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2010年9月16日 (木)

戦争の話(33) 橋爪一郎従軍記

保健医療経営大学学長

 橋爪 章

2010 年 9 月 16 日 戦争の話(33)

<橋爪一郎従軍記>

   苦力(クウリー)の巻

 どこの国にも、大金持ちの人とそうでない人とあるようですが、この事が支那では特に目立ちます。

 お金持ちでない人の中に、苦力とよばれる人たちがあります。大金持ちの者は、この苦力をたく山やとって色々の仕事をさせるのです。苦力は安いお金で仕事について、着る着物は汗まみれ、食べ物はまずく、夜休む所も小屋みたいな所です。ここに書いている絵(挿絵。省略)は、苦力の仕事の一場面ですが、こんな苦力の姿が私の頭の中からなかなか消えようとしません。これは、大きな船を川の土手から川上の方へ引っぱって歩いているようすです。上半身ははだかですっかり土色にやけています。長いつなを肩にかけて十日も二十日も、ただ、だまって引いて行くのです。支那のあちこちの長い川には、一人で引いている舟、二、三人がかりで引いている大きな船などがそこここに見えています。(十五年ばかり前のことですからポンポン言う発動機船は見当りませんでした。おそらく今頃も苦力が舟を引いている事でしょう。急ぐ必要もなく、高いガソリン等より苦力が得でしょう。)

 何人もの苦力と話したことがありますが、どの苦力も早く金持ちになっておよめさんをもらいたいと言っていました。およめさんもお金で買うのですから大金持ちは何人ものおよめさんがあってもいいわけですし、反対に苦力などは一生およめさんなしで暮す者も多勢いるわけです。

 苦力の食べ物は大てい一番安いあんの入っていない麦粉のマントウ(まんじゅう)に生ねぎ、にんにくなどです。一日分の食費十三銭ぐらい(普通の人は一円ぐらいの時)という事でした。兄弟とも離れ、人間なみの食べ物も食べられず、毎日々々が重労働の苦力はほんとにかわいそうでした。話に聞くドレイそっくり、日本の牛馬みたいな支那の苦力が、いつ頃から、どうして出来たものか、くわしくは知りませんが、世の中が進めば自然と苦力もなくなる事でしょう。

 支那では、一番あわれなのがこの苦力で、この苦力のすぐ上が兵隊でしたので、私たち当時の兵隊は『日本軍人』といばっていても、たかが知れていたわけです。

1959年八女郡辺春(へばる)中学校『学級だより』

(保健医療経営大学『学長のひとりごと』)

▼かささぎの独り言

一郎先生のそのさし絵がみたい。

苦力;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A6%E5%8A%9B(写真あり)


日中戦争
時には満州や日本の占領地でも苦力が使役されたが、共産中国が成立すると事実上鎖国政策が採られ、苦力貿易は終結した。(ウィキ)

かささぎはこれとは別に、連句的興味があったのが、川を遡行する。というときの方法。電力はなかった時代の。やっぱり人が曳くんだと思って。
で、つぎにやっぱり思い出してしまう、レーピンというロシアの天才と青木繁という日本の天才の船曳の絵と海の幸に通うもの。

一度書いていました。ここ。

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-95fa.html

おなじまなざしが、橋爪一郎の文章にはあります。

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コメント

途中から読み始めたので、お聞きしたいのですが、一郎先生は、受け持ちの子ども達に戦争を伝えるためにこの従軍記を学級通信に書き始められたのでしょうか?

文章の随所に先生のお人柄が出ているように思います。
あの時代特有の悲惨さが意識的にやわらげられているのは、やはり子ども達への配慮なのでしょうね。

もうひとつ。

苦力(クーリー)も、差別用語とありましたね。

差別用語について。ろいりーさんのコメントに「もともと差別用語なんかなかった。そう呼ばれて嫌な気持ちになる人に対してそう呼ぶことが問題なのだ」(ずいぶん、おそまつな要約でごめん)みたいな意味合いのくだりがありました。
名言です。
わたしもつねづねそう思ってきました。
百姓が差別用語であれ、わたしは百姓と呼ばれたい。
あ、ごめん、まだほんものの百姓にはなれてないので、百姓見習いと呼んでいただきたい。

