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2010年8月27日 (金)

戦争の話(13)  橋爪一郎従軍記

保健医療経営大学学長

 橋爪 章

2010 年 8 月 27 日

戦争の話(13)

<橋爪一郎従軍記>

   戦争開始のラッパ鳴りひびくの巻

 ま夜中に「非常呼集」の合図で飛び起きて、それから戦争のケイコに出て行く事はたびたびでした。まっ暗やみにねぼけヅラ、石につまずいてひっくり返って目がさめるのが人なみで、一晩に四回も五回も非常呼集があると、ひっくり返ったまま眠っている兵隊も時には出て来ます。上等兵に起こされて、目の玉から火が出るくらいヒッパタかれて顔はまるばれ、こんどは、目がはれふさがるといった具合です。どんなにたたかれても死にはしませんが兵隊はつらいものです。

 すぐ目の前はにらみ合った敵の国、ソ連の国、とつぜん「戦争開始」のラッパがトテトテターと鳴りひびきました。さあ一大事、部隊長以下全員ガバッと飛び起きて戦争準備です。一等兵の私たちは、何だか膝のあたりと奥歯がガタガタふるえて「もの」もよく言えないくらいです。今まで着ていたものは軍服、シャツ、ふんどしまでみんなぬぎすてて新品に着がえます。靴も帽子もみんな新品(第一装)、背(ハイ)のうには十日分位の食料と大事な自分の品物など。実弾百二十発に戦車地雷一コ、パイナップル型手りゅう弾三発、天幕、外とう、円ピ(スコップ)など一式。それはまた大変な品物です。全部体につけると立ち上がるのがヤットコサ、しかし、それだけかついで整列、隊長の命令号令で敵の方に向って前進しました。あまり遠くへ行かないうちに、汗だくだく、夜が白々と明け始めました。まだ弾丸(タマ)の音は一ツも聞えません。「ああいよいよ日ソ戦争、名誉の戦死か」心の中でつぶやいて覚悟をきめました。誰の顔も汗だくのくせに青白く見えます。そして・・・・・

1963年八女郡辺春(へばる)中学校『学年通信』より転載

(保健医療経営大学『学長のひとりごと』)

第一回http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-7194.htmlへのコメントより

▼久留米陸上自衛隊駐屯地の戦車の碑について

戦車之碑昭和49年5月建立

(福岡県久留米市・陸自久留米駐屯地)

碑文

大正14年 この地に日本最初の戦車隊が誕生した
その後20年 戦い日多く 戦域はひろがり ひとびとはこの車輛ともに生死し 昭和20年 その歴史を閉じた
世々の価値観を越えて事実は後世に伝えらるべきものであるために その発祥を記念し この地に生き残れる者が相集い 死せしひとびとの霊を慰めつつ 戦車の碑を建てる
     司馬遼太郎

【戦車隊】

大正14年、駐屯地の東側に日本初の戦車部隊が誕生した。(第1戦車隊)
当初はフランスから購入したルノー戦車やイギリスのホイペット型戦車で訓練を開始した。
第1戦車隊が逐次整備され昭和8年、戦車第1連隊となり、これを母体として戦車第7連隊(第1大隊が発展したもの)や戦車第5連隊等が創設された。
戦車兵は全国規模で徴集され、優秀な兵士が選抜されていた。

作家の故、司馬遼太郎(本名 福田定一)氏も戦車兵として満州の戦車隊に入営(陸軍少尉)されたが、本土決戦に備え宇都宮へ転営し終戦を迎えた。
東門横にある「戦車の碑」の紹介文は、氏の草案によるものである。

戦車隊は中国各地の戦闘やマレー半島敵前上陸、シンガポール陥落等では大いにその威力を発揮した。
しかし、大戦後半に登場したM4戦車との戦闘では装甲、火力等において段違いの差があり、ビルマ中部平原やフィリピン島での戦車戦では殆どの砲が装甲を貫けず、まるで戦いにならなかった。

(陸自久留米駐屯地資料館展示パネルより)

これ、見つけてきました。

今日晩御飯をたべているとき、ふと思いついて、「へいたいおっちゃんはどこの部隊だったの」と尋ねてみた、母は知らないと答えましたが、父が搾り出すような声で「くるめ48れんたい」といいました。
うん?どこかできいたなあ。と思い、ここをさがしました。やはり。
当時はみな、ここらのへいたいさんたちはそうだったのでしょう。(そこからどういう経過でがだるかなるへいかされたのかはまだみえません。)

http://www.geocities.jp/bane2161/sensya1rentai.htm

なぜ、戦車の碑をはりつけたのかといえば。

こんなところで司馬遼太郎に出会うとは思わなかったから。
それと。
かれは文藝春秋に書いていたエッセイなどで戦時の自分が兵士だったころの記憶を書いていたのですが、それにはとってもつらい上官のしごき、びんた、などの思い出したくもない記憶が怨嗟に満ちた筆で書かれていたので、ちょっと、この碑文を読んで、意外な気がしたのですよね。かささぎは。さすが、歴史家だとあらためて、思ってしまいました。

久留米歩兵第48連隊↓

http://www.geocities.jp/bane2161/hohei48rentai.htm

ところで。

かささぎの旗は、戦記の部分でさくらさん(大東亜戦争で戦死した父への手紙)http://www.geocities.jp/masa030308jp/とつながっていますが、こちらもそのえにし、ヴァイオリニストの麻場利華さんと数年前からつながっていまして、ガダルカナルで戦死した伯父を思い出すときには決まって思い出します。http://chaorica.blog92.fc2.com/page-33.html(この十月一日のところにりかさんの大叔父さんのあらましがあります。)

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