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2010年8月29日 (日)

戦争の話(15) 橋爪一郎従軍記

保健医療経営大学学長

 橋爪 章

2010 年 8 月 29 日 戦争の話(15)

<橋爪一郎従軍記>

   命か花かの巻

 満州の春と秋は、冬と夏にはさまれて、びっしゃげています。ようやく氷の大地がとけたかと思うと、春、そして、またたくまに夏がやきついて来ます。忙がしいのは草花で、あっというまに芽が出て、つぼんで、サッと開かなければ夏の太陽にやけしぼんでしまうわけです。どの草もどの花も先をきそうて咲き乱れて一面の大花園、少し大げさに言えばどこかの国の御殿のお庭とでも言えそうな夢の国が満州の春、満州の秋でした。色とりどりの名も知らぬ花にまじって、まっ白のスズランにまっ白のインチュホワ(迎春花)は何よりもかわいいものでした。背の丈20センチぐらいの山ゆりに10センチもあるようなラッパ形のまっ赤な花がゆれているのはとても印象的でした。そんな美事な大自然の花畑の中で、いつものように戦争のけいこがくり返されていきました。「前進!!」「止れ」班長の号令一下、私たちは一目散に走り出したり、パタッとねたり、又走ったり。私は足もとのスズランのあまりのかわいさに、バタッと倒れなければならない所を、静かにそっとねていました。「コラッ!!橋爪一等兵!ここは学校じゃないぞッ!!」私が先生であったことはみんな知っていました。「花が大事か、命が大事かッ?」そしてボカボカボカッとたたかれて、くやしさで胸一ぱい、近くの一等兵は、声を立てずによごれた歯で笑っています。小さい心で、足でふみにじったスズランをかわいそうに思いながら、「花か命か、花か命か」とくり返しましたが、忘れられない満州の花畑です。

1963年八女郡辺春(へばる)中学校『学年通信』より転載

(保健医療経営大学『学長のひとりごと』)

▼かささぎの独り言

橋爪一郎従軍記、すばらしいです。

さくらさんも書かれていたことですが、あの時代をこんなふうにスケッチしたものをこれまでにみたことありません。
命か花か。

花だと一郎はいっているようです。このひとは詩人です。
文章や表現がとても軽くて明るいのは、なぜなのでしょう。
橋爪一郎は四月一日生まれだと竹橋乙四郎は書いていた。

「命日」http://tanka-souko.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_e838.html
連句人かささぎはそのせいが大きいと思う。
山下整子のこの「命日」という文章。
期せずして花が花としてかかれています。
せいこさんの65歳でなくなられた父上は四月一日が命日でありました。

四月馬鹿三鬼この日に忌を合はす  佐野まもる

(ここにきて、はじめて佐野まもるを調べてみました。
なんと徳島県の俳人でした。http://www7a.biglobe.ne.jp/~gucci24/a_mamoru.html

秀野ノートを書いていたときのわたしが、どこからこの句をひろってきたのか、メモしていないので、不明なのです。)

(『石橋秀野ノート』を昨日読み返していて、西東三鬼追悼句、こんなのを拾いました。健吉が小野蕪子を執拗なまでに非難している文章があったんですよね。健吉は京大俳句事件では三鬼を心底かばっていたから。三鬼の自伝がひとつありまして、「冬の桃」http://www005.upp.so-net.ne.jp/shigas/HOMPG404.HTM

以下、こころうたれた記述です。

満州の春と秋は、冬と夏にはさまれて、びっしゃげています。


私は足もとのスズランのあまりのかわいさに、バタッと倒れなければならない所を、静かにそっとねていました。

小さい心で、足でふみにじったスズランをかわいそうに思いながら、「花か命か、花か命か」とくり返しましたが、忘れられない満州の花畑です。

文中の迎春花。
かささぎは杉山洋先生宅をこの春に秀野がらみで訪ねたとき、お宅の通りに面した塀から雪崩れていたぱっと目を射るような鮮やかな黄色の花を思い出しました。あれはなんというお花ですか。と聞いたら、迎春花だと先生はおっしゃいました。

今、先生のブログをさがしました。
よわい85才にして名ブロガーがここにおられます。
本音をいえば、こんくそじじい、はらたつのり。ああ大失礼!
いまいましいけど、杉山洋先生がブロガーであられたことは、まさに天が与えた幸運でありまする。これなどどうでしょう。おまごさんといっしょの写真におさまった迎春花。色が天気のせいで不鮮明ですけど、よく撮れています。http://ameblo.jp/yameyobanashi/entry-10504136956.html#main

あるいは、ほかのところー歌謡曲ーからもひっぱってきましたが、やはり戦争体験者の記事です。すごいです。http://blog.goo.ne.jp/ekimae05/e/be050637747b881675fe698c154de009

ところで。杉山洋先生しかいません。
八女市の文化行政に文句をいえる立場のおかたは。
そのお方がこのブログでいくつも書いておられることの一つ。
これをよまれてください。

http://ameblo.jp/yameyobanashi/entry-10630705650.html

わたしは、八女市誌を読んで心底がっかりした記憶があります。
広川町誌のほうがずっと歴史的文化的記述はしっかりしているのではなかろうか。まだ読んでいませんが、見出し見ただけでも、あるいは、かささぎブログへ折にふれては鋭い指摘をしてくれる連句仲間の歌人山下整子の投稿のなかでちょっと紹介された記事を読んだだけでも、それをかんじます。
以下、杉山洋先生のご意見です。
八女図書館と岩戸山資料館の問題。

「先ず両館ともに所蔵物の台帳整備。つまり全戸籍原簿の整理作成である。

八女図書館は郡役所時代の資料が倉庫のなかに埋もれて台帳化されていない。

岩戸山歴史資料館は国・県指定の遺物の台帳がデタラメ。

善知鳥はたとえば「文化財専門委員とか市史編纂委員とかの特殊役職員は利用が出来るよような台帳」といったことを発言しているのではない。それらを含む全市民などのための平等な利用に応えられる台帳という意味である。

両館とも共通した不備を放置している。その責任は嘱託館長にはない。歴代教育長以下の職員の共同責任である。

八女市教委は深刻に考え、対処すべきである。」

かささぎも全く同感です。予算がないのは百も承知、でも、これをやらないことには、「宝の持ち腐れ」状態は脱することはできません。

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コメント

かささぎはこれまで知りませんでした。
朝、杉山洋先生の書かれているブログを読み返していて、発見。
杉山先生は広島で被爆されていたとは。

杉山先生は長崎出身、広島で被爆後、長崎に戻り、その記録も書かれてあります。
もしナガサキがヒロシマのようにして爆風でやられた浦上天主堂をそのまま残し、天使の像などを保存していたら、そのショッキングさはヒロシマの原爆ドームなどの比ではなかったはずだ・・・とかかれていますね。ほんとうにそうです。

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