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2010年9月17日 (金)

戦争の話(34) 橋爪一郎従軍記

保健医療経営大学学長

 橋爪 章

2010 年 9 月 17 日 戦争の話(34)

<橋爪一郎従軍記>

   お風呂の巻

 日本人は入浴好き、支那人は風呂ぎらい、西洋人は中位と言われています。西洋人が一週間に一、二度の入浴で、日本人が毎日の入浴習慣、そして支那人が一ヶ月に一度か、二ヶ月に一度の入浴です。話で聞いたばかりの時は、まさかそんなバカげた事が、と思っていましたが、支那で過しているうちに、うそでなく本当であることがよくわかりました。

 実際に支那人の多くの者が風呂には入らないで平気でいます。私たちは戦争の合間に、何とかかんとかして風呂には入ろうとするのです。私もずいぶん色々なかっこうの風呂には入りました。お酒を作るオケの中にお湯を入れて入って見たり、大きなナベを見つけて、その中に入って見たり、自動車部隊がすてて行ったガソリンのドラムカンで風呂を立てたり、・・・・こんな具合です。こんな色々のお風呂の中で、一番入り心地の良かったのは何といってもカメぶろでした。土(ドロ)やきの大きなカメ、ミソガメやショウチュウガメや死んだ時のカンオケガメなどをさがし出して来ます。誰かが「おーい、温泉があったぞー」など呼ぶと、五、六人の者がさーっと走って行っては、かついで来ます。石を積んでかまどを作り、水を半分ばかり入れてわかすのですが、もともと泥ガメですからなかなかわきません。横の方ではナベやカマでお湯をぐらぐらとたきます。このたぎり湯をまぜては程よい風呂かげんにするわけです。これが何とも言えないいい風呂で、足をまげて尻もちついて丸くかがむと背中がぴったりカメにくっついてちょうど良いぬくさです。と言っても、上手には入るには、又、なかなかの苦心もあるものです。うっかりカメの外がわにさわるとススでまっ黒、お湯がこぼれ出るように深くは入ると「ジューッ」と火は消えて灰けむりです。カメが割れたらそれこそ大変です。顔中、体中、灰だらけで地獄からはい出て来たようなかっこうは見ていて笑いの止るものではありません。

 所でこんな風呂はもちろん兵隊の発明品で、支那の人はカメぶろなんかにはは入りません。おけでの行水が主で、時たま家の中にほんとうの風呂場がある位です。

1959年八女郡辺春(へばる)中学校『学級だより』

(保健医療経営大学『学長のひとりごと』)

コメント

途中から読み始めたので、お聞きしたいのですが、一郎先生は、受け持ちの子ども達に戦争を伝えるためにこの従軍記を学級通信に書き始められたのでしょうか?

文章の随所に先生のお人柄が出ているように思います。
あの時代特有の悲惨さが意識的にやわらげられているのは、やはり子ども達への配慮なのでしょうね。

もうひとつ。

苦力(クーリー)も、差別用語とありましたね。

差別用語について。ろいりーさんのコメントに「もともと差別用語なんかなかった。そう呼ばれて嫌な気持ちになる人に対してそう呼ぶことが問題なのだ」(ずいぶん、おそまつな要約でごめん)みたいな意味合いのくだりがありました。
名言です。
わたしもつねづねそう思ってきました。
百姓が差別用語であれ、わたしは百姓と呼ばれたい。
あ、ごめん、まだほんものの百姓にはなれてないので、百姓見習いと呼んでいただきたい。

百姓見習いのせいちゃんへ。
同感です。
ろいりさん、いい先生でいらっしゃいますね。
(昔ちびくろさんぼ絶版騒動があったとき、いろいろ教えさせられ考えさせられましたよ。)
だけどもさ。秀野ノートにかいたことへ、杉山先生が差別用語だって叱り付けられたほんとの意味も、わかっています。わからんふりしているだけで、。それは女優さんのイメージ戦略にかかわることで、本人が公表していないのに言っていいのか、という意味もあったのではと思います。そこをあえて、かささぎは言いたかったんだ。
あの時代、たくさんいらしただろう、ばくろうさんに敬意をはらって。

>受け持ちの子ども達に戦争を伝えるためにこの従軍記を学級通信に書き始められたのでしょうか?

その当時にブログがあれば、ブロガーとして戦争を綴ったのでしょうね。
子ども達に伝えるためなのか、自分自身の備忘のためなのか。ブロガーの皆さん、どっちでしょう?

ただ、この「戦争の話」だけは、橋爪家の息子たちも、毎号、刷り上がりを読んでいました。本当は息子たちに伝えたかったのかも知れません。

どこかに一箇所、お母さんがたに問いかけるような箇所がありましたよ。
学級通信だから家に持って帰って親に見せるわけでしょ?
私は親世代へも伝わる様書かれていると思って読んでいます。

「苦力(クーリー)も、差別用語」??
でも苦力はもともとクーリーという、英語だが仏語だかに漢字を当て字したものだけど、クーリーを苦力と漢字で書いたら差別用語になるという考え方なのだろうか?「ちびくろサンボ」は「ちび」や「くろ」ではなく、「サンボ」が蔑称らしいが、格闘技のサンボがあるためか一発変換できました。
私が前に挙げた「差別用語」スレスレの語句の中で、「土方」だけが一発変換できなかった、労務者ができたのは意外だった。「穢多」ができるのは歴史用語変換ソフトを入れているからだろうか?毛唐はだめだが南蛮人はできる、これもソフトのおかげだろう。ニグロ、あこりゃできん、ニグロイド、これもできん、ネグロイド、ありゃ、こっちだといいのか、高砂族、おっ、これもできた。などと試しているほどヒマじゃなかった。
考えたら、セクハラも差別用語と似たとこありますね。相手が嫌がったらセクハラ・差別用語になるし、嫌がらなかったらそうならない。

ろいりーさん。
訂正です。クーリーが差別用語であるとの記述はありませんでした。
人種差別って項目があったのをわたしが読み違えたみたいです。ごめんなすって。

>セクハラも差別用語と似たとこありますね。相手が嫌がったらセクハラ・差別用語になるし、嫌がらなかったらそうならない

まさしくまさしく。
職場でセクハラのアンケートとかありませんか?
以前の仕事場ではかならず年に一回、セクハラに関するアンケートがなされてた。あれ?あれは女性職員を対象にしたものだったかな?そうそう、女性にのみアンケートがなされたような気がします。考えたらそれもおかしなこっちゃ。
で、そのアンケートに、わたしが嫌がらせのように毎回記入してたことが、ろいりーさんがかかれたことと全く同じでした。肩を撫でられるのも、相手によっては快感ですからね。笑

かささぎの素朴な疑問。
杉山洋先生のあの強烈な個性は、サヨク?
一郎先生のくうりいへのまなざしは、サヨク?
インタナショナルうたっておられましたか。
組合活動なされていましたか。
1959年にはまだ5歳です。平仮名しかよめない。
ほんとの戦記になると9歳、これなら漠然とわかる。
あんぽとうそうにはどんな位置、考えだったんだろう。
復員兵たちのこころのやみ。しりたいです。

インターナショナルの歌、歌ってました。
が、サヨクではありまっせん。
数多く覚えた労働歌のなかでも、好きな歌でしたっけ。

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