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2010年9月18日 (土)

戦争の話(終) 橋爪一郎従軍記

保健医療経営大学学長

 橋爪 章

2010 年 9 月 18 日 戦争の話(終)

<橋爪一郎従軍記>

   面子(メンツ)の巻

 支那の人は、人の面前ではずかしめられる事をとてもきらいます。日本人だって同じだと言えばそれまでですが、日本ではとても考えられそうもないことがいくつもあります。今日の話はその一つです。

 支那の人は「面子」をとても重んじます。面子を重んずるとは、「その人の顔をたてる。」とか「その人をはずかしめない。」などの意味です。

 こんな事があります。誰かが人の物をだまって持って行く。しかも借りるのではなくてぬすむのです。ぬすまれた人がそれに気づいて、そのどろぼうを追っかけて行きます。「おい、こら、どろぼう!その品物はかえせ。」とどなりつけます。すると、どろぼうの方はその品物をかえします。ここまでは日本と同じですが、それから先がへんです。その品物を受取ってからまで「おい、こら、どろぼう、」など呼んでいると、今度は反対にどろぼうの方がだまっていません。「品物は返しているじゃないか。返したのにどろぼうなどとはけしからん。」というわけです。あんまりやかましくなると、取られた人がどろぼうの方にお金を出してことわりを言う、こんな事にならぬとも限りません。どろぼうだって人間、ちゃんと「面子」があるわけです。「おれの顔をよごすな。」というわけです。こんな具合ですから、どろぼうの方は、取って見つからなくて丸もうけ、見つかっても返せばもともとです。支那ではうっかり油断は出来ません。

 所で、私たちは、この辺の具合をよくまねしたものです。兵隊二、三人でまんじゅうなどを買いに行きます。一人が店の大将に「これはうまいか、あれはうまいか。」とか「そりゃ高い、こりゃ高い。」などと、わざとからかって大将を腹かかせます。こうしているうちに、外の者は店の品物をさっさとポケットに失敬しています。うまく見つからねばそのまま、見つかったら、返して逃げて帰る。ざっとそんな調子で、ずい分、支那の人たちをいじめたものでした。戦争の兵隊は、悪い事をして、つみもない支那の住民を困まらせました。私もその中の一人で、支那の人にすまないと思っています。

1959年八女郡辺春(へばる)中学校『学級だより』

(保健医療経営大学『学長のひとりごと』)

▼コメント

インターナショナルの歌、歌ってました。
が、サヨクではありまっせん。
数多く覚えた労働歌のなかでも、好きな歌でしたっけ。

知らなかったから、ユーチューブで聞いてみました。やっぱり知らなかった。
就職したのは個人の会社でしたし、1年2ヶ月しか在籍しなかったので、歌う暇も無かったのでしょうね。

某組合が批判的だった「教育勅語」が机上にありました。
「平等思想」は教育勅語でも読み取れます。

「教育勅語」12の徳目
親に孝養をつくそう(孝行)
兄弟・姉妹は仲良くしよう(友愛)
夫婦はいつも仲むつまじくしよう(夫婦の和)
友だちはお互いに信じあって付き合おう(朋友の信)
自分の言動をつつしもう(謙遜)
広く全ての人に愛の手をさしのべよう(博愛)
勉学に励み職業を身につけよう(修業習学)
知識を養い才能を伸ばそう(知能啓発)
人格の向上につとめよう(徳器成就)
広く世の人々や社会のためになる仕事に励もう(公益世務)
法律や規則を守り社会の秩序に従おう(遵法)
正しい勇気をもって国のため真心を尽くそう(義勇)