百姓見習いのせいちゃんへ。
同感です。
ろいりさん、いい先生でいらっしゃいますね。
(昔ちびくろさんぼ絶版騒動があったとき、いろいろ教えさせられ考えさせられましたよ。)
だけどもさ。秀野ノートにかいたことへ、杉山先生が差別用語だって叱り付けられたほんとの意味も、わかっています。わからんふりしているだけで、。それは女優さんのイメージ戦略にかかわることで、本人が公表していないのに言っていいのか、という意味もあったのではと思います。そこをあえて、かささぎは言いたかったんだ。
あの時代、たくさんいらしただろう、ばくろうさんに敬意をはらって。

>受け持ちの子ども達に戦争を伝えるためにこの従軍記を学級通信に書き始められたのでしょうか?

その当時にブログがあれば、ブロガーとして戦争を綴ったのでしょうね。
子ども達に伝えるためなのか、自分自身の備忘のためなのか。ブロガーの皆さん、どっちでしょう?

ただ、この「戦争の話」だけは、橋爪家の息子たちも、毎号、刷り上がりを読んでいました。本当は息子たちに伝えたかったのかも知れません。

どこか二一箇所、お母さんがたに問いかけるような箇所がありましたよ。
学級通信だから家に持って帰って親に見せるわけでしょ?私は親世代へも伝わる様書かれていると思って読んでいます。

「苦力(クーリー)も、差別用語」??でも苦力はもともとクーリーという、英語だが仏語だかに漢字を当て字したものだけど、クーリーを苦力と漢字で書いたら差別用語になるという考え方なのだろうか?「ちびくろサンボ」は「ちび」や「くろ」ではなく、「サンボ」が蔑称らしいが、格闘技のサンボがあるためか一発変換できました。
私が前に挙げた「差別用語」スレスレの語句の中で、「土方」だけが一発変換できなかった、労務者ができたのは意外だった。「穢多」ができるのは歴史用語変換ソフトを入れているからだろうか?毛唐はだめだが南蛮人はできる、これもソフトのおかげだろう。ニグロ、あこりゃできん、ニグロイド、これもできん、ネグロイド、ありゃ、こっちだといいのか、高砂族、おっ、これもできた。などと試しているほどヒマじゃなかった。
考えたら、セクハラも差別用語と似たとこありますね。相手が嫌がったらセクハラ・差別用語になるし、嫌がらなかったらそうならない。

ろいりーさん。
訂正です。クーリーが差別用語であるとの記述はありませんでした。人種差別って項目があったのをわたしが読み違えたみたいです。ごめんなすって。

>セクハラも差別用語と似たとこありますね。相手が嫌がったらセクハラ・差別用語になるし、嫌がらなかったらそうならない

まさしくまさしく。
職場でセクハラのアンケートとかありませんか?
以前の仕事場ではかならず年に一回、セクハラに関するアンケートがなされてた。あれ?あれは女性職員を対象にしたものだったかな?そうそう、女性にのみアンケートがなされたような気がします。考えたらそれもおかしなこっちゃ。
で、そのアンケートに、わたしが嫌がらせのように毎回記入してたことが、ろいりーさんがかかれたことと全く同じでした。肩を撫でられるのも、相手によっては快感ですからね。笑

かささぎの素朴な疑問。
杉山洋先生のあの強烈な個性は、サヨク?
一郎先生のくうりいへのまなざしは、サヨク?
インタナショナルうたっておられましたか。
組合活動なされていましたか。
1959年にはまだ5歳です。平仮名しかよめない。ほんとの戦記になると9歳、これなら漠然とわかる。
あんぽとうそうにはどんな位置、考えだったんだろう。復員兵たちのこころのやみ。しりたいです。

インターナショナルの歌、歌ってました。
が、サヨクではありまっせん。
数多く覚えた労働歌のなかでも、好きな歌でしたっけ。

知らなかったから、ユーチューブで聞いてみました。やっぱり知らなかった。
就職したのは個人の会社でしたし、1年2ヶ月しか在籍しなかったので、歌う暇も無かったのでしょうね。

