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2010年9月 1日 (水)

戦争の話(18) 橋爪一郎従軍記

2010 年 9 月 1 日 戦争の話(18)

<橋爪一郎従軍記>
   
やりそこねの巻
 兵隊の位はなかなか上りません。成績が良くても上等兵になるまで丸一年、その上の兵長になるには丸三年、下士官の伍長になるには四年も五年もかかるのが普通です。私は、兵長にはならないままで、丸一年で伍長になりましたので、同じ日に入隊した友達には気の毒でした。早く進級するかわりに、毎日毎晩がたたかれどうしで、その点では友達の方が同情してくれたほどでした。兵隊になって丸一年目の一月十日は、待ちに待った日、金すじに一ッ星の伍長になる日、兵長以下の兵隊とは別れて下士官室に寝られる日でした。初めて伍長になったばかりの私達五名は、消燈(ねる時間)になると同時に兵長ども七八名を兵舎の裏庭に呼び集めました。ふるえ上るほどに寒い晩でした。ゆうべは私達は上等兵で、この兵長どもにさんざんたたかれているのです。今日は、こっちが伍長で、むこうが兵長、今日の日こそと、大きな声で「この野郎!!兵長ぐらいでしこるな(いばるな)!!」後は、力一ぱいボカボカボカとやりました。良かったのはここまで、それから後は、こちらの方がゆうべのようにさんざんたたき上げられてしまったのです。考えて見れば、私たちは、まだ一度も人をたたいた事がなく、相手は兵隊の飯を四五年以上も食べている先輩ばかりです。たたき方も外から見るように簡単なものではありませんでした。新まいの伍長の初仕事は完全にやりそこねて、細長い顔もまるぶくれ、思い出の日が近づきました。

1963年八女郡辺春(へばる)中学校『学年通信』より

(保健医療経営大学『学長のひとりごと』)

▲しこる。どこの方言だろう。いばる。

きのうの軍犬にからみ、かささぎ、妙に気になり、はりつける連句的記事。

▼ひさびさの古賀のたつやさん。まいど。http://sinkodai.typepad.jp/blog/2006/07/20060716_37da.html#trackback

コメント

東条英機って久留米時代があったのですね。
子供さんは日吉小学校とありました。
久留米の自衛隊にある資料館には入ったことがありますよ。11月の開放日に。
その時紋付はかまに刀をさしたちょんまげの人を見ました。
そのおじさん見てた私に「坂本龍馬みたいでしょう。ハッハッハッ」って(@@・・ちがうちがう・・)

えめさんが書いてくださったので、より戻って東条英機の図嚢よみなおしてみました。
12師団のおさになられたのかな。12師団が久留米だったのですね。東條さんは敗戦後めちゃくちゃいわれたけど、優秀な軍人であられたのですね。そうだとおもっていた。
わたしは、こないだ久留米の陸上自衛隊の戦車隊の石碑についての記事を読んで、あれ、あそこが国分だったの。って。そのくらいの土地勘しかなくて、。いつもいつもその横を通って通勤してたのにね。知らなかった、なんにも。ほんとにまぬけです。無知であり、それは無関心の表れでした。はずかしいとおもっています。

ご無沙汰です。。
しばらく見ないうちにすっかり話題が変わってる。。(笑
お疲れ気味だけど何だか楽しそうですね。
お元気そうで何よりです(^ ^;

投稿: うた○ | 2010年9月 1日 (水) 00時41分

うたまるさん。すごい受信能力ですね。
この日(火曜)久留米図書館にいきました。こうらさん十景歌資料さがし。
ついでに『校訂筑後志』(杉山正仲)の黒木助能の頁を写真に撮った。
この筑後志と書名の似ている矢野一貞の『筑後国史・(筑後将士軍談)』。
矢野のほうにも記載があったはずなんだけど、時間がなくて、そちらは開けず。
以前、古賀の音彦さんがかささぎへコピーをとってくださったのは、こっちでした。
実物を手にとったのは初めてでしたよ。禁持ち出し。
著作権法違反かなあ。どちらさまへわびればいいか、わかんないんですが、ごめんなんしょ。ぺこぺこり。
かささぎ、石橋秀野を研究していたころ、テキストがなかった。
そのころ二年ほど存在した〔櫻濃く石橋秀野資料館〕館長のお持ちであられた古い高価な句文集一冊をコンビニでまるまるコピーさせてもらいましたよ。それ以外に読む方法がなかったからです。(いまはありますし、著作権もありますけどね。)
八女図書館の方から本と言うものは半分までなら複写できますが、それ以上はできません。といわれたのを覚えています。そんなら一ページ半ですから、違反ではないですよね。
さて。
図書館でまさにコピーをとろうとしていたとき、らんさんからも電話があった。
(館員さんから怒られた。)
合宿。樋口軒ではなく、グリーンピアになるかもしれない。
値段、二倍も違うため、のりかえようかと話し合っている。
二万と一万。どっちがいいかといえば安いほうでしょうよ。
こんなところで、私的なはなしあいをするなって。はいよ。
という理由で、すごい受信能力。

駐屯地の一番 西に建つ建物が資料館です。
明治時代からの建物。 中は古めかしいです。
遺品や衣装など色々並んでいます。
年中見学できると思いますよ。
久留米師団は最重要師団だったのでしょうね。
道を挟んだ東側には陸上自衛隊幹部候補生学校がありますね。