ぼん、じつは私も組合運動や労働歌を知らない。
はずかしながら、一度も縁がありませんでした。

乙四郎の父上は、中道をあゆむお方であるみたいですね。
教育勅語には罪はなく立派です。
それにしても、風呂のまきのさいご、楽しげであり、郷愁さえ漂います。

「インターナショナル」より「がんばろう」のほうが好きでした。
   ↓

はじめてききました。三池闘争、なつかしい。
有名な「インターナショナル」は、これですね。

http://www.youtube.com/watch?v=18Gr7nBkPTk

投稿: かさ。 | 2010年9月17日 (金) 23時40分

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コメント

大陸の人たちの考えは、どろぼうは、されるほうに隙がある。という考えなんでしょうね。とった物をかえしたのに、まだ盗人呼ばわりすると、逆に責めたてられる、っていうのも、日本では「盗人猛々しい」と軽蔑されるだけですが。こんなにも住む国が違うと文化の違いがあり、民族性の違いがあるということを一郎先生の戦記は教えてくれます。(これは、ローマ神話のマーキュリー、もとギリシャ神話のヘルメスが、商売の神様であり、盗人の神様でもあることとも微妙に関連していくように、かささぎには思えます。ほら、いつか乙四郎先生があるユダヤ人におとしめられて大層いやな思いをなさったことがあった。という話、それとも、どこかでつながっていきますよね。)
今回の最後の部分は、まるで男子校のワルガキ軍団のお遊びみたいなかんじだ。と思いつつ読みました。これこそは、「郷に入りては郷に従え」ということの手本みたいなくだりです。きっと一郎先生はどんな場面においても、ストレスを上手に晴らすすべを身につけておられたのではないでしょうか。
いつかかささぎが意図的に編集した、どろぼう話が三題、水牛の話までいれたら四つありますが、戦争という非常時だったから許されたこと、そういう次元の違う世界のはなしを、どうしても、単一の価値観しか通用しない、平和な時代のこどもたちに、はなしておきたかったのではないだろうか。きっと生還後は、毎日のとてつもない安堵とともに、戦時中の、極限におけるぎりぎりの、運命をためすようなハラハラの未知感と同居するかんじ、を、懐かしく思い出されるときも、あられたのではないだろうか。

総じて、橋爪一郎従軍記の底を流れるものは、おおらかで邪気のないこころと、戦争本体(人殺し)ではなく、人として生活する部分をなにより大事に思うこころ、それと周囲への観察眼であるとおもいます。それと、表現のはしばしに何気なく書かれていたことで、日本軍のたたずまいがうすぼんやりとみえてきたのは、つらかった、というか、なんというか。
同時に読んでいた、広田弘毅の戦記(こちらは政治家の)と表裏一体をなすもの、と、かささぎはとらえたい。
何度もいいますが、もし、この戦記を写すことがなければ、廣田弘毅からのあの引用も、できなかったでありましょう。もう少し残っていますが、あとで写します。


セレブにイかせてもらえない生殺しプレイされたぁぁぁ!!

ザ一メソって我慢しすぎたら、女 の 潮 吹 きみたいに出るんだな!!
あんなに気持ちいいの初めてだ・・・軽く失神しかけたわ!!

コレ男なら一度は体験しといたほうがいいな(笑)
http://tiki.pupipo.net/cenlrv4/

>戦争の兵隊は、悪い事をして、つみもない支那の住民を困まらせました。私もその中の一人で、支那の人にすまないと思っています。

国家による謝罪ではなく、一兵士による謝罪。
これを書かねば、という思いだったのかも。

最近の日中関係の悪化が気になります。

日本の国内法を犯した犯罪者の釈放を国のトップ(温首相)が要求するという展開になってしまいました。
日本の領土外なら日本の国内法の適用とはなりませんが、領土問題は存在しないとの立場(日本)では、犯罪者を逮捕拘留するのは当然のこと。事態の解決には高度な外交手腕が求められますが、今の顔ぶれだと先がまったく読めません。ていうか、妥協せずに日本の立場を貫くのでしょうね。
となると、その次の展開、関係悪化下での二国間の外交のあり方を模索せねばなりません。(菅さん、大丈夫かな?)
中国側では円を大量に買って円高で日本へ報復しようとの投機筋への呼びかけもあるようです。

わたしも中国との交流悪化が気になってしょうがない。
そして、国民性の違いというものをいやというほど見せ付けられている気がします。中国要人のだれかひとりでも、「それとこれは、はなしがべつじゃろ」なーんてこと言ってはくれないのでしょうね。
ますます、「日本の一人負け」状態が加速します。