某組合が批判的だった「教育勅語」が机上にありました。
「平等思想」は教育勅語でも読み取れます。

「教育勅語」12の徳目
親に孝養をつくそう(孝行)
兄弟・姉妹は仲良くしよう(友愛)
夫婦はいつも仲むつまじくしよう(夫婦の和)
友だちはお互いに信じあって付き合おう(朋友の信)
自分の言動をつつしもう(謙遜)
広く全ての人に愛の手をさしのべよう(博愛)
勉学に励み職業を身につけよう(修業習学)
知識を養い才能を伸ばそう(知能啓発)
人格の向上につとめよう(徳器成就)
広く世の人々や社会のためになる仕事に励もう(公益世務)
法律や規則を守り社会の秩序に従おう(遵法)
正しい勇気をもって国のため真心を尽くそう(義勇)

ぼん、じつは私も組合運動や労働歌を知らない。
はずかしながら、一度も縁がありませんでした。

乙四郎の父上は、中道をあゆむお方であるみたいですね。教育勅語には罪はなく立派です。
それにしても、風呂のまきのさいご、楽しげであり、郷愁さえ漂いますね。

「インターナショナル」より「がんばろう」のほうが好きでした。
   ↓

はじめてききました。三池闘争、なつかしい。
有名な「インターナショナル」は、これですか。↓
福島さんがでてきます。楽しそう。偶然、福島さんの同窓会写真を週刊誌でみた。あのオウムがらみで殺された坂本堤弁護士さんもいっしょに写っておられました(同級生)。厳粛なきもちになった。

いやはや、面白い映像と歌を聴いてしまいました。初音ミクって誰かと思った。ついでにメーデーの歌まで聴いてしまったが、これはソウル・フラワー・ユニオンが歌うのもあったのでご紹介。「聞け万国の労働者、とどろきわたるメーデーの、これこれ杉の子起きなさい…」あれ?なぜか別の歌につながりそうなこのメロディ。
最近のメーデーでは、「インター」「がんばろう」はもちろん、「聞け万国の労働者」さえ歌われません。「インターナショナル」についての雑知識を1つ、これを訳詞した佐々木孝丸は、戦後映画俳優としても活躍したけど、自分の訳詞では「あぁ…」という詠嘆がなかったのにいつの間にか入っており、不本意だったらしいです。日本人って「嗚呼(あぁ)…」が好きなんだろうな。

初音ミクは、いい歌をたくさん歌ってます。
最近、歌唱力に広がりがでてきました。
(wikipedia参照ください)

世界の終わり、まで
    ↓

初音ミクの1stアルバムはオリコン1位だったって。
オリジナル曲に混じってこの曲も入ってたらしい。
   ↓

レパートリー数万曲。
高音が澄んでいます。
   ↓

嗚呼。
ああ、あのかおで、あのこえで。
(建設の歌を歌った人が歌っていました。題名を知らず。おもいだした。いとうひさお。暁に祈る。)
アヴェマリア。
はつねみくさんがうたわれるのがもっともいいようです。うきよばなれしているから。(しょおんみくとよむのかとずっとおもっていました。)
初音ミクを、はじめて知ったのは、冬樹蛉ブログででした。

歌わないけど・・・
   ↓

初音ミクって、だれかと思った。
バーチャルシンガー。
って、この声は合成音なわけ?
バーチャル名世界が苦手なわたくし。とても、信じられません。
短歌の推敲も忘れ、つい、いんたなしょなるも、がんばろうもめーでーの歌も、ついでに、らじお体操まで聞いて(見て)しまった。

組合歌として、18歳のときにはじめてならったのがこのガンバローでした。組合の集会のときにいやというほど歌わされた。最初のでだしが高すぎても低すぎても歌うのがむつかしかった。♪もない、口から耳へつたえられた時代です。「町へ行っても仲間の歌、村へ行っても自治労の旗」というとてもストレートな組合歌「自治労の旗」という曲も習ったっけ。

