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2010年9月17日 (金)

『欣求浄土(ごんぐじょうど)』 斧田千晴著

ごんぐじょうど

『欣求浄土』 中日出版社刊

音たてて魂ひとつ洗いおり  千晴

の巻頭句に始まり

牡丹散るナイアガラならなお淋し 千晴

の結句で閉じるまで、日々の随想めいた掌編小説が5編、詩が7つ、極超短編と名づけたものが17編収録されている。

表紙の絵に見まごう大賀ハスの写真は斧田自身の撮影。

詩のなかから、一編を。

喪失  

   斧田千晴

車が三台
狭い庭に鼻を突き合わせ
真夏の日差しに焼かれている
父は仕事の昼休み
長男は職場の休日
次男は帰省中
いつのまに揃ったのか
色も型も違う車が三台

あっけない歳月だった
赤ん坊がオムツを外し
サラリーマンが自営業になり
古いオモチャが押入れに転がる

二十年
あっけないというには
十分長い年月
食事を作り、洗濯をし、家中を整える毎日
片付ける端から散らかっていく部屋部屋
拠点はそれぞれの部屋へと移り
片付ける間もなく整う居間・台所・寝室

二十年が頼りない
積み重ねたはずの日々が霞む
重さもなく、意味も不明なまま
生活が蠢き続けるだけの毎日
砂を握り締める感触
「お母さん」の呼び声が遠い
彼女の、二十年

▼オノダの端書

斧田は食道癌と共生中です。
七月末の時点で遠隔リンパ節移転のある、ステージⅣと診断されました。
三大療法と呼ばれる、手術、化学療法、放射線治療は一切せず、代替療法のみにて対処しております。
さて、斧田はいつまで生きられるか?興味津々ですね。
ご意見ご感想がございましたら、お聞かせ下さい。
生きている限り読ませて頂きます。(斧田千晴)

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コメント

おのだ。
いたみはないのか。
癌で何がこわいかといえば、痛みだろう。
死ぬのはこわくないとしても、しぬほど痛いというその痛みに、たえられるのだろうか。
なんもせんでじっとしとるのは、おさんの陣痛をまつのとはぜんぜんちがう次元のはなしで。
あたしゃわからん。
小説なんかではここでヤクがでてくるけど、それは処方してもらわないと入手できまい?
とにかく、しぬまでは生きている。
まだ死なんどき。
星野療法、教えてくれてありがとう。

ひめどん。
この「欣求浄土」という書籍、貸してもらえまいか。
もちろん、必ず返すから。

このブログにときおり、オトコなのかオンナなのかわからない中性的なコメントを残すおのだ某氏に、以前からいたく興味をそそられていました。(この記事を読んで、「興味をそそられる」という表現がいかに不適切かを痛感しつつ、あえて正直に書かせていただいた)
そして、この端書にふたたび、おのだ某氏がどんなじんぶつなのかを知りたいという強い欲求にかられています。

せいちゃん、ありがとう。連句会で必ず。
今度の本のあとがきをよんで、はじめて知ったことがあります。このひとはひどく内向的な文学少女だったんだな。ってことです。お寺の娘、独身、それから数年前僧侶だった父と兄をつづけて失った、最近の職業は介護職だったということしか知らなかった。
ここにとりあげた詩から、主婦かと思うかもしれませんが、そうではないのです。これは仮託して書いたもの、フィクションです。とわかって読み直すと、またあらたなものがみえると思いませんか。

オノダのことば。(あとがきから)

