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2010年8月23日 (月)

久々の呂伊利さんコメント

久しぶり神津呂伊利氏コメント

昨日は久しぶりに夕立が来て、三潴地域はしっかり潤いました。暑さも少し和らいでいるところへ、火事。娘たちが通っていた幼稚園横のお寺でした。煙が上がっているのも我が家から見えました。
野次馬根性が振り払えず、道路まで出て見てしまいました。

お寺の火事>>新聞で見ました。 大変でしたね★

この写真はさつき庵が写っています。
とうとう集まれませんでした。
ろいりさんは次は十月のマラソン大会ころに帰って見えるのでしょうか。
今日お昼にここまでれぎおんをとりにみえないかと尋ねてみたら、かささぎと重なる時間が十分しかなかったので、できませんでした。仕事が終わって、ろいりさんちへ本は届けてきました。上津からだいいちびょういん前のろいりとこやさんちまで、ちょうど聖マリア前の新道を通って十五分かかりました。上津からわがやまでとほぼ同じ時間、てことは。だけど、ろいりさん宅のほうが遠くかんじたのは、街中だからだと思います。

いろいろお世話してもらったのに、行けなくてごめんね。相変わらずろいりさんは痩せてあるのでしょうね。

17日に社会保険事務所に行く用事がありました。名称が変わっていて、一度通り越しました。彦さんに確認してから再度行きました。間違ってなかった。
久留米の街中、花畑付近は大きく変わっています。新道もたくさん出来ていて、だいたいわかるようになりました。小学校がこの辺だったので、一度歩いて確かめたいと思っています。

【商家のつくり】
ぼん、ろいりさんはろいりさんでした。
日が短くなり七時がぎりぎりトワイライトゾーン。
ついた時は暗かった。病院前に駐車して(駐車禁止)信号渡った。看板があがってはいないが、横っちょに何か理容店うんぬん書かれたものがあったような気がする。ついたら呼び鈴おして、とあったのですが、どこが呼び鈴かわからなかった。
普通の家と違うな。とやおら思い、商家は勝手口が横にあるのだった、と高宮のいとこのうちのつくりを思い出し、横を探せば、あった。ろいりさんが二階の居住部分とおぼしきところから下りて見えて、薄暗く本を渡して帰った。たぶん、かささぎは一家の夕食の途中を邪魔した。

神津呂伊利の青春がふと匂った。

(ラバウルのはなしばきこごたったっちゃけど。もし、ここにかけることがあれば、呂いりさん、書いてくださいませんか。)

 先日はせっかく時間を作っていただきながら、みなさまにお会いできず残念でした。2日前に甥から、母の介護に関する話し合いをデイ・ケア施設で行うことになったという連絡があり、またそれが終わった後も姉・甥と一緒に帰宅する必要があったもので。
 で、拙宅が商家の作りかというと、う~ん、どうかな、少なくとも1960年代までの商家ではなく、昔ロイリーの横にあった家のほうが、いわゆる看板建築で、店の奥に自宅があってというので商家っぽかった。これがもっと間口が狭くて奥が長いと、京都でいう「ウナギの寝床」になるんでしょうな。普通の家というのはいわゆる「しもた屋」のことですか?
 今の櫛原の家の近所は、商売やっている、あるいは最近までやっていた、しかも1970年代に改築した家が多いので、作りは似とるごたるですよ。ところがですたい、ここ数年間、ここもあそこ後継がいないなどの理由でバタバタ店じまい(人ごとじゃなか、うちも時間の問題)、あちらこちらに貸店舗・貸家などの張り紙ばかり。そしてほとんど借り手はいないという状況です。新幹線で久留米に帰ってきて、JR久留米駅が立派になって、駅前にはいろんな新しい店ができてるのにビックリしたが、新幹線来たって、これじゃあね。
 数カ月前、TVで久留米の町の紹介があったのを見らしゃったでしょうか。旧本町ロータリーの角にある映画の看板風の宣伝看板?とか、一番街にある共徳屋という金物屋が出てきたけど、相変わらず同級生の父親が店番やっていた~客はほとんど来ないという店主の話あり。番組では出てこなかったが「八百膳」という食堂もしぶとく生き残っている。あと昔は「みずほ」と言った「グリンダ」とか、明治通り側の高島屋玩具店とか。ちなみに後者2つは同級生が後を継いどるようです。
 そんなわけで、ラバウルの話、ドサクサで軍隊に入ったら戦争が終わってしまったという父親の戦争談義、久留米空襲の時赤痢になって死んだと思われていた母親の銃後談義はまた今度。

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コメント

ろいりさんお久しぶりです。 今回お会いできなくて残念でした。 
でもお元気そうでなにより。。忙しいご帰省でしたね。。また次回にみなさんで「会」を持ちましょう。。前回の時写させてもらったチョロQの写真を用意してましたので今度に^^