それにしても、従軍記の記事からまさかこんななつかしい歌を聴くとはねえ。いやはや。

短歌界の初音ミクこと「星野しずる」
   ↓

はい???
短歌を自動生成???
ちょっとぉ、うそでしょう~~~。

「がんばろう」という歌を初めて知ったのはだいぶ遅く、東陽一監督・寺山修司脚本の「サード」という映画で、女子高生が売春する時に歌うというシーンでした。この歌がもはや一種のギャグとしてしか歌われない、そんな時代を表現する秀逸なシーンだったけど、当時まだ政治運動やってた元同級生は、この大事な歌を冒涜していると言って批判していた。「がんばろう」と拳を突き上げるのは「左翼」政治団体や労組だけかと思ってたら、自民党もやっていてビックリしたのは10年ぐらい前?今回の民主党総裁選でも小沢派がやっていた。私は30年前でさえ、労組の集会でこれやるの時代遅れで恥ずかしいなと思ってたのに。
「自治労の旗」という歌もあるんですか、わが組合のの歌もあるけど歌ったこともなければ聴いたこともない、ただ組合員手帳に載ってるので知ってるだけ。
一転して「暁に祈る」、これは高校生の時友人が冗談で出だしを歌ったのを聴いて、「あのかおで、あのこえで」というのが、その人をからかってるのかと思いました、「あの顔でよくそんなこと言いきるね」「あの声でよく人前で歌いきるね」というような。

透明な残りわずかな夢だから黒曜石をおぼえていよう 
ぺらぺらの嵐の日々に飽きているパズルのあとでどこかの時代
(星野しずる)9月19日作品

なかなかのイケメン、星野しずる氏の作風は「濫作」ですが、時に、どきっとする言葉の選択があります。
今後の成長が楽しみです。

ろいりさんが組合手帖、ということばを書いてくださっていたおかげで、今日、いい付け句が出ました。
(のちほど、一巻アップいたします。)
どうなることかと思ったのだが。
やっぱり合宿、やってよかった。
勉強になった。そらんさんに迷惑かけたことも含め、黙契の友、ということばを実感した。産休。

黙契の友集ひたる秀野の忌  姫野恭子

ありふれた話の夢に気づかずに詩人にみえる小さな子供(星野しずる9/21)

まったくランダムに言葉を寄せ集めているのではないようで、コアとなる言葉がまずあって、その言葉との関連性の強弱を見ながら巧みに他の語彙を選択して、それらを動詞変化や助詞で繋いでいるようです。これって、私のレベルの思考過程と同じ。ロボットだからと侮れない。もう少し手直し(一直)すれば良くなるのに・・・というところが多々ありますが、いずれ改良されて完成度が高まってゆくことでしょう。

戦争は秘密の期待 真っ暗な松ぼっくりを知らないいのち (星野しずる9/21)

「戦争」→「真っ暗な松ぼっくり」のつながりもいいですね。

連句で、はよだせはよだせ、と急かされるとき、星野しずる氏の助けを借りたくなりませんか?

星野しづるについてかんがえることは、詩とはなにかを考えることとおなじかも。
具象句ばかりがつづいて暑苦しい展開になると、脈絡のないことばが痛烈にほしくなります。そんなとき、このようなことばの洗濯、じゃなかった選択、がほしいと思い、またそんな並べ方をしたくなります。
過去、戦争もそんなふうにして日常に立ちあらわれたのだろうか。

戦争は秘密の期待松ぼくり    星野ちびる
 

八女郡辺春

検索でここへ真夜中においでくださった方、ありがとうございます。
私は、差別用語について暮れから考えていました。美輪明宏さんがヨイトマケの唄を紅白ではじめて歌われたあと、女性週刊誌で語られていたことをたまたま美容院で読みました。それによると、なぜか差別用語分類にひっかかって、歌うことを禁じられていたからこそ、ずっと歌えなかったといいます。それは明らかに間違った差別思想だったと。
ここにある、クーリーも差別語なのですね。
私が函館の杉浦教授の古典研究室ブログに正月早々ふっと書いてしまったことともつながっているのですけど。
ばくろうはあなた、差別語ですよ。と、糾弾されたことがあって、。そんなばかな。とおもったのですが、。
今なら間違った考えであると堂々と言い張ることができます。

ふしぎな縁を感じる。
へばる小学校には橋爪一郎先生が努めておられた。わたしの父の姉(26歳くらいで独身のまま亡くなった)がはじめて教員としてつとめたのが、ここだったそうです。(つぎに長峰小学校、そこでなくなる)

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