戦争の話(9) 橋爪一郎従軍記
保健医療経営大学学長
橋爪 章
2010 年 8 月 23 日 戦争の話(9)
<橋爪一郎従軍記>
星がふえて嬉しかったの巻
兵隊は星の世界、夜の世界みたいなものです。油断をすれば、鉄砲でも、軍服でも平気でなくなり、人に見つからないように、人の物を持ってくれば上官は知らぬふりをしてくれます。兵隊では、いつどんな時でも、きまった物をきまった数だけ持っていることが一番大事で、一品でもたりなかったら、ほほっぺたの丸ばれ(たたかれて)はまちがいなしです。
物が足りない時に、それをそろえる-員数つける-のは二等兵の仕事で、実につらいものです。どろぼうの名人になるために二等兵は死にもの狂いの努力をしなければなりません。目の玉は、ギョロリと光って、耳は、ちょう音器のようにとがっていなければなりません。
死ぬような六ヶ月をすぎて、私は外の者より半年先に、忘れもしない七月十日に一等兵になることが出来ました。二ッ星です。今までただ一度も、号令をかけて人をつれて行ったことのなかった私は、今日からは、一ッ星の子分をつれて行くことが出来るのです。一ッ星の中には、一年も二年も前から兵隊に来て、成績が良くなくてそのまま一ッ星の者もたく山います。二年すぎて一ッ星の者を古兵殿といい、三年すぎても二等兵の者を神様とよんでいましたが、そんな者よりも二ッ星の方が位は上です。今こそヤセギッチョンの私もその頃は六十五キロをこえていましたので大きな声でいばって一等兵をつとめました。
四月一日生れの私は兵隊の中では一番年下で、二等兵はみんな年上、いい気持でした。
1963年八女郡辺春(へばる)中学校『学年通信』より転載
(保健医療経営大学『学長のひとりごと』)
▼リンク記事
「おじさんの母の戦争」ー中山宙虫「おじさん日記」
http://musinandanikki.at.webry.info/201008/article_29.html
連句仲間の熊本の俳人・中山宙虫さんがトラックバックをつけてくださっています。
そのなかで書かれた記事、母の体験した戦争。
▼かささぎのひとりごと
大東亜戦争(太平洋戦争)での上記の実話。
一方、『ザ・ヴァイオリン』(香川宜子著)に描かれた日露戦争時の捕虜の扱いの実話(さらに香川先生に聞くところによれば、まだ世界のどこを探しても医療保険という概念さえなかったときに、その捕虜を収容していた地・坂東収容所にはあった。というのですから驚きます)、そして、『ザ・ヴァイオリン』を一晩で読み、それに触発されてわずか数日で書いた竹橋乙四郎ノンフィクション『浜寺俘虜収容所のロシア兵ーあるユダヤ人捕虜と日本』、これらを読み比べますと、全く捕虜の扱いが日露戦争のときから変化しています。
わが国にはそれだけの余裕がなくなっていた、ということです。
▼『浜寺俘虜収容所のロシア兵』についたコメントより
そうだったんだ!
へー。
へー。
アガサクリスティをかささぎは尊敬しているのだが、彼女も最初は音楽家になりたかったとかいていました。音楽はことばを持たない神への直接の通路であるのでしょう。響き振動という点においてです。
NHKでだいぶ昔に放映されたラフカディオハーンの日本滞在中の生活振りを描いたドラマみませんでした?
これ、最高に素晴らしかったですよ。
オハーンは熊本でも暮らしたんです。
オハーン役はジョージチャキリス、奥さんは檀ふみさんでした。
ほんとうに美しいドラマでした。再放送して欲しいドラマのひとつです。
東京の友人さん。オハーン、っていうとですか?
あたしゃてっきり、らふかでぃお・はーんとおもいよりましたが。じゃっどんオハーンなら、鹿児島弁のオハンみたいで、たのしかですね。笑
檀ふみさん。たしか同世代。
えめさんから借りてみたビデオ(むかし男ありけり)、以前リアルタイムで一度みたことがあったとハタと思い出したのが、そのふみさんが涙をはらはらと流される場面にさしかかったときでした。きれいかひとです。
いいえ、私が間違っています。
正しくは
パトリック・ラフカディオ・ハーン
です。
この役をあのウエストサイドストーリーのチャキリスさんが演じてぴったりだったんですよ。
かささぎさんには是非「シンドラーのリスト」を見て欲しいな。
ザ・ヴァイオリンの描写がこれでぴったりと浮かび上がります。
ではみます。
夫がみていた、ずいぶん前に一人で、その後、次男も見ていた、最近、一人で。
でも、わたしはまだみていませんでした。
このニュース、びっくりした。
↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100819-00000013-san-l27
アニメになる。そりゃあよかった。
竹橋乙四郎のこれ*を読むまで、まったく知らなかったです。
*「浜寺俘虜収容所のロシア兵」
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-de1a.html
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こんな文を拾ってきました。
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アインシュタインがそれまでの物理に根本的な変革をもたらす最初の着想をえたのは、16歳のときだったという。それについてアインシュタインは、
「わたしはこの問題(運動体の光学)を直感で気づいた。この直感の原動力は音楽だ。わたしは6歳のときから、親にヴァイオリンを習わせてもらった。わたしの新しい発見は、この音楽の世界の勘のおかげである。」
投稿: 乙四郎 | 2010年8月12日 (木) 23時54分