ここで、このようなコメントを残すのもおかしいけど、元官僚つながりでここに書きます。
村木局長の文書偽造疑惑事件の立件に際し、地検の主任検事がフロッピーデータを改ざんしたという事件。これって、大事件だと思うよ。わたしたち国民はだれを信用すればいいのだろうと空恐ろしくなりました。日本は狂ってきてる。間違いなく。

今、TVでやってた、お寺のPV
   ↓

はい??このプロモーションビデオは実在するお寺のもの?
もしや、バーチャル寺もあったりして。
でも、これが(検索すると実在するみたいなんだけど)、本物のPVとやらなら、ここのご住職、勇気あるよね。笑

了法寺について
    ↓

PVの歌詞の出だしです。
“恋の実ったその先は、二人で永眠!了法寺ー!”

さっそく、星野しずるさんに愛を詠んでいただきました。

まっすぐな生命力よりあたたかな青みがかった罪を愛した
走り去る機械じかけの愛よりもあなた自身をたどってゆけば
君だけのほんのちょっとの時のこと人差し指につつみこまれる

了法寺のHP
「愛の了法寺」の振付もあります。
   ↓

ふうん。もえきゃら。

若い人をお寺によびよせる方便。
でも名前が。法を了う寺。
法を仕舞う、おわらせる。うそみたい。
絵馬は売れても。
(でもたのしそうだった。
ここ何を祀っているかしっていますか?
はい?さあ、。って。笑

了法寺は1489年に開山した由緒あるお寺らしい。
戦国百首より古い。

はひふへ本光寺のPV
   ↓

こわ。おつしろうがこわれた・・・

義章がいきていたら、今日53歳でした。
もう長くあっていない。長男が時にとてもにている。

このずうっと上のほうのコメント、中国との関係悪化の。その話題、連句のときにだれか教えてくれた。最近まったくテレビをみないので、にゆうすを知らないんです。ぼんだった、せいこさんだった、(おなじ場所に座ってたんで思い出せない)、解説してくれたよね。ありがとう。その厚生局長のどうのの話も知らないままです。おめでたいなあ。

義章さんも9月生まれだったんですか?
なんと言っていいかわかりませんが、いつもかささぎさんは弟さんのことは胸の中にあるんですね。

このところ生活に翻弄されて父のことを書くにはエネルギーがなかったんですが、先日もまたニューヨークさんが帰国し、一緒に神社に行きその後、カフェでハンバーガー食べながら、原爆の話とか、そんなんばっかり2時間も3時間も話して英気をもらいました。もう少し丁寧に生きようって。(どんなん?)

政則さんが特攻隊の宿舎で熱を出したとき看病してくれたのは渋谷幽哉さんよ・・・・と、遠くニューヨークに長く住み続ける他人のニューヨークさんが私にこう言う。
なんであなたが???と思わずにいられない。

それにしても9月生まれ多いですね。この仲間。

原爆の俳句誌ありがとうございました。
選者の中に金子兜太さんがいらっしゃるのが目につきました。

「僕は二十年夏兵士だった」の本に登場されています。

まえがきから
金子兜太
賭博・男色、殺人・・・。
南の島でわたしの部下は何でもありの荒くれ男たち。でも私は彼らが好きだった。

南方でとても豪放磊落で人間味あふれる包容力のある上官だったようです。
日ごろ俳句界で見かける金子さんのイメージがぜんぜん変わりました。

でも私たち戦場というと毎日毎日爆弾に追いまくられ打ち合いや逃げ回ってる風景しか思い浮かばないけど、年がら年中交戦しているわけではないので
和気藹々とした職場のような日もありいい上司もいて険しい思い出ばかりじゃなかったってことでしょう。

橋爪一郎戦記読んでもそう思います。

ああそうか。やっとわかった。乙四郎、学長は若者へどうすれば思いが届けられるかというのを日々思案なさっているのですね。だから、はたからはぶっ壊れたんではないかと思われても、勇猛かかんにそういうサイトものぞいておられるのですね。
このかささぎ、アクセス解析のたびに感心させられるのは、「世界の終わり」の歌についてあっというまに先の先まで通用するようなコメントを書いておられたこと。いまだに上位に入っている。これは、その慧眼の証明です。

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