだけで結構に暮して行ける支那の生活は、戦争で殺し合っている兵隊の私にはうらやましいものでした。

1959年八女郡辺春(へばる)中学校『学級だより』

(保健医療経営大学『学長のひとりごと』)

▼コメント

お久しぶりでした。

橋爪先生の従軍記、楽しく、といったら内容が内容だけに語弊があるのでしょうが、軽妙な文体に引き込まれて楽しませてもらいました。
かえるの子はかえる。
学長の文章力は父親ゆずりなのでしょうね。
しみじみ、それを感じさせられてます。

同感です。

>やがて芽が出て、花が咲いて、米の実がなることは日本と同じです。ちょっと違うのは、米の木が五〇センチ位にふとった頃に、その稲の間々に二度目の種まきがあることです。

「米の木」にびっくりしますね。三回も収穫できる大木。


一昨日届いた「医経大ニュース」(イケイダイ=保健医療経営大学)の『楠風通信』でも、それを感じました。わが母に見せてあげたら大学の様子がわかり、安堵してました。(この夏の病院実習のことなどが書かれていました。)

以前、九州俳句の山下淳氏(故人)の随筆で、戦場での句会を読みました。
シベリアでの捕虜生活中に、とある兵士から俳句を学び、つらい毎日を俳句で乗り切ったというのです。が、書き付けて作品を持ち帰ることはできず、必死で暗記していた。と書かれていました。
橋爪一郎従軍記で、つい心に湧き起こる問いがそのことです。
学級便りに引用できる分量の日記が持ち帰れたのでしょうか?

山下淳の戦記が、『流域雑記』中にあります。終戦前後のソ連国境牡丹江なども書かれているので、今また橋爪一郎戦記を経て読み返せば、理解度が違ってくるように思います。なにより、シベリア抑留=めちゃ過酷。と思い込んでいる頭に、句会があり文藝があった、ということがおどろきです。前に、甲斐よしひろの『九州少年』でも父親の戦争体験が書かれておりましたが、人間はいつでもどこでもどんな状況でも、楽しみたいと思う生き物なんだなあと甲斐さんが洩らされていたとおりですね。(甲斐さんのお父上は音楽を支えにされていた)。
一度、書いてはいます。ここ、
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_5451.html
(山下淳と香月泰男)
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/post_cdc4.html
(九州少年)

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