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2010年9月15日 (水)

戦争の話(32) 橋爪一郎従軍記

保健医療経営大学学長

 橋爪 章

2010 年 9 月 15 日 戦争の話(32)

<橋爪一郎従軍記>

   水牛(シュイニウ)の巻

 前号で馬の話、このままでは支那の牛から文句が出そうです。支那の牛には二通りあります。一つは日本の牛と同種類です。これは北支那の方に多く南支那の方ではめったに見当りません。支那の中ほどから南には水牛がたく山います。どこの農家にも二、三頭の水牛は必ずいます。角が大きく力が強く体はまんまるく太って象のような感じがします。灰色のものと桃色のものといます。気はやさしくて力持ち、背中に人間の子供を乗せて、ゆうゆうと遊んでいます。水牛は暑がりやで、夏の暑い日は水の中にずんぶり沈んで、角、耳、目鼻ぐらいを出しています。

 戦争中には水牛を何頭も取って来て(どろぼうですが仕方ありません)、背中に荷物をどっさり乗せます。前から引っぱってもなかなか進みませんので、鼻から引いた長いつなを持って水牛のお尻をたたきながら追って行きます。鉄砲を肩にして、牛を追い追い前進して行く日本の兵隊さん、こんな風景が大体、支那での戦争の私たちでした。

 この水牛、非常な意地っぱりで、一度水中には入りたいと思ったら最後、止められるものではありません。背中に米や塩など乗せたまま、ずぶずぶと川の中へ沈んで行きます。背中にゆるくしばっておくと道々荷物が落ちるし、しっかりくくりつけておくと「さあ」と言うときに荷物の取りはずしが間に合いません。一度や二度は大ていの者が失敗して、いろんな品物をずぶぬれにするものですが、そんな時のその人のあわてぶりは、見ていると実にゆかいなものです。水牛が川の深い所へずんずん行って大事な品物を台なしにすることもありますが、もともとどろぼう牛の仕業ですから、ばち当りとあきらめるより仕方ありません。

1959年八女郡辺春(へばる)中学校『学級だより』

(保健医療経営大学『学長のひとりごと』)

どろぼう話と水牛について

戦争中には水牛を何頭も取って来て(どろぼうですが仕方ありません)、背中に荷物をどっさり乗せます。

どろぼう話。(かささぎ的編集すみません)
1星がふえて嬉しかったの巻
http://www.healthcare-m.ac.jp/app/gm/archives/2834
 
>兵隊は星の世界、夜の世界みたいなものです。
油断をすれば、鉄砲でも、軍服でも平気でなくなり、人に見つからないように、人の物を持ってくれば上官は知らぬふりをしてくれます。
兵隊では、いつどんな時でも、きまった物をきまった数だけ持っていることが一番大事で、一品でもたりなかったら、ほほっぺたの丸ばれ(たたかれて)はまちがいなしです。

2ペーチカよさようならの巻
http://www.healthcare-m.ac.jp/app/gm/archives/2880


>石炭を一晩中たいて部屋の温度を上げるのが二等兵、一等兵の仕事でした。
たりない石炭を、よその中隊から、こっそりぬすんでくるのも、あわれな新兵の仕事、ペーチカで涙を流し、涙をかわかしたのも思い出です。

3南京への巻
http://www.healthcare-m.ac.jp/app/gm/archives/2892

>南京では、初めて見る揚子江(ヨウスコウ)の大きさに先ずびっくり、この川を舟でわたって、ここに四月十日までの十二日間を体ならしですごしました。
鉄砲をもらい、鉄かぶとをもらい、ここで、すっかり戦争の用意が出来上りました。けれども残念なことには、鉄砲の中の半分は日本製ではなく、支那兵のもっていたもの(ぶん取り品)でした。鉄かぶとも全員分はなく、一等兵以下は持ったり持たなかったりのあわれさでした。

