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2010年9月11日 (土)

戦争の話(28) 橋爪一郎従軍記

保健医療経営大学学長

 橋爪 章

2010 年 9 月 11 日 戦争の話(28)

<橋爪一郎従軍記>

   とういもの巻

 今年は雨の降らない梅雨で、辺春の畑も、いも植えにお困りだろうと思います。

 「とういも」は唐芋と書いて「からいも」とか「さつまいも」とか言っていますが、漢字の通りに唐(支那)の国が原産だろうと思います。さて、支那では、白薯と書いてパイシュウと言っています。「唐芋」と紙に書いて「ユー・メイユー」(あるかないか)と聞いても通じません。

 支那のとういも植えは、相かわらず、のんびりしたものでした。広い畑のところどころに -二間(ケン)ま四角に一ッぐらい- 種芋をたてに植えます。するとやがては芽が出て、つるがのびて、はびこって畑一面が芋畑になってしまいます。日本の西瓜(スイカ)、南瓜(カボチャ)畑みたいなものです。ところがこんなことで結構に芋がはいるのですから不思議なくらいです。日本の畑でまねしたら、つるばかりでとても実がはいろうとは思えません。

 出来た芋は、うすく切って日にほして、からからに乾いた所で、石うすで粉にして保存しておきます。だんごにすると、まっ黒い田舎こんにゃくのようなのが出来て、甘くて、見かけよりもおいしいものができます。支那には家ごとに、この芋の粉がたくわえられています。米がとれなくても、急にはうえ死しなくてよいわけです。芋のつるの方は、全部かりとって、日にほし上げています。これは冬の間の水牛の餌になるわけです。

 芋がうんと取れればみんな嬉しいし、芋のつるばかりはびこったら水牛のために嬉しいし、支那の人はいつも天に感謝していました。ただ、日本の兵隊(私たち)が戦争で田んぼも畑も台なしにしてしまう事には心から迷わくしているようでした。

1959年八女郡辺春(へばる)中学校『学級だより』

(保健医療経営大学『学長のひとりごと』)

▼かささぎの独り言

>芋がうんと取れればみんな嬉しいし、芋のつるばかりはびこったら水牛のために嬉しいし、支那の人はいつも天に感謝していました。ただ、日本の兵隊(私たち)が戦争で田んぼも畑も台なしにしてしまう事には心から迷わくしているようでした。

あとで、また、例の廣田弘毅から南京事件の部分だけを打ち込みますが、この橋爪一郎戦記がなければ、出来ぬことです。
この人がいてくださるおかげで、何となく安心できる。

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