八百膳>>子供時代は叔母と。10代のころは一人で。 こちらおいしいですよね~♪ ちゃんぽんやオムライスを食べてたかな

【デイケア、我が家の場合】
公立病院の精神科ドクターに父はぼけ防止と体力保持のためにデイケアをうけるべし。といわれました。
諸手続きがおわり、本日ちかくの病院のケアマネさんや介護師さんが三人いらして、ケアプランを提示され説明をうけました。受けながら、ああなるほど、これがケアプランで、これがデイケア、・・・と、乙四郎先生に学んだことが立ち上がってきました。(ぜんぜんわかっていません、はいすんません)
当の父は妙に元気付いて、冗談を言ってみんなを笑わせては、なぜ自分が精神科なんだ?と文句をいいます。術後一年の検査で何もなかったことがよほどうれしくて、それで元気が出たみたい。人間ってみょうです。
ささいなことで、おちこんだり、いきおいづいたり。
月末から近くの医院でデイケアを受けます。
九時半ころにお迎えがあり、四時半ころまでリハビリをやってもらえる。
介護保険適用、週二回の利用。ありがたし。
おのおのがた。
「デイケアとデイサービスの違い」で検索、するとここが出ます。かささぎは同じと思っていた、けれど、香川宜子先生の『夢診察室は大繁盛』を読んでいたら、先生の経営される老健での出来事が紹介された中に、アルツハイマーの人とあたまは正常で体力が衰えただけのご老人が、いっしょのプログラムのもとサービスをうけておられるのは気の毒であるうんぬん。。という記述がちらりと出てきます、それでずうっとひっかかっていたようです。↓

「デイケアとデイサービスの違い」、私もよく知らなかったので検索してみました。うちの母が行ってるのもデイケアなんですね。ところがだからこそ大変、自分もおかしいくせに(施設の人に聞いたら、まあ平均的なほうと言われた)、あたしゃ、あんな呆けた人たちのおる所にゃ行こごつなか、と言って、毎回のようにぐぜりよる。そのくせ帰って来た時には明るい声で「ただいま」とか言って機嫌良いが。問題はこれからもっと悪くなったら、あるいは父に異変があったらどうするか、ということらしい~いや人ごとじゃなく、私の今後の人生に関わるこっちゃ。
商家と勝手口についてまだこだわってみる。まてよ、昔の家の近所で商売やってる所って、入口が店しかない、住まいは店の奥から入っていくというところもあったなとか、勝手口って商家に限らず、ある程度の大きさの一戸建てだったらあったんじゃないかとか。例えば「サザエさん」の家にも勝手口があって、御用聞き・米屋・クリーニング屋とかは勝手口から入るのが1960年代頃までの常識だったのではないかとか。家の構造に限らず、近所づきあいその他、1970年頃が日本社会の大きな変わり目だったというのが私見です~なんて事書いていたら、戦争談義もまた遠のいていく。
ところでseikoはんが以前コメントしていた(↓)「ほたる川」というお店の看板を先日確認。久留米ではよく通る道沿いで、看板も目にしたことあるはずだけど、灯台もと暗しでござんした。焼き鳥と言やぁ、わりと最近TVに出たという、昔よく行ってた池町川沿いの「赤穂城」という店に、10年ぶりぐらいで行きやんした。

商家の造り

一例ではありますが、中庭がありました。○○商店の自宅です。お縁に木の滑り台が置いてありました。めったに飲めないプラッシーを売っていたお店でした。(米屋さん)

近所はほとんど商売をしていたので、通りに面しているところがお店で、引き戸を挟んで、台所兼居間で、誰かが必ず留守番をしてありましたね。別に書くほどのことでもなかった。

よみかえしていました。
蛍川には蛍川という名の焼き鳥やさんがある、というのですね。ふうん。ところで、ろいりさんが初登場されたところについていた大量のコメントを読み返していて、あらたに気づいたことがいくつかありました。
自分は八女の人間だし、久留米は知っているようで知らないことがとっても多いんですよね。

ところで。中学校の給食、やっと久留米は最近始まったのですね、市制だよりで知りましたが、ずっとお弁当だったんですね。(かささぎたちの八女は南中でもすでに給食だったです。)
それと、こんど市職員を思い切って減員する方針だとも書かれていた。健全な財政のために。むずかしいことですが、たいせつなことなのでしょうね。

日本の生産年齢あげての椅子取りゲームで、不況だからといって「公務」「公共事業」の椅子の数を減らすと、失業者が増え、不況の悪循環に陥ります。「民」の椅子の数が増えるような施策を打ってから「官」の椅子に手をつける(「官から民へ」)のが筋で、小泉、麻生政権は、確かにそのようなセンスがありました。
未曾有の円高で「民」を何とか浮揚させなきゃいけない重大な局面にあって、王様ゲームに興じて民ほったらかしの、「官から民すっから」政権は日本を危うくします。
市職員の削減も、遊んでいるような職員の削減ならいいのですが、えてして、一律削減みたいなやり方で重要な職務の職員まで減らされたりします。

へえそうなんですか。
むだむだといってなんでんかんでんけずっていったら、なーんものこらんかった。ってことにならんごと。

とはいえど。なにもこんな超円高の火急のときに。とはおもうものの。政治音痴にゃさっぱりわからんが、ただひとつよくわかるのは、そこまでカンさんじゃアカンのかい。ってことだけですわ。