十四歳の時からプラトニストを自認する私には、死を恐れるということ自体、想像がつかない。「肉体という牢獄からの、魂の解放」である死は、喜びでこそあれ、恐れなど、どこをどう探しても見つからない。プラトンの『国家』第十巻にある「エルの物語」は、最も親しんだ話である。レーテーの野に辿り着いたあかつきには、決してアメレースの水を飲まないようにしよう・・・。
中略ー
四歳の時、初めてひらがなが読めるようになった。
次々と絵本を読んでいった。
『小公子』と『若草物語』は生涯忘れえぬ本である。
ここからプラトンまでは遠いように見えて、案外近い。
古典文献学の面白さは、ハイデッカーから学んだ。『アナクシマンドロスの言葉』はワクワクして読み、『真理の考察について』は言葉への考察を深める重要さを教えてくれた。廣重渉に衿を正され、中村雄二郎の優しさに触れ、丸山圭三郎に驚嘆した八十年代は、コンラート・ローレンツにハマった年代でもあった。ドストエフスキーに沈潜したのちのことである。ライアル・ワトソンに身を任せたあとは、アイザック・ディネーセンに浸った。
件のライアル・ワトソンが亡くなったことも知らないでいたが『エレファントム』は彼の真骨頂に再会したようだった。いつのまにか亡くなっていたといえば、E・M・シオランもそうだ。八十歳を越えての逝去、思いの外、ご長寿だった。
最近になって、ようやく知った須賀敦子。これまで接点のなかったことが不思議である。のめり込むように読んでいる。遅くはなかった。そう、間に合ったのだ。

オノダチハル的読書歴、抜書きしました。
つくづく立派だ。
あのね。わたしは、あなたが、どっさり本をおくってくれたのを、いささかげんなりして、うっぷってなっとったんよね。それで、なにも返事もしないでいたんだ。
(おそろしかろ?あたしはそういう横着で薄情なとこがあるんだよね。)ところが、つい、らんちゃんにこのことを言ったら、らんちゃんが、今は読みたくなくても、いつかきっと恭子ちゃんは読みたくなるよ。って言ってくれた。そうか、そういうものかもなあ。いや、きっとそうに違いない。と思い直して、そしたら、おのだに本のお礼がすうっと言えた。

心配してくれてた。ごめんね。どっちが病人かわからんね。じぶん、ものすごくわがままだし、人を許せないところがある。ということは自分を許せないってことで。
らんちゃんはおなじ病を克服したから、人のきもちがよくわかるんだろうね。

おのだ。やめにこんね。みんな、かんげいします。

爪を切る
  斧田千晴

私はあなたの爪を切る
指を支え
爪切りの刃を当て
パチン、パチンと音を立て
あなたの爪を切っていく

この仕事に就いていなければ
決して会うことのなかったあなた
九十余年を生き抜き
老い、病を抱え、要介護認定を受け
今、私の前に座る
デイサービスセンターの利用者として
皺と染みに埋もれた手から
あなたの人生を紡いできた指が伸びる
その先にある小さな爪を
私は順番に切っていく

父の爪も
母の爪も
切ることなく送った私に
課せられたような老人の爪切り
私の手に触れる
あなたの手が温かい
千載一遇の文字が
私の脳裏に明滅する
爪を切る音と呼応するように
パチン、パチン、パチン・・・

すごい!、誰の名前も、題名も知らない。おのださんがそばにいたら、果たして友達になっていたか。遠くで見つめていただけかもしれません。

らんちゃんの言葉いいですね。らんちゃんには「たおやか」という言葉が似合うと思わん?

うん。おもう。
らんちゃんが東妙寺らんというなまえを名乗ったのは、必然だったんだろうな。古賀の音彦サンがはじめてあったときに、かささぎの記憶では堺やでです、その名前をきいて、ほんとに家の近くにその名の寺がなかったかと聞かれた、その意味も、先だって借りた佐賀の本で、ぱっと開いた頁に、地図つきの東妙寺の記載があったので、なるほど。とおもった。何の寺かは、まだ調べていませんが。笑
オノダは種田ちさとという、やさしいきれいな名前があるのに、なぜおっかない斧田にしたのだろうかなあ。
ってことで、今から買い物にいってきます。冷蔵庫に食糧がなにもなかった。次男を荷物運びにつれてく。