水牛
アジアはスイギュウの原産地であり、現在でも世界の95%が生息している。多くのアジアの国でスイギュウは最も生息数の多いウシ科の動物であり、1992年時点でのアジア全体でのスイギュウの数は1億4100万頭と見積もられている。内、インドが最も多く、中国では、2300万頭程度と見積もられる。(ウィキ)
http://www.caseificio.jp/kodawari/index.html
(きれいな宮崎の水牛チーズのサイト)

コメント(きのうのぶんまとめ)

おはようございます。
ばくろう>>博労>>馬喰>>差別用語ではないと思うけど?そうなの?
祖父は知り合いの人を「ばくろうさん」と呼んで親しくしてたと思います。
馬や牛の売り買い人さんで目利きが大事な職業だと思っていたけど。

私もそう思います。
百姓が差別用語ではないように、博労もまた。
胸をはっていて、いいんです。

「馬喰」「博労」が差別用語というのは何かの間違いか勘違いでしょう。
そうでなきゃ東京に「馬喰町(ばくろちょう)」という地名・駅名が残ってるわけないし、三船敏郎主演の「馬喰一代」という映画もある(原作もあるらしいが)~確認のため「馬喰一代」で検索してみたら、飛弾牛専門店名がずらりと出てきた。これを見ても差別用語とは言えん。
「ばくろう」をATOKで漢字変換すると「馬喰」「博労」(これは「ばくろ」とも読むらしい)の他に「伯楽」というのも出てくる。そうなるとむしろ褒め言葉ではないですか。ちなみにMicrosoft のIMEでは変換できません。こいつは日本語能力が劣悪です。それなのに東京都教育委員会はIMEしか入ってないパソコンを全員に配布して、これ以外のパソコン使用を禁止するという愚行を犯している。
理容師の中には「床屋」というのを嫌がる人もいるし、うちの愚妻は家が「米屋」と言われたのを嫌だったらしい。その程度の問題でしょう。

「支那」はATOKで変換されません。
苦労しています。

どうしてできないのでしょう。
いちいち、支店の字をまず出して、那珂の字を出して、余分を消している。ごくろうさんといいながら。
ナというのは日本でしたっけ?どうして差別だろう。(授業で習った、でもとっくにわすれた。

昼前、廣田弘毅から南京事件の続きを移していたとき、あの時代の戦争のきれいな決まりに心打たれた。外国の権益を侵してはいけない。と政治家は再三再四それを気にかけ軍人へ進言しています。現場を知らぬものが何を言うか。と煙たがられても。
あの本は戦犯死後十年ほどたっての廣田の友人知己たちによる慰霊の行いでありつつ、歴史を正しく記録するための文藻です。読んでいると、なみだがでそうになる。かささぎは、かつてこれほど心のこもった「文章の慰霊碑」をみたことがない。

私はATOK17を使ってるけど、ちゃんと「支那」と変換できます。
「支那」はもともと差別用語ではありません~そう言われりゃ最初からの差別用語なんてあまりないかもしれないが~差別用語とはそれを使う方、そう言われた方の意識の問題だから。昔は中国人もあまり気にしていなかったそうです。ところが、日本人(特に軍人)が侮蔑的に「この支那人が…」というような言い方をするようになったので、そう言われるのを嫌うようになった、相手が嫌う言葉をわざわざ使うのはどうか、というのが本当のところでしょう。「百姓」「馬喰」「床屋」「按摩」「土方」「労務者」etc.そう言われて嫌がる人もいる、それを知っていながらその人をそう呼ぶのはやはり問題でしょう。
昔々の「倭人」たちは、漢字で侮蔑的ニュアンスのある「倭」と書かれても別に気にしていなかったが、「日本」という国号を使うようになってからは、中国でもそれを重んじて「日本」と言い、書くようになったのだから、どこかの知事みたいに、今現在の中国をわざわざ「支那」と言う必要はない、でも歴史話としては使うのも可、というのが私の見解です。