投稿: エメ | 2010年9月 1日 (水) 08時52分

えめさん。教えてくださって感謝感謝。
ほんなこて、ひどい話で、なんにもそういうことは知らないというお粗末さ。
こんなに近くに日本陸軍のおそらくは本拠地があったんですね。
しらべました。きのうの『東条英機の図嚢』からの連句的。
第12師団。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC12%E5%B8%AB%E5%9B%A3_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D)

第12師団は、日清戦争後に新設された6個師団の一つであり、1898年(明治31年)に、市制施行前の小倉町付近(現在の北九州市小倉北区、なお小倉南区は昭和初年まで企救郡企救村等であり小倉ではない)に設置され、所属の兵士は主に北部九州方面出身者からなる。その後、1925年(大正14年)には久留米に移転し、1940年(昭和15年)7月には満州に移転、また満州移転と同時に歩兵第14連隊第25師団に転出させ三単位編制に改編された。なお、満州移転後の代替常設師団として第56師団が設けられた。

ね、えめさんがおっしゃるように、最重要師団だった。
戦場に最も近く。

それから、古賀の達也さんの記事も併せてよめば、小倉にあった十二師団の大本が、すうっとイワイとヤマト戦争時代にまで続いていくような気が、しませんか。(かささぎの旗)

保健医療経営大学学長

 橋爪 章

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コメント

本拠地>>はい。 だからこそ明治天皇がこの地で大演習をごらんになったのでしょうね。

句会>>船小屋公園の宿は満室でしたか。
昔はたくさんの宿屋があったけど時代の流れですっかりなくなりましたね。
親戚の家も昔、宿屋でした☆彡

あとオススメは矢部・ソマリアンハウス(¥7,000~)
八女市内から1時間位。 良成親王の墓所とかご案内できます。 きれいな所です。
そまの里の奥にはエメラルド色の滝壺があります。

八女上陽ゴルフクラブ(¥8,800~)
近場おばさま達がおしゃべり一泊をよく聞きます。

でも連休なのでイッパイかも・・。

えめさん。ここ。
「東条英機  久留米」検索一位です。

ほんとだ。かささぎ1行目
パソコン調子いいですか?

毎日「食」のお仕事お疲れ様ですヒントやレシピが増えますね。

えめさんから東条英機のことをきかねば、久留米にいたなんてこと、いっさい知らなかった。
さっき七時二十分ころ、月のまわりに虹色のわっかができていましたね。とてもきれいでした。つきのぽぽなさんをなぜかおもいだしたのは、お名前に月があるからでしょうか。
毎朝凍る寒さで、きのうも今日も市水が破裂した。
弟の友達のポンプやさんから直してもらいました。
今年はとても多いて、水道管破裂。
朝通勤で凍結道路を走ります。
ゆっくりいそぎながら坂道をのぼります。
帰るとき、窓ガラスが凍り付いて往生します。
車のどこかのスイッチをいれれば窓ガラスに温風があたるんだろうけど、めったにつかわないので知らなくて、窓ガラスの下のほうのちょっとだけみえる部分まで体をちぢめて、小人さんになったかんじで運転して帰りました。日、月と二日連続、零下何度だったんじゃないかな。
笑い話みたいですが、おそろしかった。

追伸。
調理師見習いは、すごくハードなスポーツです。はっきりいうたら、にくたいろうどう。
だけど、ぴかぴかになります。(なにが?)いろいろと。

こんばんわ。今夜は出たり引っ込んだりしてますね^^
フロントガラス>>水をかけてもすぐ凍るのでポットにお湯を持参する? 視界が狭いと危ないですよ。
水道管破裂>>今年は多いですね。よく聞きます。
暮れからほとんど毎晩水を出して寝ています。
給湯機は毎朝凍っていて昼まで出ません。 
友人宅は給湯機が壊れて毎晩温泉場らしいです。こんな低温な冬は初めてですね

ひめどん

「霜取り一発」と言う名前だったかどうかは忘れたけれど、そんなのがあるから1本準備しといた方がいいよ。山道だしまだしばらくは日がくれるのも早いから。
凍結した日、会社の子が田んぼに落ちたといって騒いでました。トラクターで引き上げてもらったって。
フロントガラスに風を送るのは扇型のマークにスイッチを合わせたらいいです。

しもとりいっぱつですか。おぼえておきます。
ありがとうございました。びくびくしながら乗るのはね。
えめさん、あしたから保温式水筒にお湯をもっていきます。帰るころにはちょうどいい温度。
どちらさまも、助言ありがとうございました。

古い毛布を車に乗せておいて、それを被せておく。と言う原始的な手段で、通勤族だった霜の朝を乗り切ってきました。凍ったフロントガラスに水をかけて、ワイパーを動かしたら、一気に凍って、ワイパーがぎぎいっと止まってしまった経験もあります。
視野の狭さはイノチとり。
だって、もともと運転はヘタクソだからね。
いや、ひめどんのことでなく、わたしだよ、わたし。笑

霜取りスプレーは欠かせませんね。二百円代。
この冬、既に何回もお世話になってます。
フロントガラス用の霜よけカバーも毎晩被せています。このカバーも二百円代でした。
タイヤチェーンも必需品。この週末にも出番がありました。

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