ただいま。
トライアル、でんきやさんの前の、は、夜中もあいていた。はじめて夜中にいったら、結構多かった。
安いです。たとえば、納豆が68円。丸美屋の。
塩さば一尾258円。白菜四分の一カット128円。キューイ五個で398円。つがるりんご一個98円。おでんだね各種一個29円。(←ぎょうざまきとか牛すじとかごぼうまきとか三角揚げ豆腐とかイカ天とか)
八女で最も品質がいい商品をおいてあるスーパーは、エーコープ八女(納楚)だけど値段はそれなりします。が、品質うんぬんを気にしなければ、ここはとても安い。若い人が多いはずだわ。
いまにしてわかる、ベスト電器があっちへいったわけ。

おのだ~~~!!おのだ、なんでしんだんだよう。
おれがいくまでいきてろっていったろうがよう。


母が泣いた。
ごみばこからひろいだした死亡通知をみて、わたしがこれはいつかどっさり段ボール箱に本をおくってくれた友達の死をしらせたものだっていうと。かささぎはそういう通知がきていたこともきづかず暮らしていた。

私、その中の本を1冊お借りしているままでした。
ご冥福をお祈り致します。

御紹介ありがとうございます。

斧田千晴の『癌だましい』を書店に注文して、受け取りに行ったのが暮れも押し詰まった大晦日。
ところが、筑後のその書店はもう閉まっていた。
まだ入手できていません。「俳句」一月号もです。
今日、検索してみたら、たくさん出ます。
賞をとるというのは、それほどまでにすごいことなんですね。
東京新聞での書評です。↓

こんにちは。
初めてコメントします。

私は山内令南さんの看護短大時代の同期です。
いつも近くに座っていたのに、親しくなれずに三年間を過ごし、卒業してから十年以上連絡もとっていませんでした。
でも、すごく印象深い方でしたので、今でもよく覚えています。

今日(といっても日付が変わってしまったので昨日ですが)なんとなく見ていたNHKの番組で、種田さんが小説を書いていたこと、そして食道癌で亡くなっていたことを知り、深いショックを受けています。

ただただ、ご冥福をお祈り致します。

もちろん癌だましいは読んでいません。きっと私はフィクションとは思えず、麻美と種田さんを重ねてしまうでしょうから、生々しい闘病の描写は読むのが怖いです。
でも、読んでみようと思っています。
死の直前まで紙とペンを欲しがったという種田さんの残したものを読まなきゃいけない気がしています。

hanaさん
はじめまして。
コメントありがとうございます。とっても嬉しかった。
私だってあなたとさほどかわりゃしません。
文芸の徒として知り合ったのですよ、彼女とは。
なのになかまで深くはいりこめなかったからです。
癌だましい、まだ途中でやめて読んでおりません。
おそろしいからです。正直にいって。

縁をいただいていた、というのは、ありがたいものでありますね。あなたも、わたしも。
これからいつになるかわかりませんが、おのだともう一度きちんと出会いたいとおもっている。

すっぴんの癌だましひや曼珠沙華   恭子

これは斧田追悼句です。

牡丹散るナイアガラならなお淋し  斧田千晴

この句、晩年の一句ですが、唐突なナイアガラの出方には虚を衝かれる。
胸の中でなんどもおのだにたずねた。
なぜナイアガラなの。そんな名前のボタンがあるの。あんたがボタンなの。それほどまで華麗な人生だったの。。。。違う違う違う。
わからん。おてあげ。
いちど二度、連句を巻いた。
小説家の視線がある付け句だった。
それ、さがしだしてきたい。
山口の木戸葉三さん(俳人)との三吟でも巻いた。
ふしぎと似ていたからというだけの理由で。二人の生家のお寺の名前が。

とりとめのないお話につきあっていただき、ありがとうございました。
あと、わたしは斧田を思い出す度、パリ23区、ぼくたちのクラス、という仏映画を連想します。
もしこの映画をみられることがあれば、主役のおんなの子に注目してください、おのだは間違いなく、彼女にそっくりですから。

このナイアガラの出し方が唐突で、それは、きどようぞうと三人で連句をまいていたとき、感じたことでもあった。
探し出さねば、19日までに。
お寺仲間だったのかもしれない。

上記、映画のタイトルまちがっていましたね。
パリ20区、僕たちのクラス☟です。
斧田千晴絡みで見えているように思えました。

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