民主党代表が決定した瞬間、円高更新。15年ぶりの水準だそうです。
15年前、元官僚は、円高に泣いていました。
(財)放射線影響研究所の運営に関する日米協議のため、ハワイへ出張しました。(首都ワシントンまで行かず、最寄りの米国州での会合。ワシントンの政府高官もハワイへ。)
守秘義務のため詳しくは書けませんが、要は、円高だけど米政府はちゃんと予算を確保してくれ、という交渉です。
(財)放射線影響研究所の運営経費は日米両国政府が折半する、と財団法人設立時(1975)年に日米交換公文で約束しているのですが、日本に設置した施設なので運営経費は円建て。円高になると米国政府はドル建て予算を増やさなければならないのです。議会で承認済みの予算を修正することの困難は承知の上、放影研で働く職員へ給与を支払うための交渉でした。まるで米国を相手にした労使交渉。
放影研の運営の実態はこんな感じです(↓)。

http://www.jichiro.gr.jp/jichiken/report/rep_gunma30/jichiken/4/24.htm

笑われるかもしれませんが、日本へは原爆と水爆がおちた。とばかり思っていた時期がありました。二種類試験した。ときいて。
試験結果を詳しく知りたいアメリカは、同年9月8日に日米合同調査団を結成した、と↑にかいてありますね。
>調査の資料として最も重要なもののひとつである被爆初期の資料は、被爆直後からの救援救護と調査に従事した日本の陸海軍や大学、民間医療機関がすべて手に入れていて、9月はじめに進駐してきたアメリカ側としてはそうした急性期の資料は日本側から手に入れるしかなかったのだと考えられます。
・・・・素朴な疑問。このときの調査団員でのちにガンになったら、入市ヒバクシャ認定を申し出られてもいいのですね。(あめりか人にも?)いま、がんは普通に多いですね。

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コメント

経済問題。について。

総合月刊誌ファクタ;http://www.facta.co.jp/
ファクタ9月号記事より。
日米の中央銀行がスレ違い(6月来日時のバーナンキ議長と白川総裁)AFP=Jiji


さすがはデフレ問題の研究家である。ベン・バーナンキ米連邦準備理事会(FRB)議長は案の定動いた。雇用指標の悪化を受けた連邦公開市場委員会(FOMC)は8月10日の会合で、一段の金融緩和を決めたのだ。だが、これで日本型デフレを防げる保証はない。一方、今回もまた日銀は出遅れて、円高の波が日本経済を襲っている。新たな「経済敗戦」の責任は途轍もなく重い。
(これ以上詳しく読みたい方はファクタ購読をお勧めします)

2マリオンボンド社長の最近のおことば

そうそう、銀行と言えば、9.10(金)に振興銀行がとうとう破綻しましたね。

約2ヶ月前に木村剛前会長が検査忌避の疑いで逮捕されてはいましたが、「銀行」と言うと今迄は破綻させず公的資金注入か合併と相場が決まっていましたが、思いもよらず当局は厳しい判断をしました。

初めてのペイオフ発動です。

(カササギ心の声・・えっつペイオフ!!もうそこまで追いつめられていたのだ!!あべしげさんがずっと前にかいていたっけな)
にしても、この人のセンス、すばらしい。おもしろい。「消えた生コン工場」↓
あと、カンさんは草冠がとれた官さんになったとか、次の一文のさえ。

個人的に言わせていただければ、立会演説会でのお二人の印象は、「自立した集合体の日本社会を目指す」「政治主導で、官僚からの脱却」を主張する小澤さんは政治家のように、クリーンを揚げ「数と金の政治は古い」「一に雇用、二に雇用、三にも雇用」と訴える菅さんは、まるで労働組合の委員長のようにも見えました。

古いタイプの政治家のはずの小澤さんの方が、新しいタイプのクリーンさを売り物にしている菅さんより小生には、何となく頼もしく思えました。

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