着任して3か月も経つのに、これだけ何にもしないのでは愛想尽かされるでしょう。
円高対策も、市場へメッセージを送るべき時機に休暇とってたり多数派工作やってたりじゃ何をか言わんや。口蹄疫でも動かず。普天間でも動かず。
首相権限で円高対策の臨時国会(委員会)でも召集すればいいのに、そんな発想、微塵もなさそう。国会開くと叩かれるので、この3か月で開かれた国会審議は数日だけです。

まあそうだからといって、また民主党党首を取っ替える=総理大臣を替えても、諸外国からますます日本はアホかと見なされるだけ。しかも壊し屋小沢じゃ、よけい民主党はまとまらん。なにかの拍子で解散総選挙になっても、自民党が過半数取れるわけでなし、また連立政権めぐってゴタゴタ続き。
あまり当てにならない世論調査とはいえ、菅首相の支持率は低いが、現政権継続の支持率は過半数というのも、やむを得ずとはいえ案外正しい判断だとあたしゃ思います。
おやおや、このブログでは政治・思想などについて、あっしはあまり関わらずという方針でござんした。その旨ご理解ください。

ほたる川はオススメでっせ。
でもね、クルメで焼き鳥っちゅったら、赤穂城でっしゃろ。老舗だし、その選択はある意味正しい。笑
ろいりーさん。くるめでぜひ味わって欲しい焼き鳥屋さんがもう一軒あります。最近人気沸騰中(らしい)の「鉄砲」とかなんとかいう焼き鳥屋さん。美味しいという噂をよく聞くけど、行ったことがない。もしも行かれることがあったら、感想をお聞かせくだされ。

せいこさん。ろいりさん。
時代の伏目、ってのが厳然とみえるのが、焼き鳥屋の盛衰です。うちの47でしんだ有名な板前だったいとこも、最初はくるめで焼き鳥やしていました。かささぎの女ボスのにいちゃんも。でも、ほら、飲酒運転で法規がきびしくなったころから、斜陽化、ほかの職にかわりました。おなじ飲食店経営でも、別のね。
やきとり、会社帰りにぐちいいながら、いっぱいひっかける文化とともにあった。と思いませんか。

そういや、昔の私の家にも中庭がありました。でも店を拡張するのと、その上に「子供部屋」を作るために潰してしまった。当時は床屋も高度成長期だったんですね。家の奥にも狭い庭があって、さらにその奥はロイリーの看板置き場で、時々看板描きをやってる人がいた。店と映画館の間に、自宅に通じる細い道(勝手口?)と、その看板置き場に通じる細い道が並んでいて、夏の暑い時はクーラーなどなく、窓開けて上映してたので、そこからこっそり只見してました。
赤穂城、開店した頃よく行ってたけど、それが32年前、そうか、もう「老舗」なのか。私にとって久留米の焼き鳥の老舗と言えば、日吉町にある「日吉丸」で、酒が安かったのは覚えてるけど、35年以上行ってないです。「鉄砲」、検索したら出てきました。ありゃりゃ、「日吉丸」のすぐ近くじゃなかですか。

訂正。時代の節目が伏目になっていました。
朝刊でくわん総理が、時代の節目だっていってらした。何が?利権政治をひきずる小沢路線を選ぶか、クリーンなじぶんらを選ぶかが「時代の節目」だってさ。わらかすなっておもったです。
政治ってことばをいかにかざるか。ですね。

映画の看板と映画館の横に自宅があったら。気もそぞろだったでしょうね。ああそうだ。ろいりさん。ちょうどよかった。森山光章さんからお便り。このかたの仕事を一度きちんと紹介せねばと思っています。でもおそらくだれにもできない、もちろんかささぎなどにはとてもとても。それほど、常人を超えていらっしゃる。ではなんで紹介しなきゃいけないのか。といえば。いまのこのかささぎの旗と通底してる部分がどこかにあるからです。キーワードはユダヤ人。

森山光章さんとなぜ又こんなときに。
というくらい、絶妙のタイミングであります。
それといいますのも、彼は、反ユダヤの立場を明確に打ち出されているからです。これまでそのことについて真剣に考えたことがありませんでした。
香川宜子著『ザ・ヴァイオリン』が示したのは、ユダヤ人の受難と、どんなものをも超越して存在する音楽の力、愛の力。それから日本が日露戦争のころに示した捕虜待遇の素晴らしさ。でした。
一方、森山さんはこう書かれていました。

アウシュヴィッツは、ユダヤ人のエリートによる下層ユダヤ人の虐殺です。ナチスの指導層はユダヤ人です。ヒットラーも、クォーターのユダヤ人です。ヒットラー存命説もあります。映画は、ユダヤのプロパガンダです。"非ず”はユダヤに抗します。(森山8・25)

かささぎは、これを読み、検索してみますと、たしかにユーチューブにこういうものを見つけることができました。一度ご覧下さい。↓

上記の講義を聴きまして、そののちに、以前乙四郎先生も貼り付けておられたツインタワーの疑惑フィルムを見ます。するとよくみえてきます。真珠湾攻撃を日本に仕掛けさせた作戦とまったく同じ、陰謀の匂い。↓

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